バッハはこう弾かねばならぬ、
こういう職業の人はこうあらねばならぬ、
こういう社会規範がある以上は
絶対に守らねばならぬ
女性はこうあらねばならぬ、
自分の生き方はこうでなければならぬ、
世の中はこうなっているだから、
従わねばならぬ。
そんな「ねばならぬ」への「こだわり」で
人は何と悩み苦しんでいることか
「いつも心に音楽が流れていた」 著 柳田 邦男
そのこだわりを
作っているのは自分のこころ
生活習慣をおかしなものに
しているのも自分のこころ
なんと自分のこころとは厄介なものなのか
いつも身体は被害者
こころは加害者
この構図が生涯続き
修正するのも並大抵ではない
そしてこの世に完璧主義者のなんと多いこと
でも自分にはすこぶる甘い
私自身、そこまでではないと思うけれど…
その完璧主義という
こだわりによってなやまされる劣等感
これがまたなおやっかいである
早起き鳥
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◆◆現在 6位◆◆
「彼はほんとうに何ごとにも
こだわらない人だ」
と言われる人物が稀にいるけれど、
ほんとうに寸分も
こだわることのない人は
いるのかとなると疑問だ。
ともあれ、誰かに言われた
チクリと刺すような
一言が許せなくて、
「いつも心に音楽が流れていた」 著 柳田 邦男
つねに誰かにチクリと言われ
こころにその刺すような痛みを
感じて生きている
そしてその痛みを跳ね返すように
仕返しをしてた若い頃、
さらに次はグサッとくる
痛みをおぼえる逆襲に喘ぐ
負けるはずはないけれど
つい逆襲の気持が溢れてきて…!
でも今はチクリに対して
ありがとうございます
そんな気持で笑顔で感謝
それが最大の逆襲
自分の変なこだわりを捨てた瞬間から
笑顔がうれしい
今日も顔晴ります
早起き鳥
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◆◆現在 7位◆◆
こころとからだから
溢れてくるというよりも
自分が隠れた大きな流れに
ひたされるような気持ち…
そんなときぼくは知るのだ
涙の源は人が想い及ばぬ
はるか遠くにあるということを
「いつも心に音楽が流れていた」 著 柳田 邦男
昔、中学生くらいだったころ
音楽室でクラシック音楽を
聴くという授業があった
あまりにも訳のわからない音楽で
熟睡の子守歌
クラシックなど、
何が良いのか?とさえ思った
でも今はクラシックライブを
お金を出して聞きにいくのがなによりの楽しみ
そして奏者の姿を見ていると
涙が溢れてくる
心を打つというようなものでない
全身鳥肌が立つような感動がある
その感動は自分のこころというよりも
遺伝子が感動しているのかもしれない
早起き鳥
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◆◆現在 8位◆◆
天才は時代を先取りした表現をする
と、よく言われる。
まことにそのとおりだと思う。
そして、後から出現する天才は、
先人の表現の中から、
もっとも先端的な断片を鋭く嗅ぎ取って
さらにそれを超えた表現を創造していく。
天才は時代を先取りするだけではない。
若くしてすでに人生の苦悩も悲哀も波瀾も、
すべてを理解してしまう。
「いつも心に音楽が流れていた」 著 柳田 邦男
先人と同じ事をしていては
天才とは言えない
先人を超えてこそ天才
まるでダーウィンの進化論のよう
そして時代を先取りし
加えて個性的な
インパクトを世にあたえ
人々を魅了する
そんなスゴイ天才が
歴史上、現実に存在いていたことが
不思議であり、びっくりであり、感動
いま、世の中が混沌としている
こんな時こそ
世の中は天才を
必要としているのではないか
モーツァルトのような
天才が現れるかもしれない
早起き鳥
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◆◆現在 8位◆◆
このところモーツァルトの
ピアノ協奏曲ばかりを聴いている。
書斎で原稿を書いているときも
クルマを運転している時も
モーツァルトの
ピアノ協奏曲が流れている。
そのうちに、別のピアニスト
による演奏も聴きたくなって、
新たに何枚かのCDも買った。
「いつも心に音楽が流れていた」 著 柳田 邦男
ピアノコンチェルトが
大好きとの著者の柳田さん
全く同感
クラシックと言えばピアノ協奏曲
最高の音楽
交響曲とピアノ
最高のマッチング
ピアノとはなんと気高く
なんと美しく、壮大
女性ピアニストは
まるで女王様に見える
僕の一番好きなのは
チャイコフスキーの第1番
あまりにも有名すぎて
そしてベートーベンの「皇帝」
もし、生まれ変わったら
ピアノコンチェルトの
ピアノ奏者になりたい
実はアイパットにて
只今、ピアノの練習中
早起き鳥
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◆◆現在 8位◆◆