10月も半ばなのに、何だか寒い。去年は10月の酷暑の泣かされたのに、ずいぶんと違う。
異常な気象に泣かされているのも近年だ。これまでの地震と台風の被害に加えて、近年は甚大な水害被害が全国に広がっている。晴れの国・岡山でも、一昨年の水害の爪痕は激しく、まだ完全には復旧できないでいる。
この年の水害の際には、我が家の横は通行止めとなり、もう少し雨が降り続いたら我が家も水に浸かっていたと、未だに恐怖に震えている。まさに、すれすれ、どうにか被害を免れた。
我が家は「地域防災マップ」によると、2~5㍍の洪水浸水想定区域内にあるという。一昨年の経験もあり、昨日開催された地域の避難所の事前の見学会へ参加した。参加者には非常食も用意されていた。
にしても、水害がないことを、甚大な被害がないことを心から願った昨日だった。
我が家はご近所の農家さんが、月に一回程度お米を届けていただいている。そして、昨日は新米が届けられた。新米は、何だか嬉しい。
そしてご持参いただいた方から、「稲も買って残しているので、早く行って乾かすために山にしたら」と言われた。稲わらはお野菜を育てるのに不可欠。早速行かねば。
昨日は寒かったけど、雲一つないまさに秋晴れ。食べるものも美味しく、まさに秋がいっぱいだ。
昨日徳島にある瀬戸内寂聴記念室に行きたいと書いた。大佛次郎や野上弥生子記念館を初めとして、私は結構いろんな作家の記念館を訪れている。
しかし、それはその地を訪れた際に、やはりと行く場合が多い。例えば、昨年松たか子の舞台「Q」を観劇するために小倉へ行き、松本清張記念館を訪れたように。
しかし、わざわざ訪れたこともある。その一つが、長崎にある遠藤周作記念館。その著書『沈黙』に感動し、そのモデルとなった地を見下ろすように建ったいる記念館は、どうしても行ってみたくなったから。一泊で行った。
そんなことを思ったのも、昨日の「読書ルーム」で、遠藤周作著『最後の花時計』を読んだから。この本、産経新聞に連載されたエッセイが収録されている。本の帯には「命終に至る日々の生の記録」とあり、「看護婦さんにもっと光を」などの心優しさにふれて、しばし我が心を休めた。
何度目かになるが、名作『沈黙』を読み返そうかと思うが、今の私にその体力・気力はあるのだろうかと思ったり。そんな朝。