「エンディングに関する本」を読み続け、少しずつ思いを整理
直葬; 「葬式をしない葬儀の形態を言う。死亡後、斎場や遺体保管施設に24時間保管した後、いわゆる葬式をしないで直接火葬に処するもの。火葬炉の前で僧侶等により簡単に読経をあげてもらう等の宗教儀礼をあげてもらうことはある。2000年以降に都市部で急激に増加した形態で、東京では15~20%、全国平均でも5%程度あると推定される」(『現代用語の基礎知識2007』・自由国民社刊)
昨日は長い時間を大学病院で過ごしたが、その間読んでいたのは我が逝き方だった。病院にいると、病気と闘っていらっしゃるたくさんの方々と出会う。それが子どもたちの場合には、とりわけて心が痛む。我が友人達も、少なくなく病魔に冒され、厳しい状態となっておられる方も、ないではない。
ともあれ、昨日の長い待ち時間のためにと持参した本は、このところ読み続けている「自分らしい逝き方」やエンディングに関する本で、こうした本は公民館経由で市立図書館から借りている。
この傾向のものをたくさん読むが、その多くは「今の時代のお葬式は何故高いのか(安くお葬式は出せないか)」、「戒名料は何故高いのか」、「遺言書の必要か」などの問いかけのものが多く、「自分らいしい逝き方」を探る本というのはそんなに多くはない。
それにしても、病院で「エンディングに関する本」を読んでいると、決して元気は出てこない。正直暗い気持ちになってしまう。それでもたくさんの本を読んでいると、結構自分らしい最後について、イメージしてその対策を考えることができている。ただ、いつも書くことなのだが、死は突然訪れることは間違いなく、そろそろ自分自身の最後について書き残す「第一稿」を書き始めようと考えている。葬儀・告別式は無用とし、誰にも知らせず家族だけで送ってもらうことだけは、現段階で腹を決めている。もちろん戒名はいただかず、今のままでの位牌をと考えている。