今朝は何を書こうかと思い悩み、「書くことがない」ことに思いあたった
昨日の夜に我が家の酔芙蓉の朝と夕方の写真をアップした。何とも下手な写真で、アップすることを躊躇したが、最後は証拠写真だからと割り切ってアップした。要は朝は白いが、夕方には「酒に酔ったように」ピンクに染まる酔芙蓉のことを書きたかっただけなのだが
その酔芙蓉は「一日花」、とても儚い。その儚さを恋になぞらえて書かれたのが高橋治の名作『風の盆恋歌』(新潮社刊)だ。そう言えば「恋愛意識調査! あなたの恋年齢はいくつ!?」というのがあり判断してもらったら、その結果は、『臨機応変に心を変化させられる……恋年齢も自由自在!』とでた。「恋」とはどういう状態を言うのだろうかと、少しだけ考えてみたりもした。そんな時に、山本周五郎の以下の文章が頭浮かんだ。
『この世で経験することは、なに一つ空しいものはない、
歓びも悲しみも、みんな我々によく生きることを教えてくれる』
(山本周五郎『花匂う』より)
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