伊藤比呂美著『父の生きる』を読んだ、人が生きるということはとても切ない
詩人である伊藤比呂美さんが、住んでいるカリフォルニアと実家のある熊本を行き来しながら、母を、そして父を看取るまでの遠距離介護の苦しみを描いたエッセイ『父の生きる』(光文社刊)を読んだ。実に心打たれた。人が生きるということは、とても切ないことでもある。そして家族の愛は、そんな切なさを温めてくれる。実に素晴らしい一冊。少しだけ、抜き書きすることをお許しいただく。
(父)「仕事ないから終わんないんだ。つまらないよ。ほんとに。なーんにもやることない。(中略)いつまでつづくのかなあ。(中略)とにかくもう生きるのにも疲れた。死なないんだから困ったもんだよ。(中略)だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら、死因は『退屈』なんて書かれちゃう」。
(娘)「やがて死ぬ。それは知っている。でもやっぱり怖い。死ぬのは怖い。死はどんどん近づくが、どんなに近づいてもやっばり遠い。その怖くて遠い道を一人で歩いていく。一歩一歩、重たい足を引きづりながら。そこにたどり着くまで、一日また一日を生き延びる。その孤独を、その恐怖を、娘に打ち明ける父であります」。
(娘)「人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死ぬ。それまで生きる。それをただ見守るだけである。でも重たい。人ひとり死ぬのを見守るには、生きている人ひとり分の力がいるようだ」。
(娘)「父の悪いところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いの裏に隠れているのだ。父の本質は、私を可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、私が頼りにもしてきたおとうさんだ」。
懐かしい想い出がある「アンリュール」、新装なったお店でランチを楽しんだ
岡山ビブレが今、「35年分の感謝を込めての閉店セール」を開催している。ビブレのバーゲンで、長蛇の列ができていた頃が懐かしい。その岡山ビブレの一階にオープンしていたのが「アンリュール」。ケーキのお店で、お茶もできた。そのアンリュールで、憧れていた女性と一度だけお茶をしたことがある。これも懐かしい想い出。
そのアンリュールが、あけぼの町に移転した。その際、店主さんは「やっとやりたいお店が開ける」と言われていたのを、今も懐かしく思い出す。そのあけぼの町のお店で、時々ランチを楽しませてもらった。
その「アンリュール」が、今年の1月に完全リニューアルして、オープンしている、外観も店内も、そしてメニューもまさに一新していた。やっと行けた昨日は、ランチ時であり駐車場は満車。店内も満席だった。イートインの出来る店内はとても明るい。以前とは大違い。
そして、ケーキは変わらずだが、パンの販売はなくなっていた。ランチでのパンの食べ放題もなくなっていた。ランチメニューは三種類。ランチとともに、モーニングも売りらしいが我が家からは遠くて無理だ。悩ましい。