相変わらず「逝き方&生き方」に拘って、香山リカ著『「看取り」の作法』を読んだ
「生き方」とともに、「逝き方」を強く考えるようになったのは、いつ頃からだろうか。図書館で本を借りることが出費が抑えられるので、目については本は借りては読むようにしている。
最近読んだ本では、香山リカ著『「看取り」の作法』がある。著者が昨年父を看取った体験を踏まえての「愛する人、親しい人の死を迎えるための心の準備や悲しみの乗り越え方、いうなれば『看取りの作法』について、医師としての知見も交えながら語った」一冊だ。
「精神科医である私が、まだ整理のつかないアタマと心で自分の恥をさらしながら語る『看取りと死別』についての入門書」とも著者は書いている。
「いま、父に行われているのは、回復のためではなく、延命のための、と言うより半ば形式的、儀式的な医療行為である。いまさら血圧を測って少しくらい上げてみても、血糖値を上げたり下げたりしてみても、そこには本質的な意味は何もない」と医師である著者の文章に、我が意を得たりで頷いた。私は不必要な延命治療、人工呼吸や人工栄養もお断りして、静かに逝きたいと願っている。
著者は「無意味な形式的な医療行為を拒否」して、「もうけっこうです。連れて帰ります」と言ってお父さんを退院させ、お父さんの願った(であろう)自宅で看取ったとのことだ。退院して自宅のベッドで過ごしたのは、わずか半日あまりだったそうだが。それでも「連れて帰ってよかった」と著者は書いている。
どのように「死を迎えるのか」、どのようにして「愛する人を看取るのか」。それてとても難しい問題だ。どんなに考えても、納得のいくようにはならないと思うが、それでも考え続けたいと思う。
この『「看取り」の作法』の中には、たくさんの書籍が紹介されている。もう既に公民館に「予約カード」を提出している。
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