私たちは「才能」
というものについて、
カン違いをしやすいものである。
例えば才能というと、
一流大学へ入るための
学力のことを思いやすい。
また、プロ野球の選手や、歌手
としての能力などを考えやすい。
そのような能力はもちろん、
きわめて大切なものである。
しかし、才能というものは
そのように考えるのは、
狭い考え方であると思う。
ある女性の本の中に、
次のようなエピソードが紹介されている。
小学生のころ、
先生がたずねた。
「人に負けないものが
何かあるでしょう。
それを言ってください」
そのように言って、
ひとりひとりにたずねた。
そしてとうとう彼女の番になった。
ところが、人に負けないものは、
ひとつも思い当たらない。
そこでモジモジしていると
先生が言った。
「あなたは笑顔がいいのよ。
あなたの笑顔は、
誰にも負けない財産ですよ」
先生のこの一言で
人生に目ざめた……という。
「すてきな女の愛と人生の選択」佐藤綾子
「生きる力が湧いてくる本」
著 伊吹 卓
「人に負けないものが
何かあるでしょう?」
と問われて僕には
何かあるだろうか
この女性のような
笑顔があるわけでなく
かと言って誠実、根気
とかいっても並みの並み
好きな運動といっても
これまた平凡
要するにすべからく、並み
だからこそ、
公務員のような仕事が
40年近くも長く
勤められたのだと思う
これから第二の人生、
何か人に負けないものを
見つけそして
作り上げていきたいと
そんな意気込みにさせてくれる
この春の桜
ところで
毎日、暴飲暴食の日々、
ダイエットをしていても水の泡
ただ新しい発見
いくら食べても84キロ以上にはならない
食べつづけてもこれが上限
そうだ、ということは
太らない身体になったということかも…!
早起き鳥
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西洋人が書いた
成功哲学の本を読んでいると
「潜在能力」
という言葉がよく出てくる。
潜在能力という言葉は
「広辞林」にはのっていない。
その程度の言葉である。
しかし、よく知られている意識、
無意識、潜在意識と
いう言葉である。
この言葉から、
潜在能力という言葉を
類推することができる。
つまり気づきにくいが
その人が本来もっている
能力のことである。
「生きる力が湧いてくる本」
著 伊吹 卓
自分自身の潜在能力とは
いかなるものなのか
きっと親から受け継いだもの
子供のころに芽生えたもの
高校生くらいまでに
培った身体的、頭脳的能力
芸術的な潜在能力が
少しくらいあればと思うのだが
絵を描けば
何かを見て写生するなら
なんとか似せてかけるが
イメージだけで書こうとすると、
まるで小学生以下
恥ずかしくて話にならない、
絵を描く事、お芝居、踊り、
歌に楽器演奏、まるでダメ
身体を動かす事なら、
何とか見よう見真似
でもエアロビクスや
リズムダンスまるでダメ
要するにパフォーマンス
芸能はまるでダメ
早起き鳥
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「本物の人生」は、
長い歳月をかけて
見つけるものである。
本当はそうであるが、
若いときには、
そのような気持ちにはなれない。
早く、すぐにでも
「本当の人生」
を見つけたいとあせるものである。
そういう気持ちに
応えるのは難しいのだが、
私の経験を振り返ってみて
一つだけ決定的なヒントがある。
それは
「心が燃えるものをつかめ」
ということである
「生きる力が湧いてくる本」
著 伊吹 卓
伊吹先生は
武者小路実篤の言葉を
引用されている
「この道より我を生かす道なし、
この道を歩く」
とても素晴らしい言葉
私自身そういう心が燃えるもの
未だ見つけておらず
今の生き方、
本当の人生とは言い難い
我ながら恥ずかしい限り
れからの長い歳月をかけて
見つけられるよう精進の道を
ひたすら歩みたい
本日をもって福井県庁
退職することとなりました
38年の長きにわたって
ご指導いただきありがとうございました。
衷心より御礼を申し上げます。
早起き鳥
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本物は、偽物に
対する言葉である。
ニセ物があるから本物がある。
いや、ニセ物が多いから
本物が大切に
されるということだろう。
私は詐欺に五回も
引っかかったことがある。
それはニセ物と本物の
区別がつかなかったからである。
そして奇妙なことに、
私の心の中にも
ニセ物が入りこんでいるのである。
「ホンネとタテマエ」
という言葉があるが、
若いときには自分のホンネも
つかめないものである。
ホンネとは本物の心であり、
タテマエはニセ物の心である。
「生きる力が湧いてくる本」
著 伊吹 卓
私など、今
この期に及んでも
未だ自分の本当の心もつかめない
要するに欲深いのである
みんなのため、社会のため
そう真剣に思いはしても
それは結局、タテマエ
本音のところは
要するに私利私欲
でもこの年になって
経験も社会勉強も
一応積んではいるものの
今、改めて胸に手を当てて
自分に問えば、
少しくらいは自分中心の
己ともおさらばできただろう…?
いやいや、まだまだ
ホンネとタテマエを使い分けている
嫌な自分がいる…!
こういう状態では未だ
自分の心をつかめず。右往左往
早くスカッとして
羽ばたきたいものだ
早起き鳥
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人生というのは一生、
迷路を歩いているようなものである。
人生には、
ハイウェイもあるけれど、
田や畑の横についている、
あぜ道もある。
ときには「道なき道」
を歩くこともある。
たくさん道がある。
だから複雑である。
それなのに
「人生の地図」はない。
自分で自分が歩く道を
探さなければならない。
道が見えないからといって、
じっとしていると
「井の中の蛙」になってしまって、
何もできないことになる。
だから人生はとにかく
「井戸」から
飛び出すことがたいせつである。
人生というものは、
飛び出して、
あちこち歩き回ってみると
歩いた分だけ
道が見えるようになる。
「生きる力が湧いてくる本」
著 伊吹 卓
道しるべの無い人生、
ナビがあれば楽なものだが、
頼るは自分自身!
自分で歩く道を
探さなければいけない
そんな自分の人生に
道標的存在のポラリスがあれば
勇気を出して飛び出してゆける
自分の一番大好きな
偉人の伝記でもいい
大好きな作家の作品でもいい
お手本とする師匠がいれば最高
ともかく自分の道標に向かって
歩いてさえいれば
道を見失うことはない
そして
「歩いた分だけ道が見える!」
なんと素晴らしい
勇気と励ましのことば
伊吹先生、ありがとうございます。
早起き鳥
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