最近はコルブリか遙桜記の編集版ばかりサイトにアップしている気がする。
しかも編集するだけなのに何だかんだでいくらか溜まっていたり。(意味無いじゃん)
でも話の中の時間軸はさほど進んでいない件。
いわゆる『サザエさん方式』ではないものの、ゆっくり時間が流れるのは話の都合ではなく自分の願望なのではと思ってしまう。
「次はこうしよう」という流れは踏まえていても辻褄を合わせる為とかつい閃いてしまったとかでちょいちょい話を挟むからという理由もあったりする。
漫画を描くのにネームが必要なように、行き当たりばったりの計画性の無さでは更にまとまりのないものになってしまうだろう。
まあ、営利目的でないから自由にできることなのだけど。
しかし、ただつらつらと書くだけでは『話』にならない。
話を作るには意欲が必要。
その意欲を刺激するのは、二次創作においてはやはり『本物』の存在だと思う。
本物が動いてくれればそれに伴って自分の中に眠っていたものが揺り動かされて『形』となって『話』になる。
それを今日のジャンプを読んで改めて思った。
既にほぼネタ切れで花太郎夢も止まったままだったけれど、本誌に出てきてくれたおかげで何かネタが浮かんできた。
私が書いている藍染戦後と原作とではまるきり違うものになってしまったけれど、本物を『パラレル』という形で取り入れるのはまた可能であろう。
取り敢えず溜まっている編集版を片付けてからのことになるだろうけど、何かは書いてみたいと久々に思った。
しかも編集するだけなのに何だかんだでいくらか溜まっていたり。(意味無いじゃん)
でも話の中の時間軸はさほど進んでいない件。
いわゆる『サザエさん方式』ではないものの、ゆっくり時間が流れるのは話の都合ではなく自分の願望なのではと思ってしまう。
「次はこうしよう」という流れは踏まえていても辻褄を合わせる為とかつい閃いてしまったとかでちょいちょい話を挟むからという理由もあったりする。
漫画を描くのにネームが必要なように、行き当たりばったりの計画性の無さでは更にまとまりのないものになってしまうだろう。
まあ、営利目的でないから自由にできることなのだけど。
しかし、ただつらつらと書くだけでは『話』にならない。
話を作るには意欲が必要。
その意欲を刺激するのは、二次創作においてはやはり『本物』の存在だと思う。
本物が動いてくれればそれに伴って自分の中に眠っていたものが揺り動かされて『形』となって『話』になる。
それを今日のジャンプを読んで改めて思った。
既にほぼネタ切れで花太郎夢も止まったままだったけれど、本誌に出てきてくれたおかげで何かネタが浮かんできた。
私が書いている藍染戦後と原作とではまるきり違うものになってしまったけれど、本物を『パラレル』という形で取り入れるのはまた可能であろう。
取り敢えず溜まっている編集版を片付けてからのことになるだろうけど、何かは書いてみたいと久々に思った。