友人との語らいの時間、時代に対する敏感さだけは失わずにいたい
昨日はお願いしていたものを受け取るため、「珈琲館プラス」で友人と会った。コーヒーだけを頼めばいいのに、どうしてもケーキも注文してしまう。我慢できないのが、我ながら情けない。
そしてお茶をしながら、しばし雑談した。友人は、まだ若く現役バリバリで働いており、話題はどうしても職場のこととなる。「早く辞めたい」、そんな言葉が出てくる。
それでも、そうした言葉の端々に、第一戦の現場で働いている誇りや喜びがかいま見えてくる。「毎日が日曜日」の身には、その友人のシンドサを語りつつも、生き生きとやりがいを語る姿に、少しだけジェラシーを感じてしまう。
私自身「毎日が日曜日」となっても、少しだけでも社会のお役に立ちたいと願っている。そして同時に、今を生きる人間でありたいとも考えている。そのためには、時代に敏感にと新聞を読み、国政・自治体行政そして地域のことにも関心を持ち続けていようと思っている。また書店の棚の変化にいつも目を向けて、今の時代の国民的関心事の動向を知るようにと心がけたいとも考えている。だが実際には、義理と恥と人情を欠き、自堕落を絵に描いて生きている。トホホ、だ。
そんな中、今日は独りでゆったりとカッファでお茶した。お店のおすすめの「ヘーゼルナッツ ウィンナーオーレ」を楽しんだ。一口目の甘さに感動した。こうした時間は、「毎日が日曜日」の身であればこそ持てる時間だ。