-備忘録-
「過去のことは忘れましょう。将来だけを見て仲良くしましょう。
「ノーベル賞も文化勲章も日亜の貢献が大きい。人生短いから、けんかしたまま死にたくない。
「お互い誤解があった。本音で話せば仲直りできる。
「中村教授は15年前に弊社を退職された方で、弊社は中村教授に何かをお願いするような考えは持っておりません。今回、弊社に対する深い感謝を公の場で述べておられ、それで十分。貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるよう祈っております。
上の三つは中村教授のコメントとして報道されたもの。四つ目は日亜化学工業のコメントとして報道されたものである。中村教授のコメントについては、報道がどこをどう切り取ったかはわかならい。
教授のコメントが報道のとおりだとすると、この先生、さぞや日本社会は住みにくいだろう。ただ、このコメントは、取り様によってはかなり上から目線である。そう取られる危険性を理解したうえでの発言か、そうでないかわからない。どのように報道されるか、計算・予見しての発言なのだろうか。何か不器用さを感じるのは、僕だけだろうか。
日亜化学工業のそれも、取り様によっては、「けんかしたままで結構」、「けんかしたまま死にたくないかもしれないが、それはこちらには無関係」という感じである。新聞でもTVでもこんなに「ノーサンキュー」の意志が明確なプレス発表も珍しいのではないか。
裁判を通して争った両者。その争いは日本社会・企業社会に大きな一石を投じた。日亜化学は初手をしくじったのは事実。教授と会社の間に裁判戦略上丁々発止があったことも想像できる。対勤務先の裁判。裁判決着後も、会社には禍根が残ったことは想像できる。少なくとも想像させるような会社側のコメントである。これまでの日本ならば、もうすこしぼんやりとした、あたりさわりのない、オブラートにくるんだようなお断りのコメントが出たことだろう。でも、このコメントはそうは読めない。
なんだかあまり見たくない部分をあからさまにしたやりとりである。でも、グローバル競争社会では、このようなことがどんどん避けて通れなくなるのだろう。2014年ノーベル物理学賞後日談として、いろいろ語り継がれることばのやりとりである。