世の中の罪と言うものは、
それぞれの人達が自分から救いを求め、
何かを叶えようとする結果生まれてくるものだろう。
人間関係のつまづきや自分勝手な言動によって罪が生まれる。
それは自分だけが救われたいという思い、
人を押しのけて救われたいという気持ち、
自分だけが救われるための知識や情報こそ、捨てるべきだ!
徳というものを最近考えるようになった。身体に栄養、頭に知識、心の徳、この3大栄養素がとても大切だと思う。でも栄養も知識も取りすぎて徳というものを使い果たし罪を作っているのかもしれない。
徳とは何かな…!
あの人は仁徳がある。という徳である。世の中や人様のためにささいなことでも自分から進んで尽くす事かな…。いつも笑顔で誰にも自分から挨拶をする。職場の整理整頓を進んでする。こと等だと思う。
でも誰も見ていないからゴミを捨てるとか、自分のやるべきことをしないとか、いつも膨れっ面で眉間にしわを蓄えている。人様の気持ちが暗くなるような言動をする。などといったことは徳を減らすことなのだろう。
徳を沢山積んだ人は人間味があって優しい素晴らしい人だと思う。そういう魂のステージの高い人は会った瞬間にこの人には勝てないとそう思ってしまうだろうな…!そんな気がする。
直に頭に血が昇って切れる人は
それと同じくらいいつでも謝れるように
心の準備をしておくことが大切だ。
主張ばかりする人はバランスが悪いものである。
主張するなら謝る気持ちを常に持って無きゃダメだ。
謝るってのは感謝にもつながる。
感謝の気持ちが持てるようになれば簡単には切れない。
昨夜は水泳の練習日だ。月曜日担当のコーチが今月一杯で退職するとのこと、何とも言えず残念に思えた。そして何も伝えず別れるのが耐えられなかった。きっとそのコーチに僕自身の20数年前の自分を重ねて見て、他人事のように思えなかった。
「天職とは職業のことではないと思います。ご自分の職業の中に天職という貴方自身の勤めがあるのです。どうかご健闘を祈ります。」とまあこんな説教じみた餞の言葉を手紙に託した。水泳でも何でも自分の限界に挑戦した人達というのはある意味、完全燃焼を経験しているから、自分のためと言うより、人様のために働きたいという気持ちがあるように思えてならない。人様のために働く…(病気を治す、食物を作る、ものを作る、励ます、楽しませる、教える…)まさにこういった、人様にのために働くなにかが自分の天職なんだと思う。
僕はサラリーマン!このサラリーマンという職業は天職ではない、その職業の中に天職はあるんだと思う。
私にとって感情とは?
太陽であり、水であり、風である
こうした自然のエネルギーを吸収しないでいると
まさに枯れる寸前の草木に似ている。
太陽、水、風をバランス良く肉体に吸収し、
感情というエネルギーを取り戻さなければならない。
そうすれば枯れかかった心も活性化され、
若者らしくイキイキと生きられると思う。
僕は週に3回スイミングに通って、シニアのテクニカルコースで練習している。1日に泳ぐ距離は約1時間の練習で1500mから2000m…!バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールと4種目をまんべんなく泳いでいる。25mダッシュのスピード練習も欠かさない。
メンバーの中に高校を卒業したばかりの若い男女が3人いて、僕のちょうど良い練習相手である。彼らになんとか、ついて離されないように頑張っている。なかなか苦しくて辛いけれど、練習が終わった後の爽快感は最高…。
僕の感情は高校生達、若い人達の心をずっと持ちつづけたい、そして充実感、達成感、爽快感を味わって、
いつまでも何かに熱く燃えていたい。
自分の中に闘争心を起こし、自分との戦いに闘志を燃やせ!
簡単に言えば自分との約束を守れるかだ、
朝5時に起きると自分に約束したらそれを守る
日常生活で何かを決めたら死守するという強い意思
それが闘争心ではないか
僕は3年前に早起き鳥になることを決心。決め事は9時から10時の間に就寝!、4時までに起床!起きてする事は読書である。それ以来ほとんど9時半には就寝している。起きる時間はまちまちだがほとんど2時に起きている。睡眠時間は平均5時間。熟睡しているから日中眠たいと言う事はない。今、週に平均3冊は本を読んでいるかな。僕の大切な時間だ。
この大切な時間を利用してこのBLOGを毎日更新している。本を読んで心に残る言葉は琴線というタイトルのノートに書き込みを続けている。日々の生活の中でこの琴線を読み返して自分との戦いに闘争心を燃やしている。