オレ、ドラム・セットを持ってたんだ。
高校3年生の頃、
おばあちゃんが、貧乏しながらでも
買ってくれたんだ。
黒いドラム・セット。
当時、5万くらいのやつ。
おばあちゃんは、
音楽、歌の世界、
芸能人がどうのこうの、
まったく知るわけなかった。
でも、そこまで思ってることならやれ、
と。プレゼントしてくれた。
もちろん、オレも金だしたけどね。
もう、うれしくてうれしくてね
「成りあがり」著 矢沢 永吉
ドラムセットを買ってくれた
おばあさんの気持ちがなんともいえない
矢沢のことを心から、
可愛がってくれていたのだと思う
そんな得体の知らない世界に行くな…!
というのが当時の大人の常識
もし僕の孫が、
ドラムセットが欲しいなどと言ったら
単に趣味の世界なら、
買ってあげただろうけど、
孫の強い信念を聞かされたら、
きっと反対して、
可愛いがゆえに
ドラム・セットは
きっと、買ってやらないと思う。
「違う世界を夢みなさい」
と言うだろう…!
早起き鳥
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あの頃、横浜に着いたとき、
西も東もわかんなかった。
北も南もしらん。
上と下はわかる。
顔あげりゃ上は、空だ。
下は地面だ。
タコ部屋にいる時、
朝八時に始まって
夜八時まで仕事だよ。
終わったら、オレ、歩いたよ。
地理を憶えるためにね。
伊勢佐木町、桜木町、
あっここは日の出町…
三カ月ぐらい
くりかえしているうちに
横浜の地理も
だいたいわかって来た。
山下公園だとかね。
裏の方でアパート
なんかも見つけたりしてた。
「成りあがり」著 矢沢 永吉
誰も知らない
孤独な街で
地理を憶えるために
毎日仕事が済んで歩いた矢沢
横浜の街で
生きる覚悟が感じられる
そして働いている時も
人に声をかけて
「いいバンドの話が
あったら声かけて」
との売り込みも忘れない。
僕の場合
福井に降りたった
その町しか興味がなく、
淋しい街を
独身寮から職場まで
歩いて往復だけの毎日
夜八時では
もう外を歩く人もいない
まったくの闇が
あちこちにあった
日曜日には人恋しくて
駅の改札口
流れる人を眺めてた
矢沢とはまるで覚悟が違う
早起き鳥
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今日、遠足に来た市内のとある幼稚園
年長組5歳の子どもたち70数名、
引率の先生が5人、
スクールバスのドライバーさんが2人
センターの玄関先に到着するなり、
なんとも子供たちの可愛い声
そして爽やかなご挨拶
そして引率の先生が、
なんともいえない笑顔で
指揮をとっておられていた。
良い空間、良いムード、
素敵な居心地、その空気の中で
僕の案内役も、ノリ良く、
子供達と輪になって、
楽しい時間を共有、
子供は幼稚園とか保育園とか
その施設の園長先生や保育士の先生
達のお人柄に似てくるのかも
早起き鳥
どうしてなんだろう。
いまでも、よくわからない。
東京に出る、
東京に出ると思ってたオレが、
汽車の中で
「ヨコハマー、ヨコハマー」
と聞いた途端に飛び降りた。
そう、ビートルズの
リバプールだよ。港町。
無意識みたいに横浜で降りた。
ウオ―、目的に一歩近づいている。
オレ、とんでもない行為をしてる。
横浜の、東口に出た。
直ぐに横須賀に行った。
「横須賀って米軍キャンプが
あるって聞いたんですけど…」
「横須賀へ行くの、どの電車ですか?」
「何時間くらいかかりますか」
「横須賀って駅があるわけですか」
なにも知らんもんね。
だけと一歩一歩近づいている。
電車に乗ってるだけで、
ワクワクしてくる。
そうだ、この感じだ。
「成りあがり」著 矢沢 永吉
東京を目指していた矢沢が
横浜駅到着のアナウンスを聞いて
矢沢の遺伝子が目覚め
研ぎ澄まされた魂に火がつき
天の命ずるままに
横須賀米軍基地を目指すとは
実にドラマチック
なんとも感動的、素晴らしい
人の運命とは面白いモノ
僕だってそうだ、
大都会の真ん中で生まれ育った
世間知らずの若造が
何の縁もゆかりもない、
ド田舎に向かうなど
横須賀に降り立った矢沢とだぶる
でもなぜかワクワクするのも同じ
このド田舎で天職を全うするのが
僕の定めと信じ
福井の地に立った
福井訛りは外国のようだった
それに叱られているような口調
語尾を上げて
しゃくるような話し言葉は
バカにされているようだった
矢沢のスタートは
米軍基地の街、横須賀
僕のスタートは
北陸ド田舎の街、福井
早起き鳥
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日曜日の日経新聞のコラム欄
「使い続ける能面は衰えない」
美術館にある名匠がつくった
重要文化財の能面
ひび割れが目立ち塗装が剥げ落ちる
能面は使い続けてこそ
人の息や汗を吸い、脂や、思念さえも
吸いこんで、美しさを保つ
美術館の能面は死んでいても
舞台の能面は生きている
60年前にこの世に生をうけた
我が身体、わが心
人生という舞台に立ちつづけたいものだ
早起き鳥