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地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

新聞の変革

2013年05月31日 | 読書

 

「新聞の変革に日本の民主主義が試されている」、この指摘を心から受け止めた

 あの3・11東日本大震災を巡っての報道を巡って、日本のマスコミはさながら「大本営発表」を報じる様に酷似していると思ったのは私だけだろうか。あの東電原発事故直後の政府や東電の発表する記事を鵜呑みにして、国民の前に流し続けたマスコミ各社。そして、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の予測された大気中濃度および被ばく線量などの数値を時の政府が隠蔽した件でも、日本のマスコミは報じなかった。今、多くの新聞記事を、「眉唾」しながら読んでいる。

 そんな時、霧が晴れたかのように「新聞(及び新聞記者)のあり方」について、すっきりとさせてくれたのがマーティン・ファクラー著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉社刊)だ。洋画は観ない、翻訳物であれ洋書は読まない私が、この本だけは読まないと思った。ま、著者が日本人でないだけで、日本語の本なので格別言うこともないのだが。著者であるマーティン・ファクラー・ニューヨークタイムス日本支社長の「新聞の変革に日本の民主主義が試されている」との指摘を、心から受け止めたいと思う。今の日本の新聞を考えるために最適であると、私はオススメする。是非ともご一読を、とまず先にオススメする。

 

 

 「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糺していく。(中略)権力に近づきすぎたジャーナリズムのことを、アメリカでは『アクセス・ジャーナリズム』と呼ぶ。(中略)日本の記者クラブが生み出す一連の報道は、私から見るとまさしくアクセス・ジャーナリズムそのものだ。当局や大企業との距離を詰めれば詰めるほど、記者クラブメディアでは高い評価がなされる。取材対象と身内のように仲の良い関係を築いた者ほど、『情報が取れる記者』として会社組織から評価される」。日本独特の悪しき組織「記者クラブ」等のあり方についての指摘に、新聞各社(=マスコミ各社)は、真摯に耳を傾けて欲しいと願う。

 「ジャーナリストはサラリーマンではない 専門職であるべき」「世の中を疑い、権力を疑うジャーナリストは組織から距離を保った一匹狼であるべき」との指摘に共鳴する。そこには、私が憧れかつなりたくてたまらなかった新聞記者の姿があった。

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