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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【再掲】2019年4月12日聖母の七つの御悲しみのミサ「聖母よ、御身と共に十字架の元に立たせて下さい。マリア様と共に泣くのを許して下さい。御悲しみを私にも分けて下さい。」

2020年09月15日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年4月12日(金)御受難の第1主日の後の金曜日
聖母の七つの御悲しみのミサ
小野田神父 説教

「聖母よ、御身と共に、十字架の元に立たせて下さい。」
Juxta Crucem tecum stare, et me tibi sociáre in planctu desídero.


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聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は御受難の第1主日の後の金曜日です。典礼によると、「もしも七つの御悲しみの信心を行なうのであれば、この七つの聖母のミサをする事ができる」とあります。

そこで今日は、この七つの御悲しみの信心を一緒に黙想する事によって、この御ミサを捧げようと思っています。一体、この典礼はどのように始まったのか、という事を簡単に見てから、七つの御悲しみを黙想する事に致しましょう。

マリア様の悲しみについては、色々な信心がありました。そして色々な名前を持っていました。

特に「七つの御悲しみ」という事で、教会は特別の典礼をする事になりました。有名なのが、1239年の聖金曜日に、マリア様が7人の男性に現れて、「マリア様の御悲しみを黙想する特別の修道会を創って欲しい。マリアのしもべの修道会を創って欲しい」と願われた事、そして特に9月14日の十字架の称讃の翌日には、七つの聖母の悲しみの祝日ができた事、あるいは聖金曜日の一週間前には、マリア様の悲しみを祝う特別の記念日が作られました。

ピオ十二世教皇様の典礼改革、聖週間の改革の前までは、この金曜日は実は祝日で、マリア様の悲しみのミサをしていましたが、ピオ十二世教皇様が、「信心をする限りにはこれのミサを、しかしそうでなければ、マリア様の記念を行なう」という風に決定しました。

では、マリア様の七つの御悲しみを簡単に垣間見る事に致しましょう。

第一の悲しみは、シメオンによって預言を受けた事でした。マリア様の御悲しみはそれ以外にもたくさんあります。七つ以外にもたくさんあります。全生涯に渡って、悲しみと苦しみの連続でした。しかし特に、マリア様にとっての重要な御悲しみを取り上げたのが、その七つで、第一がシメオンの預言でした。

マリア様はイエズス様の全き生き写しで、イエズス様にキリストに倣う完璧な模倣者でしたので、マリア様こそまず、十字架の苦しみに、一番近く立ち留まらなければならない方でした。

シメオンは預言します、「この生まれたばかりの40日後のこの幼子こそが、多くの人々の、イスラエルの多くの人々の滅びと、そして復活の元となるだろう。そしてこの子は逆らいのしるしとなるだろう。」

既にマリア様は、預言者の元后であり、聖書の事を深く知っていましたが、しかし更にはっきりとシメオンによって、「このイエズス様を機会に、イエズス様を拒否する人がいて、イエズス・キリスト様の、イエズス様のその愛と、優しさと、御親切と、その憐れみを機会にして、それを敢えて拒否する人がいて、その為に多くの人々は、イエズス・キリストを信じずに、あるいはイエズス・キリストの教えを受けないが為に、自分の暗闇と罪を望むが為に、自分の生活を改めようとしないが為に、罪を捨てないが為に、自分の道を行く為に光から逃れる為に、暗闇を頑固にしがみつく為に、イエズス様の照らした光を敢えて拒否するが為に、滅びるだろう」と預言を受けました。

「それと同時に」この多くの人々は、イエズス様が原因で滅びるわけではなくて、イエズス様にもかかわらず、それを頑固にも拒むが為に滅びるのですけれども、「しかしそれと同時に、イエズス・キリストが、この聖子が、御自分の苦しみと、そして犠牲と、そして愛と憐れみによって、復活の原因ともなる」とも聞きました。

そして「イエズス様は既に、逆らう、逆らいのしるしとなる。イエズス・キリストを信じるか、あるいは信じないか。キリストに従うか、あるいはキリストに反対するか、反キリストとなるか。世の中はこれによって二つに分裂する。逆らいのしるしとなる。」

「そしてこの『しるし』というのはつまり『十字架』であって、これを受けるか受けないか、キリストを受けるか受けないか、キリストの十字架を取るか取らないかによって分かれる。多くの人々の心の秘密がこれで明らかになる」と預言をされました。

「救い主が来たにもかかわらず、天主の憐れみがこれほど現れたにもかかわらず、天主が人となったにもかかわらず、預言が、預言された通りに救い主が生まれて来たにもかかわらず、それを受け入れない人々がいる」という事を知った、そして「御子を、この幼子を受け入れない、救い主を受け入れない人々がいる」という事の預言されたマリア様の御悲しみ。そしてイエズス様のその御心痛を思う、マリア様の御悲しみ。

イエズス様は私たちに、謙遜と、従順と、貞潔と、清貧と、主の御旨を愛する道を教えようとされます。しかし人々は、イエズス様の十字架よりも自分の腹を、自分の欲望を、自分の考えを、あるいは富を、快楽を、名誉と栄光を、自分の為にかき集めようと、そしてイエズス様を拒む。マリア様はその事を予め知らされました。


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マリア様の生涯は、イエズス様のその十字架が既に、全生涯に渡ってその影を落としていました。その事をよく現したのは、このシメオンの預言の直後でした。

第二の苦しみ。ヘロデが、ユダヤの最高の行政の王が、イエズス・キリストを狙っている。政府当局が、イエズス・キリストの命を狙って、母親の手から奪おうとしている。そして全ての人類の手から奪おうとしている。この幼い、救い主の天主の命を殺そうと狙っている。罠をかけている、という事を知ります。

マリア様のその御心痛はどれほどだったでしょうか。既に十字架の、救い主の死がもう身近に迫っている。聖ヨゼフの夢を通して、また聖ヨゼフの命令を通して、聖家族はエジプトに逃亡します。

マリア様は全く罪の無い方でした。イエズス様も罪の無い方でした。天主の聖子でした。そしてマリア様はエジプトでおそらく、ニュースを聞かれた事でしょう。多くの幼子たちが犠牲となった、母親から取り去られて亡くなった、罪の無い子供たちが殺された、ヘロデの快楽と、ヘロデの地位と安泰を確保する為に、自分勝手の為に。マリア様の御心痛はどれほどだったでしょうか。

また外国での生活、一体何年、どこでどうしたら良いのか分からない。それにもかかわらず、天主に全く委ねたその生活。もちろん天主にとって、ヘロデを亡き者にするのはとても簡単な事でした。しかし「イエズス様をエジプトに逃亡させる」という事を御望みだったその天主様の御摂理、それに従うマリア様。十字架の影は既に、幼きイエズス様に深く染み込んでいました。

第三の苦しみ。マリア様がエジプトから戻って、聖家族がナザレトに行って、そしてエルサレムの神殿に毎年通った時も、12歳になった時のイエズス様は、既に聖父の業をする為に、マリア様とヨゼフ様から離れました。これも3日間の間、マリア様はイエズス様を見る事ができませんでした。あたかも亡くなっていなくなってしまったかのように。聖父の業をイエズス様はする。神殿に残られました。

これも、十字架の上において、聖父の御旨の通り御自分を捧げて、マリア様の目から3日の間姿を消される事の前兆でなくて何でありましょうか。

「マリア様は、イエズス様が仰った言葉が理解できない」と書かれています。「しかし、その汚れなき御心に、その事をいつも留めて思い巡らしていた」と。「私が聖父の仕事をしなければならない、という事を知らなかったのか。」イエズス様は既に、十字架の苦しみのリハーサルを、マリア様になさっていたのでした。

第四の苦しみは、マリア様がイエズス様と十字架の道行きの時に、カルワリオへの道すがら、お会いになった時です。

マリア様はほぼ確実に、そして典礼でも言われている通り、イエズス様の鞭打たれたのを、あるいは他のニュースであるいは聖ヨハネから聞いて、その近くに居たに違いありません。鞭打たれたその御様子を、遠くからご覧になっていたに違いありません。

そしてイエズス様の審判。ピラトによる断罪についても、その始終を聞き、それのその事を、「どうなる事か」イエズス様の事を思って近くに居たに違いありません。他の人の間の中に居たに違いありません。群衆の中に居たに違いありません。イエズス様が全く無罪である、という事をピラトが何度も言うにもかかわらず、人々はイエズス様を、「十字架に付けよ!」と言うのを聞いた、その憎しみの叫びの声、嘘の告発、ユダヤの宗教上の最高の指導者たちがイエズス様を告発しようとするのを見たり、聞いたりした時、どれほど胸が裂かれる思いだったでしょうか。そして遂に死刑の宣告。誰もイエズス様を守る人はいませんでした。

十字架を担うイエズス様。そのイエズス様が通るのをマリア様は敢えて、イエズス様の元に近寄ろうとします。マリア様は決して、イエズス様とお会いになって気絶したり、あるいは泣き崩れてそして倒れてしまうような事はありませんでした。イエズス様をはっきりご覧になって、そして目に涙は溜めながら、しかしその苦しみを捧げておられました。

マリア様は一体何をお考えだったのでしょうか。

イエズス様の、その人類に対する愛と、聖父に対する愛。この人々の忘恩と、冒瀆と、そして嘲りの態度。イエズス様の正義にかかわらず、その聖徳にもかかわらず、しかしその受ける態度の醜さ。天主聖父の御旨。マリア様の心にあった御悲しみと、その観想、黙想の深みは、どれほどだったでしょうか。

マリア様はイエズス様の後を、すぐ近くを歩いて行きます。喚き立てもせずに、イエズス様に対して不正に対して抗議する事もなく、このこれを受け入れて、そしてこの「人類の罪の為に、イエズス様がこの十字架を担っている」という事をよく理解されて、御自分もその苦しみを共に歩かれようとされました。黙って付いて行きました。ちょうど、イサアクが薪を持って、ホレブの山に行こうとする時に、アブラハムがイサアクの隣に一緒に行ったかのようです。私たちの模範を示すかのように、イエズス様のすぐ近くを歩かれました。

第五の御悲しみは、イエズス様が十字架に付けられ、そしてお亡くなりになるまで、ずっと、しっかりと背筋を伸ばして、十字架の足元に立ち留まっておられた事です。

マリア様は、イエズス様のその聖なる態度、御言葉を全て聞いて、見ておられました。ユダヤの司祭たちやあるいはローマの人々、また群衆の態度、悪い態度、嘲り、冒瀆、唾など、暴力も、見聞きされました。イエズス様が服を脱がされる時、十字架に付けられる時、十字架が立てられる時、全て見ておられました。マリア様は、イエズス様がまずそのイエズス様の敵に対して、キリストがお祈りされている事も聞いておられました。十字架の苦しみと、旧約の預言が全て成就していくのも見ていました。

マリア様も、御自分の悲しみを添えて、イエズス様の悲しみの事をずっと思っていたに違いありません。そして罪人の回心の為に祈っていたに違いありません。イエズス様がヨハネを通して、私たち罪人をマリア様の子供にした時に、マリア様は、イエズス様に対する愛とその同じ愛を以て、罪人を私たちの事を深く子供として愛し、そして私たちの為に祈ります。マリア様の養子となった私たちの為に祈ります。

聖ヨハネ・ダマスコによると、「善き盗賊は、マリア様の側に、十字架のイエズス様と自分の間にマリア様が居たので、回心の恵みを受けた」と言っています。

自分の子供がこうやって不正に、残酷な死を遂げるのを見る母親の心は、どれほど辛かった事でしょうか。「マリア様がこの受けた苦しみは、肉体の苦しみよりも霊魂による苦しみだったので、はるかに深いものだった」と聖人たちは言います。「もしも、マリア様の御悲しみをもしも分配する事ができたとしたら、それを何等分かにする事ができたとしたら、そしてそれを生きている全世界中の人々に配る事ができたとしたら、その自分の分を受けた人、全世界の人々は、その苦しみのあまり息絶えてしまうだろう。マリア様の悲しみのほんのちょっと、欠片でも受けただけで、私たちはその辛さのあまり、もう息をする事もできないだろう。胸が苦しくてもう生きていられないだろう。そしてマリア様がこうやって、十字架の元にずっとこうやって立って、そして命を落とさずにいる事ができたのは、天主様の大きな大奇跡であった」と言います。

第六の御悲しみ。マリア様はこうやって、イエズス様の御亡骸を御手に抱き、その御顔、御手、傷だらけの亡骸に、接吻と涙を流して綺麗にされます。御降誕の時とははるかに違った、十字架での御体。マリア様はそれを新しい墓に葬ります。

第七の御悲しみ。第六の悲しみが、マリア様がそのイエズス様の御亡骸をその手にされたとすると、最後の御悲しみは、マリア様が新しい墓にイエズス様の御体を葬られた事。そして大きな石を以て岩を以て、その墓を閉じた事です。

典礼によると、私たちはマリア様にこう祈ります、特に有名なスタバト・マーテルの続誦によれば、こうあります。

「マリア様、御身にお願いします。マリア様と共に、十字架の傍に立たせて下さい。マリア様と共に泣くのを許して下さい。
Fac me tecum pie flere, crucifixo condolere, donec ego vixero.
Iuxta Crucem tecum stare, et me tibi sociare in planctu desidero.

御悲しみを私にも分けて下さい。私の心にもその傷を深くつけてください。
Sancta Mater, istud agas, crucifixi fige plagas cordi meo valide.
Tui Nati vulnerati, tam dignati pro me pati, poenas mecum divide.

マリア様、私にも御身とともに嘆くのを許してください。イエズス様の十字架の苦しみを、私の身に運ぶ事ができるようにして下さい。
Virgo virginum praeclara, mihi iam non sis amara, fac me tecum plangere.
Fac, ut portem Christi mortem, passionis fac consortem, et plagas recolere.

マリア様のこう泣くのを見て、一体誰が、同情の涙を流さない人がいるでしょうか。
Quis est homo qui non fleret, matrem Christi si videret in tanto supplicio? Quis non posset contristari Christi Matrem contemplari dolentem cum Filio?

愛の泉であるマリア様!私にもそのマリア様の悲しみを分け与えて下さい。
Eia, Mater, fons amoris me sentire vim doloris fac, ut tecum lugeam.」

今日は、イエズス様の御受難を崇める為に、まずマリア様に、マリア様の御悲しみを分けて下さいますように、お祈り致しましょう。

「聖母よ、御身と共に、十字架の元に立たせて下さい。」
Juxta Crucem tecum stare, et me tibi sociáre in planctu desídero.

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






私たち人間にとって最も重要な大切な宝物とは?決して失ってはならない価値とは?

2020年09月14日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2020年9月13日、聖霊降臨後第15主日に東京で録画した小野田神父のメッセージをご紹介いたします。

チャンネル登録をなさいますと、新しくアップされた動画の通知が届くので便利です。チャンネル登録は、ここ「SSPX JAPAN 聖ピオ十世会日本」をご覧ください。


教会の第一の関心は、霊魂の救い!人生は1度限りです!主が自ら進んで行われた奇跡。ナイムの蘇った青年は私たちの霊魂のかたどりで、この奇跡には深い意味があるのです。

2020年09月14日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年9月13日は聖霊降臨後第十五主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第十五主日の説教」の動画をご紹介いたします。

今日の主日を聖として良くお過ごしください。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


「助産婦の手記」結語 忠実な母たちに対する感謝の挨拶

2020年09月14日 | プロライフ
「助産婦の手記」
 
53章 結語
 
一つひとつの樹から、私は小さな葉を寄せ集めて、一つの花束を作ろうとした。それは、色とりどりになって来た。まるで人生そのもののように、非常に色とりどりになって来た。この花束を、皆さんの部屋に置いて、しょっちゅう御覧になっていただきたい。いつの時でも、それには、多くの価値ある薬草が一緒に結びつけられていることと信じる。その花束が、一つの長い人生のもろもろの経験を、ほかの人々に対しても、結婚および家庭生活を有効に改革するために役立たせる一助ともなれば、幸いである。
 
私の多彩な花束は、また、こういうことを示すべきである。すなわち、助産婦というものは、自分の職業をば、忠実な社会の母として正しく理解するかぎり、どんなに大きな活動分野が助産婦に対して天主から与えられているか、ということである。この花束は、人々をして、いささか次のことを思い起させる。すなわち、人々はすべて、これらの婦人に対しても、少しくお礼をいわねばならぬということである。
 
そして最後に、この花束は、また、都市および農村の助産婦に対して、自己の職業についての喜びを保ち、かつ新たに蘇らせるべきである。然り、この花束は、母と子に関する自己の任務を正しく理解し、かつ遂行するすべての人々に対する感謝の挨拶たるべきものである。
 
すべての私たちの忠実な母たちに対し、感謝の挨拶を贈る。




聖母の汚れなき御心に捧げられた日本が、いつもマリア様からの祝福と、憐れみと、特別の保護を受けますように

2020年09月14日 | お説教・霊的講話
2020年7月24日(金)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
(大阪でのマーチフォーライフの日)

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父お知らせ


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日、皆さんがミサに与って下さり、マーチフォーライフに参加して下さると集まって下さったので、大変嬉しく思います。私がこう嬉しいのであれば、マリア様はどれほど嬉しい事でしょうか。

その為にまず皆さんに、今日のプログラムを少し説明するのを許して下さい。

私たちは今日は、「天主の御母のお祭り」を大阪で行なおうと思っています。そこではこの日は、ファチマのマリア様の日で、ファチマで起こった事と同じような事をなさそうと思っています。

つまり、ファチマではまず天使が、ポルトガルの守護の天使が現れて、そして子供たちに御聖体を見せて、礼拝させて、聖体拝領をさせて、「罪の償いをしなさい」と呼びかけて、その次に、マリア様がファチマに現れました。

最後には、太陽の奇跡を行なって、雨を止めて、そして平和の約束をしました、「戦争は終わるだろう。」

そしてポルトガルは、多くの祝福を受けました。

今日もそれと同じく、まずこのミサを捧げて、そしてミサの直後に簡単な御聖体降福式を行なって、天使たちが、ファチマで天使がしてくれたように、私たちも御聖体を礼拝して、そして罪の償いをしたいと思っています。

その後に、マリア様は大阪の街に現れて下さるでしょう。もはやマリア様は何度も私たちの御聖堂の周囲に御姿を見せて、私たちの周りを祝福して下さいました。私たちは本当にそれを嬉しく思いました。

今日は大阪の一番大切な御堂筋を、マリア様は私たちを祝福して下さろうと歩まれます。多くの方々がこのマリア様から祝福を受けますように、ちょうどファチマでマリア様がポルトガルを、ファチマで現れたのを通して祝福して下さったように、祝福して下さるようにお祈りします。

そしてまた同時に、マリア様を通して私たちの拙い祈りを、特にロザリオを、できればロサリオを一環を天にお届けしたいと思っています。罪の償いが、多くの無垢の罪のない子供たちが殺されているこの戦争が、この罪が終わりますように、その罪の償いを果たしたいと思っています。

日本の問題は、米軍基地の問題でも、広島・長崎というよりも、今、現実に起こっている戦争の事に目をつぶっては、その他は、私の目からすると、偽善のようなものです。

今、本当に起こっている戦争の事に目をつぶって何も言わないで、政治の話をするのは、本当に命を守ろうという態度ではないように思われます。

教会のもちろん最も大切なのは、「超自然の命を守る事」であって、「超自然の命を救う事」が最も大切な事です。

ですからこの私たちは、罪の償いの為に、マリア様にお祈りを捧げようと思っています。きっと御聖堂の、この今日の最後に、太陽の昇るこの日本の地で、太陽の奇跡を、憐みの奇跡を、マリア様が起こして下さるに違いないと思っています。

おそらく10月13日に仰ったように、「もうすぐ戦争は終わるでしょう」と、私たちに仰って下さる事を祈ります。そしてこの国が、この国に住む、そして世界中の罪のない赤ちゃんたちが守られる事を祈って下さい。そして多くの方々が天国に導かれますように祈って下さい。

今日このプログラムに従って、マリア様にたくさんお祈り致しましょう。

聖母の汚れなき御心に捧げられた日本が、いつもマリア様からの祝福と、憐れみと、特別の保護を受けますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




「助産婦の手記」50章 我が国民の大きな待降節。アドベントリースと幼いキリスト様のための藁の茎

2020年09月13日 | プロライフ
「助産婦の手記」
 
52章
 
あすは、待降節の最初の日曜日である。
待降節。黙想と反省の時期、痛悔と生活の更新の時期。もしヨハネが今日、再びやって来て、彼の『悔い改めよ。』という言葉を、人々の心に呼びかけるならば! 一つの新しい精神が、はいりこむであろうか?
一つの新しい星が、救世主の秣槽(まぐさおけ)の方へ、ベトレヘムへの道をさし示すであろう。
 
待降節。新しい時代が、わが国民のために来るであろうか、黙想と反省の時期が? 人々は、自然法に関する忠実さ、子供に対する忠実さ、純潔の忠実さを再び信奉するであろうか? そうなるならば、外面的な生活改善という話においてもまた、待降節となるであろう。
 
あす、私たちは、待降節を私たちの新しい借家人のところで、一緒に祝うことになっている。それは、よい人たちである、ラウエルさん一家。父親は、職工長だ。母親は、裁縫婦として少し働いている。しかし裁縫をする時間は、あまりなかった。彼女は、いま四番目の子供を宿している。一番上の子は七つ、二番目のは五つ、三番目のは三つだ。その全家族のために洗濯し、繕(つくろ)いものをし、アイロンをかけ、縫物をして、万事がととのえられるまでには、一日が殆んど一ぱいになる。そして子供たちも、少しは母親に相手をしてもらいたがる。晴れた日には、彼女は大抵、一時間ほど子供たちと一緒に野や森を散歩し、自然の素晴らしい事物に注意し、そしてそれを楽しむように彼らを指導する。それから、野外にまだ何か花が見いだされる限りは、彼らは、私への土産に、花束をもって帰って来る。そしてそのお礼に、彼らは、私が林檎を樹から採ってやるのを手伝うことができるのである。
 
私たちは、互いに仲がよかった。
ちょうど私たちは、美しい大きな待降節の花輪(アドベントリース)を一つ束ねようとしていた。このことは、ラウエルさんのところでは、新しいことであった。両親が悦ばしくも、この考えに思いついたのであった。この花輪は、来たるべきクリスマスの前夜の象徴として、待降節中の時日を特別に聖なるものとするであろう。それは、声高らかに叫ばれた「主の道を備えよ!」という言葉を表わすであろう。まだ本を読むことのできぬ子供たちのためにも。
 
間もなく、その花輪は、居間の天井にかけられた。紫のリボンで荘厳に吊るされ、かつ巻きつけられて。そして大きな黄色な蝋燭が、その上に立っている。四本だが、それは待降節中にある四回の日曜日に想応するものである。一個の空(から)の秣槽が、箪笥の上に置いてある。それは、幼いキリストのために中味を整えられねばならぬものである。
 
『お母さん、あれ何とキレイなんでしょう! なぜあの花輪は、きょう、あすこにかかっているの?』
『それは、最初の待降節だから。みんな今、幼いキリスト様をお迎えする準備をせねばなりません。晩に私たちは、一番目の蝋燭に火をつけ、そして待降節の歌をうたうのです。そして幼いキリスト様に、何を私たちはすることができるか、みんなで相談しましょう……』
『今晚、お母さん?』
『そう、今晚―――暗くなってから……』
子供たちは、それが殆んど待ちきれなかった。
『お母さん、まだなかなか暗くならないの?』と、小さい娘のロッテが、もう昼飯のときに尋ねた。とうとうその時が来た。私たちは、みんなその部屋に集まっていた。そこで父親が最初の蝋燭に火をともした。そして私たちは、あの好きな古い歌をうたう、天よ、義(ただ)しき人に露をしたたらせよ……子供たちは、とても、お祭のような気分になった。
 
『きょうは、私たちは、ただ一つ燈火をつけるだけです。なぜなら、まだやっと待降節中の最初の日曜日だから。日曜ごとに、もう一つずつ蝋燭がともされるでしょう。そこで、あんたたちは、みんなクリスマス前夜祭が、だんだん近づいて来るのがわかるんです。私たちが、ますます急いで秣槽を作り上げねばならないことが。
 
あすこに、秣槽は、もう置いてある。でも、まだ全く堅くて空(から)です。そこで、あんたたちは、藁(わら)の茎だの、羽根だのを集めて来なければなりません。いま幼いキリスト様のために、小さな犠牲を一つ捧げる人は、藁の茎を一本取って来ることになるんです。それを、あんたたちは秣槽の中に入れるんですよ……』
『お母さん、もしお母さんが燕麦の餅をつくり、そして僕がそれを食べ、そしてちっとも泣かなければ……それは二本の藁の茎だ、そうでしょう?』と、五つのフランツが、その間に叫んだ。
『そして、もし私がコーヒーに砂糖を入れなければ、その砂糖を、クリスマスに貧民院のカトリンお婆さんのところへまた持って行っていいの?』と、七つのマリアが尋ねた。この娘は、四旬節中に、そうすることが出来たのであつた。
『そうですとも、そうしていいわ。そしてロッテは、もうきかん坊であってはいけませんよ。そして、そのことを待降節の天使たちが見ると、とても悲しまねばならないのです。だからロッテちゃんは、すぐこう言うでしょう、幼いキリスト様のために、わたしは、おとなしくするって。そうすると、ロッテちゃんも、藁の茎を一本、もらえるんですよ。』
『お父さん、なぜ蝋燭は、ちょうど四本あるの?』
『なぜなら、嬉しいクリスマスの日まで、日曜日が四つあるから。』
そこで、一番小さい子でも、その日がだんだん近づくのを知るのである。
『そして、もし四本の蝋燭がみな燃えてしまうと、すぐクリスマスの樅の木が来るの? そして……そして……お母ちゃん、話してちょうだい、それからどうなるの?』
『それは、お母さんには判りませんよ。それもやはり、待降節の天使たちが飛んで行くとき、日曜ごとに、あんたたちのことを幼いキリスト様にお知らせすることに全くよるのです……』
『天使たちも、秣槽の中に沢山藁の茎があるかどうか、のぞき込むの?』
『確かに天使たちも見ますよ。でも何よりもまず、天使たちは、人間の心のうちを見ます。愛と親切心が、その中に沢山はいっているかどうかを……しかし、お母さんは、幼いキリスト様が、ことし、持って来て下さる或るものを知っているんです。』
『お母さん……何?……何?……教えてちょうだい……どうぞ、どうぞ!』
『全く可愛らしい或るもの、小っちゃいきょうだい……』
『あっ、小っちゃい弟?……そうでしょう、小っちゃい弟……』 フランツは全く嵐のように熱望した。『女の子は、もう二人いるのに、僕はいつまでも、ひとりぼっちなんだもの……』
『それは、弟になるか妹になるか、幼いキリスト様は、まだ打ち明けて下さいません。そこで私たちは、それが生れてくるまで、待たねばなりません。』
『お母さん、どうしてお母さんは、そのことを知ったの。』と七つのマリアが考え深そうに尋ねた。その間に、小さいロッテは、待降節の花輪の燈火を吹き消そうとして興(きょう)がって【おもしろがって】いた。
『なぜなら、一人の天使が、その小さな霊魂を持って私のところへ来たからです。この霊魂は、天主様が私に贈って下さったのです。天主様は、それを搖籃(ゆりかご)の小さなベッドの中に置かせなさったのですが、そのベッドは、天主様が御自身で、一人々々のお母さんの心臓の下に、赤ちゃんのために支度をなさったのです。そのベッドの中に、赤ちゃんが、いま眠っていて、そして幼いキリスト様とその聖天使たちの夢を見るのです。それから赤ちゃんが十分に大きくなると、私たちは、それを普通の小さなベッドの中に置くことができるのです。』
『では、私たちの赤ちゃんは、もうお母さんのところにいるのね。』とマリアが言った。そしてこの愛らしい秘密について、何ものかをうかがい知ることができるかのように、母親に非常にぴったりと寄りそうた。
『そうです。赤ちゃんは、もうここにいますよ。そして私たちは、赤ちゃんがいい子で、正直で、そして丈夫でいるように、これから毎日赤ちゃんのためにお祈りしましょう……』
『お母さん、なぜ天主様は、赤ちゃんを直ぐに贈って下さらないの? 天使は、赤ちゃんを直ぐお母さんのベッドか、お父さんのベッドかへ置くことができるんでしょうに……』
『あんたは、もう覚えていないの、美しい花が庭で咲いて出るが、その元の種子は、どんなに小さいものだったかということを? 赤ちゃんも、そんなに小さいんです。そして、そのお母さんは、天主様がその種子を植えつけなさる土地なのです…』
『私も、いつか、そのようにお母さんのところにいたの?』
『そうですよ。この子供たちは、みんな、一度は自分のお母さんのとこにいたものです。だから母と子たちは、またそんなに親密なのです。』
『そしてお父さんもね…』とその娘の子は言って、そして腕を両親に捲(ま)きつけた……
 
待降節。蝋燭は、つぎつぎと燃えて行った。どの土曜日の晚にも、その家族は、ほんとに嬉しい思いをいだいて、暫らくの間、一緒に坐っていたし、そしてどの日曜日にも、自己教育と自制への熱意が新たに燃え立たされた。子供たちは、クリスマスの日がますます近づいて来るのを知った。そしていつでも実際的な性質のフランツは、もっと多くの藁の茎を秣槽の中に入れるために、父親から数本のシガレットを、うまくだまして取り上げたのである。
 
『お父さん、もしあんたが、いまシガレットを吸わなければ、藁の茎を一本お供えすることになるのでしょう……そして僕は、それをクリスマスに貧民院のミヘル爺さんのところへ持って行ってやるんです。』
『子供たちが、我々を教育しはじめましたよ。』と父親が私に言った。そして息子の気に入るようにしてやった。
 
最後の待降節の日曜日の翌日の夜、男の子が生れた。それは、どんな喜びであったことか! 実に黄金色をした元気な子供! そのため、玩具のことなんか、すべて忘れられていた。私たちは、この小さな地上の市民を、お祭りのように迎えるために、四本の待降節の蝋燭をともして置いた。そしてその大きな赤い蝋燭の間に、小さな白い蝋燭を立て、そして銀色の小さな鈴を幾つか花輪にかけておいた。それが鳴って、クリスマスの祭日の開始を告げるのである。今夜、幼いキリスト様がお出でになる……!
『小っちゃい弟がもうここにいる。そして幼いキリスト様がお出でになる!』と子供たちは競って歓呼した。夕方、私たちは、クリスマス・ツリーをお母さんの部屋に置いた。小さな秣槽をその下に。絵本を一冊、玩具箱を一つ、人形を一つ、それから饅頭と林檎と胡桃を盛った皿、それになお、冬季用の暖かい小さなジャケツと、色とりどりの毛糸で刺繍した子供帽。それらは、今日の観念からすれば、わずかなものだった。しかし、正しく教育された子供たちにあっては、それは、大きな喜びを与えるにあまりあるほどであった。全く非常に多くの品物をもって、子供に不必要な願望と熱望とを目覚ますこと、および生活への要求を不適当な方面に導くことは、意味がない。心からの愛をもって与えられたわずかなものが、その目的を達するのである。
 
しかし、最も美しいキリスト様の贈物は、小っちゃい弟であった。それは興味の中心だった。
『いつ、それはスープを作ってもらうの?』とマリアが尋ねたが、この娘は、すでに小さな主婦であった。
『それは、まだスープは飲みませんよ。お母さんのお乳をのむんです。まあ御覧なさい。何という可愛らしいんでしょう……』と、私は赤ちゃんを寝かせながら、それに答えて言った。
『お母さん、私もそうしたの……?』そして母親にぴったり寄りそった。
『赤ちゃんは、みんなそうするんですよ。』もちろん子供たちは、何事でも、なされ且つ言われたそのままに受け入れた。子供たちは、真に無邪気な心で、そのような事物に出くわすならば、決してそれにつまずくことはない。
 
私がその翌日、赤ちゃんにお湯を使わせたとき、家族のものはみんな、風呂桶のまわりに集まった。そんな小っちゃいのが、水をパチャパチャするのを見るのは、とても面白いものだ。マリアは突然質問した。『おばさん、それじゃ、なぜ男の赤ちゃんは、そのように少しちがうの?…』
『赤ちゃんが生れて来ると、お母さんは、それが男の子か女の子かを見なければなりません。 だから、それは少し、ちがわねばならないのです。もし、そうでなければ、私たちは、女の子にハンス名づけたり、男の子にグレートヘンと名づけたりするようなことになるでしょう……』
二三人の兄弟姉妹が育ってゆくところでは、もし真実の親の愛が、小さな巣を支度し、そして、それを保ちつづけて行くなら、その家庭は遙かに温かい。そこでは、すべての祝日は、全く独特な光輝をもつのである。
 
待降節……
全くひそやかに、たとえば初めての春の予感のように、新しい理解が世界を貫いてゆく。世間には、今日まだ美しい真の夫婦がある。その数は少ない。しかし実際に存在する。そしてそれは、酵母のような作用をするであろう。もしそれが純粋に、かつ忠実に保存されるなら。そうすると、そのような夫婦生活からして、より高い価値に対する理解と、新しい理想への努力が、再び国民大衆の中に、しみとおるであろう。そのような夫婦の数は、増して行くであろう、もしそれが持ち続けられるなら。その人たちの上に、その少数の忠実な人々の上に、わが国民の将来と運命とが、かかっている。――それゆえ、それらの夫婦たちは、その生命力が窒息しないうちに、何よりもまず支持し保護されねばならない。そのような家庭で育った子供たちは、愛の真の精神をつかみ、そしてそれを次代へ伝えるであろう。かようにして彼らは、わが国民の大きな待降節を招き寄せることであろう。



 

2020年9月13日聖ピオ十世会司祭による聖伝のミサの報告 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2020年09月13日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

こんばんは!聖霊降臨後第十五主日のミサをお捧げすることができました。

東京では77名が、大阪では24名が、聖伝のミサに与りました。日本全体では、101名でした。天主に感謝いたします。

今日のミサを黙想して、聖歌隊の方がこう感想を知らせてくれました。
自分は聖ピオ十世会の聖伝のミサに与ることで、イエズス様から「起きよ!」と言われて信仰生活に生き返った。今日の福音の青年のようだ。教会と一緒に祈ってくれた方々の祈りのおかげだ。自分もファチマの聖母の言われるように、多く方々の霊的復活の為に祈り犠牲を捧げなければならない。
今日のミサも、入祭文では「主よ、御身の耳を私に傾け給え、私の祈りを聞き入れ給え、我が天主よ、御身に希望する下僕を救い給え。主よ、私を憐み給え、終日私は御身に叫んだ。御身の下僕の霊魂を喜ばせ給え。だったのが、福音の後では、奇跡の後で、
「私は主を待ちに待ち望んだ。そして主は私をかえりみ給うた。主は私の願いをききいれ給うた。私の口に、新しい歌を、我らの天主への讃歌を置き給うた。」
と過去形になって、私は復活して、座って言葉を話し、新しい歌を歌っているようだ。

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計77人でした。

09:00のミサ
男: 18人(内、子供2人)
女: 15人(内、子供2人)
計: 33人(内、子供4人)

11:00のミサ
男: 11人(内、子供2人)
女: 10人(内、子供3人)
計: 21人(内、子供5人)

12:30のミサ
男: 12人(内、子供1人)
女: 16人(内、子供2人)
計: 28人(内、子供3人)

3回のミサの合計(ダブルカウントの5人を除く)
男: 39人(内、子供5人)
女: 38人(内、子供7人)
計: 77人(内、子供12人)






2020年9月13日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for September 13, 2020

2020年09月13日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック
年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2020年9月11日(金)12日(土)13 日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 9月11日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 9月12日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 9月13日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 9月14日(月)  06:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では9月13日(日)のみ会場を変更してミサを捧げる予定です。この主日だけで後は通常に戻ります。ご注意下さい。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ

9月13日(日)主日ミサが三回捧げられます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of September 13, 2020.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live

11:00 - Low mass
12:30 - Low mass

It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses. For your information, Sunday mass attendances were as follows:

Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)

Map and directions: Please see the pdf file.

Mass schedule in OSAKA:

Fri, September 11: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, September 12: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, September 13: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, September 14: Holy Sacrifice of the Mass at 06:30 am.







東京では9月13日(日)のみ会場を変更してミサを捧げる予定です。この主日だけで後は通常に戻ります。

2020年09月13日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

こんにちは!9月12日、聖母の御名の祝日おめでとうございます!

ところで今回の東京のミサ会場にご注意下さい。

東京では9月13日(日)のみ会場を変更してミサを捧げる予定です。この主日だけで後は通常に戻ります。宜しくお願いいたします。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ


For the next Sunday only, the masses will be celebrated at Iriya Hall.

Mass location (Sept. 13 ONLY):

Iriya Hall 3F

Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro

Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)

Please refer to the attached file for the direction to this mass site.

[Advance notice to all: Starting with the following Sunday, Sept. 20, we will move back to Akebonocho Kaikan.]





今日の富士山

2020年09月12日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

明日の東京でのミサ会場(入谷ホール)にご注意下さい。明日だけ変更になっております。

今日の富士山です。























「助産婦の手記」49章 一滴の蜜をもってすれば、一樽の酢をもってするよりも

2020年09月12日 | プロライフ
「助産婦の手記」
 
51章
 
初雪が降ったとき、青年教師のウェルネルは、週末に山地へ行った。彼は長年にわたる戦争の後に再び得られた自由について非常に喜んだので、すべての人々が心の底より善良であるにちがいないかのように思われた。その山頂の十字架の傍らで、日曜日の御ミサのために準備がなされた。このことをウェルネルは、喜んだ。それは、この世の騒がしさと争いとを高く超越していて、非常に荘厳であり、かつ、天なる天主に近づいているものであった。
 
しかし、彼らが山小屋の中で心地よく一緒に坐っていて、そしてラム酒を入れたお茶が、脚の高いコップの中で湯気を立てていたとき、一つの影が、その喜ばしい連中の上に投げかけられた。それは、最後のお客として、やや遅く秘書のラインハルトが、一人の女性を伴って来たのであるが、その女は、彼に対して厭らしいほど親しげに振舞った。ラインハルトは、ウェルネルと一緒に捕虜を解かれて帰って来たのであった。彼はウェルネルと、ちょうど今ここで出会うことは、明かに愉快なことではなかった。果せるかな、ウェルネルは、早くも青年らしい無遠慮さをもつて、露骨に言った。『おい、君は全く非道(ひど)い奴だよ。奥さんと子供たちを家に置いて、ほかの女と一緒に出掛けるなんて。それも故郷の土を再び踏むか踏まないうちにだ。』
『家内は、僕のために割く時間はないんだよ。あれは、もう僕を必要としないんだ。』と、話しかけられたラインハルトは、著しく腹を立てて答えた。『もし、僕が山地へ一緒に行かないかと尋ねると、こう言うんだ。ああひとりで行きなさい。私は行く気はないわ、とても疲れているんだからと……そのくせ、僕が週末を、ひとりで馬鹿のようにぶらつくことはないだろう、ということぐらいは、ちゃんと判っているんだ。』
『しかし君は、ここで僕たちと一緒になることが出来ることは判っていたくせに……』
ラインハルトは、それを故意に聞き流して、つづけて言った。
『ウェルネル君、君は結婚していないことを喜びたまえ。女なんて、もう碌(ろく)なものではない。彼女たちは、長い戦争によって、みな堕落している。そうだ……そうでなくても、変わって来ている。我々如きものは、不用なものとなってしまったのだ。彼女たちは、すべてを自分で決定することに慣れている。例えば、こうだ。わたし今晚、映画へ行くわ……わたしの女友達が一人、あすの晚来るのよ……あなた、自分の長靴は、自分でよく磨けるでしょう。わたしよりも、時間をよけいにもっていらっしゃるんですもの……などと言った調子だ。僕はもう、それは一体、僕の家なのか、それとも家内の家なのか、わからないんだよ……』
『それは、戦争中にそうなったのですね。』と、ある一人が、考えながら言った。
『女たちは、戦争中、すべてを自分で決めねばならなかった。そして我々の忠告を聞くことも、また我々の助けを求めることもできなかった。そして彼女たちは、勇敢にそれをやってのけたんだ。』
『そうだ、もちろん、君はまだ妻帯していない。それは、傍観するには興味があろう。しかし、女のこの独立性というものは、消えうせてしまうべきだ。この独立性に会うと、何のために我々は帰郷したのか、もはや全然わからぬのだ……』
『ねえ、僕にも言わせてくれ給え。僕は、家内と直きに具合よく行くようになったよ。我々の間には、何一つ喧嘩口論の種はなかった。』とバルチュが言った。『二三日間、僕は家内に、母親のように僕を世話し、そして休養させてくれるように頼んで、その御嘉納(ごかのう)を得た。しかし、それから僕は、ある土曜日の晩に、家内と一緒に家のベンチに、全く気持よく、親しげに腰をかけ、そして言った。さあ、お母さん、いよいよ僕は、再び家庭の主人だ、そうじゃないかね。そこで、お前は再びそれにだんだん慣れるようにせねばならない。お前は、長い間ずっと勇敢にやって来てくれた。僕は、そんなことが全体、可能であろうとは、決して考えてはいなかった。そして、どんなにお前が母と協力して農場を整頓して置いてくれたかということを、いつもただただ驚かざるを得ない。これについて、僕はお前に一生涯中、感謝する。もし君たち婦人が、そんなに勇敢でなかったなら、我々は子供と一緒に多分今頃は、ほかの多くの人たちと同様に、大道の上に立ちん坊をしていなければならなかったであろう。しかし、君たちは、その代りに、今は楽をせねばならない。そして多分、もう一人、子供も出来るだろうね……』
『おおあなた、もう子供たちは、あんなに大きいんですよ。』と、彼女は少し驚いて言った。しかし、全く拒絶するような様子ではなかった。
『もう一度、結婚式を、ほんとに全く静かに、我々二人だけで祝うのは、美しいことじゃなかろうか、お母さん……もう四年間も、我々は一緒にいることはなかったんだ。そしてあすは、実に日曜日だ……』
『そうだとも、夫は一家の首長だよ。』とラインハルトは、苦々しげにあざけった。『そのことについて、長い夜な夜な、美しい夢を見る。そして君は奥さんを腕に抱こうとする、奥さんは身を退ける。もう一遍、赤ちゃんを育てることを始めるのは、たまりませんわ、とね……』
『そのことは、やはり、夫の不在中、何年間も家族を養い、すべての仕事をひとりでやらねばならなかった婦人にとっては、そう簡単なことではないね。僕は、婦人がまず第一に重荷を下ろして、息を吹き返そうという気になることは、至極もっともなことだと思うね。もし君の奥さんが清らかに君を待っていたのなら、大いに喜びたまえ。それは、誰にでもそううまく行ったわけではないよ。』
『なぜ妻は、一度だって映画を見に行ってはならないんだろう? また、訪問を受けてはならないんだろうか?…』
『そんなことはないさ。もっとも、彼女は、可否を尋ねることはできる。しかし、勝手に自分でやってはいけないのだ……』
『おやおや、僕なら、君なんかを絶対に亭主に持ちたくないね。よくもそんなに度量が小さくなれるものだね……』と、きめつけた。
『だが、そこには、確かにもっともな点があるね。』とバルチュが慰めた。『調子は音楽を作る! もし妻が、あなた、あす、わたし映画へ行ってもいい……、と尋ねれば、すべてが好調であり、そして彼女はまた目的を達する。しかし、多くの婦人たちは、このことを考えない。しかし我々は、直ぐさま、それを悪く取る必要はないんだ。人間というものは、もし彼が神経質にそんな小さな事柄に注意せねばならないならば、彼は内的価値というものを、あまり多く持っていないもののように、僕にはいつも思われるのだ。まあ、一つ上機嫌でもって、君の方から適当な良い言葉をかけてやりたまえ……とにかく、君の奥さんに喜びを一つ、また一つ、そしてさらに一つ、奥さんにやり、そして良い言葉をかけてやりたまえ。すると、どんなに、このことが奇蹟を行うか、そしてどんなに速く君たち夫婦間の一致が、再び正しい軌道に乗るかということが判るでしょう。
婚姻というものは、実に一つの神聖な秘蹟だ。結婚生活は、もし夫婦の双方に少しばかり善意が存在するなら、詰らぬ事のために、そんなに速く崩壊し得るものでは決してない。そこには、さらに天からの力と光と恩寵とが存在する。しかし、我々は、何が何でも、しょっちゅう、受け取ろう、受け取ろうとしてはいけない。そうではなくて、我々は何を与えることができるだろうかということを考え、そしてそれを行わねばならぬのですよ。それは、最もたやすい、そして最も近い道で、喜びを作るのであり、そしてその道の上では、誰も施しすぎて貧しくなるということはないんです。』
『では一体、どこから、それを持って来るのですかね……?』
『何を、喜びを? 君、それは自分の心構えの中に抱いていなければならないのですよ、するとそれはきっと輝いて出てくる。まあ一つ、奧さんの手から塵捨箱【ゴミ箱】を取って、それを自分で空になさい。少しばかり君の子供と遊びたまえ。まあ一つ石炭を一桶、地下室から運び上げたまえ。道ばたから摘み取った小さな花でも、すでに効果がある。夕食後、君たちが一緒に、なお暫くの間、沈んで行く夕焼けに照らされながら座っていることができるようにするために、器物(うつわもの)を拭く手伝いをしたまえ……君のお母さんのことを想い起したまえ、すると、君に何が欠けているかが判るでしょう……』
『では、君は結婚しているのかね!』と、今やラインハルトが驚いて異議を述べた。
『いや、ウェルネルだけは、まだだよ。我々の婦人たちは、戦争中は、スキーの講習もやらなかった。彼女たちは、ほかに用事があったのだ。しかし彼女たちは、我々を十分に走り廻らせてやることは、我々に喜びを与えるということを理解しており、そして心から我々に楽しみを恵んでくれる。だから我々としては、この信頼を尊重し、そしてそれを濫用しないように努力せねばならないね。』
 
ラインハルトの連れの女は、当惑してそっぽを向いていた。人々は、彼女がこのサークルの中では、全く居心地悪く感じているということを、彼女の様子から明らかに見て取った。彼女の常習的な鉄面皮は、彼女から去った。母への思い、それは今しがた話された最後の言葉の一つによって呼び起されたのであるが、それは、もはや彼女を離さなかった。その母なる善良な婦人は、その娘が困苦と惨めさとによって、正しい道から押し出されないように彼女をよく教育し、そして何ものかを学ばしめんがために、いかに苦心したことであったであろう。そして今、母親は、その子供が教区の青年たちと共に、黙想会に行ったものと信じていたのだ……そのような信頼をこういう具合に濫用するのは、いまわしいことではなかったか? そして彼女は、一体、何を欲したのか? よその一人の母から、天主の御前で結婚したその夫を奪い、よその子供たちから、その父を奪いとろうとしたのである。彼女は、子供のとき、父親がないことを辛(つ)らく思ったのではなかったか? それなのに今や彼女は、すんでのことで、ほかの子供たちを同様に不幸にしようとするところであった……愛からか? いな、冒険心と、よりよい生活への渇望とからだった。彼女は、自分の給料をもっては、あらゆる欲望を満たすことはできなかった……今や、働きつかれ、老いた母親は、きっとあすの晚、最終列車まで、冷たい台所に坐って待っているであろう。そして汽車が、ほどなく着く頃に、娘がよく温まることができるように、はじめて火をつけるであろう。そしてコーヒーのコップが一つ、帰宅の際のために用意されて立っていた。それに一切れのお菓子……母親がどこでそれを求めたのか、判らない……そうだ、彼女は、常に娘に喜びを与えようと心がけていた……それなのに彼女は……
その娘は、そっと立ち上がり、そして青年教師のウェルネルの方へ、すり寄って行った。『あの冒険家から私を救って下さい。』と彼女は低いで頼んだ。後は、殆んど目に見えぬくらいに、彼女へうなずいた。
 
この同じ晚、私もまた訪問を受けた。ラインハルトの奥さんは、心の変わった夫のことを悲しげに訴えた。彼女は夫に向って、家で子供のそばにいてくれるように希望したのであった。それなのに、彼はひとりで山に出かけた。しかも恐らく単独ではないようだ。事務所の娘も駅の方へ行ったと、ワインベルグ奥さんが彼女に知らせた。
私たち二人は、長い間、一緒に坐っていた。私は、事情がよく合点がゆくように、彼女に説明させ、心の不満を訴えさせた。人をして思う存分に打明け話をさせることは、私たちが誰にでも与えることのできる唯一の救いであることがたびたびある。しかし、最後に私は言った。
『ラインハルト奥さん、私には、どうもあなたが、御主人の気持を正しく理解していらっしゃらないように思えるんです。御主人は、あなたが、もはや自分にすがっていないのに釈然とすることができないんです。ですから、御主人に少し気に入るようになさいな。いいですか、私ならこう言うでしょう、「どう、あなた、わたし映画を見に行っていい? あなたは大へん御親切だから、切符を一枚買って来て下さらない、私がわざわざ買いに出かけるのは大変ですもの。」と。あなたは、調子は音楽を作るってこと御存知でしょう。』
『でも、あなたは、ずるいお方ですよ!』とラインハルト奥さんは驚いた。『あなたが結婚していらっしゃらないなんて、惜しいことですわ……』
『私がもし結婚していたとすると、欠陥が時々どこにあるかということを、そんなによく知ることができるかどうか判りませんよ。このことができるのは、大抵ただ自分がその渦中に立っていないで、いわば、それを超越している時だけですね。』
『でも、あす主人が帰って来たら、私は本気で話をせねばならないんです……』
『いや、ラインハルト奥さん、やり方をお変えなさいよ。最初のひと言で、御主人は忽ち頑固になり、そして、すべては石のようになって、ますます悪化するでしょう。あなたは、香料を加えた一杯の燗酒(かんざけ)【あたためた酒】か、または、それに似た何かを作り、それに、ちょっとしたものを添え、そして、それを暖かいストーヴの上にかけて置きなさい。それから御主人がお帰りになるのを待っていらして、そして、あちらの方は素晴らしかったかどうかをお尋ねなさい。そして御主人さんがベッドにはいる前に、よく身を温まらせねばなりませんよ……』
『あら、ブルゲルさん、するとあなたは、またもや直きに、私の出産予定を書き留めることができるんですわ。主人は、もう三人だけでも苦しんでいるのに。』
『そんなに心配なさいますな。御主人は、四人のために、またもや苦しまれることでしょう。御主人は、それに十分値(あたい)するんです……今度出来るお子さんは、多分あなたの夫婦関係を再び正しく取りもどす祝福の子となるでしょう。しかも、今は、待降節にはいろうとしています。マリア様は、天主の御旨に従おうとする愛情の深い気持をもって、私たちに幸福をおもたらしになったのです。そして一人一人の母親は、まさに自分の子供を通して天主の国の建設に協力することができるのです。というのは、子供たちを新しい肢(えだ)として、キリストの御体につぎ合わせるからです。私には、こう思われるのです。母親というものにとっては、待降節にはいろうとする時よりも、もっと美しい時は決してないのだと。』
 
この家庭でも、再び事情は好転した。一滴の蜜をもってすれば、一樽の酢をもってするよりも、より多くの蠅を捕え得るものである。




【再掲】330年前、1683年9月12日ウィーンでの勝利

2020年09月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今から330年前の1683年9月には、第二次ウィーン包囲戦がありました。
神聖ローマ帝国の首都であるウィーン、またオスマン帝国に対峙するキリスト教世界の東の要所としてのウィーンにおける攻防戦でした。以前はキリスト教の中心地の一つであったコンスタンチノープルはイスラムに攻撃され、1453年5月29日イスラムの手に落ちました。コンスタンチノープルはイスタンブールとなりトルコのオスマン帝国の首都となっていました。
 1683年、オスマン帝国はイスタンブールを基地として、西方のキリスト教世界の首都に大攻撃を仕掛けました。
 キリスト教世界を、異教徒らの攻撃から外部から守り、異端者らの攻撃から内部から守るという使命を持っていた神聖ローマ帝国皇帝は、その当時、ハプスブルク家の皇帝レオポルト一世でした。ウィーンは自分の住む居住地でもありました。
 当時のフランス王ルイ十四世は、レオポルトよりも強くローマ皇帝を助けることができたのですが、そして教皇インノチェンテ十一世がルイ十四世に援助を求めていたのも関わらず、それを断ります。ウィーンは、ポーランドの王ヤン・ソビエスキによってきわめて劇的に救われたのでした。そしてウィーン市民たちが聖クララのアブラハム神父(Abraham a Santa Clara)に励まされて守ったのでした。エルンスト・リュディガー・フォン・シュターレンベルク(Ernst Rüdiger von Starhemberg)が、神聖ローマ皇帝レオポルト1世からウィーン防衛司令官に任じられていました。

 オスマン帝国は、1672年6月にポーランドに攻撃をかけたとき、弱いミハウ・ヴィシニョヴィエツキがポーランド王でした。(二年後にヤン三世ソビエスキが王位に就きます。)オスマン帝国の大宰相カラ・ムスタファ(Kara Mustafa)は、ポーランドからウクライナを要求しましていました。軍司令官としてヤン・ソビエスキがウクライナに行きオスマン帝国と戦争し、教皇クレメンテ十世は他のカトリック君主たちにポーランドを助けるように要請しました(答えは無し)。1676年、ミハウの死後、ソビエスキが王に選ばれました。

 1682年5月13日、オスマン帝国の第19代皇帝メフメト四世は、大宰相カラ・ムスタファにウィーンを占領するように命じて聖なる「予言者の旗」を渡しました。もしウィーンを手に入れれば、神聖ローマ帝国に対する勝利であり、その影響は計り知れないものがあります。7月13日にはオスマン帝国の大軍はウィーンに到着します。14日にはトルコの大砲がウィーンの城壁を攻撃し、26日にはウィーン市の道路でフォン・シュターレンベルクが戦いを交えています。8月初めには、ウィーンは完全に包囲されてしまいました。

 神聖ローマ帝国皇帝レオポルトはソビエスキにウィーンを守ってほしいと要請すると、すぐに自分から軍を率いてワルシャワを出発しました。7月22日にウィーンの防衛は首都ワルシャワの安全よりも重大である、と書いています。ウィーンに向かって南に行進し、途中チェンストホーバで立ち寄り祈りを捧げました。8月15日クラクフを発ったソビエスキは、オーストリアやドイツの諸侯と、ドナウ河のトゥルン(Tulln an der Donau)で集合することにしていました。8月23日、ソビエスキは教皇に最期まで戦うと書き送りました。8月末になるとウィーンの城壁内では食べ物が底をついていました。

 8月26日、オスマン・トルコはウィーンの降伏を要求しますが、フォン・シュターレンベルクはこれをあくまでも拒否します。強い雨が降り続け、オスマン帝国の攻撃は鈍っていました。9月の最初、フォン・シュターレンベルクは、ウィーンの城壁はもはや長くは持ちこたえられない、と書いています。9月4日、トルコ軍はウィーン城壁を火薬で爆破し始めます。ソビエスキ率いるポーランド軍は14日間で350キロを行進しました。9月6日、ポーランド軍はトゥルンでオーストリア皇帝軍と合流しています。

 オスマン軍はウィーンの突破口を開きつつありました。守備軍は必死に抵抗し、ウィーンは辛うじて守られていただけでした。オスマントルコ軍は大宰相カラ・ムスタファにウィーンの防御は「絶望的である」と報告します。しかし、フォン・シュターレンベルクもソビエスキも、そうは考えませんでした。ウィーンの城壁内からは聖シュテファン・ドム(聖ステファノ司教座大聖堂)の高い塔から劇的な様子を見守っていました。それと同時にソビエスキはウィーンの郊外カーレンベルク(Kahlenberg)の丘からウィーンの町並みとウィーンを包囲するオスマン軍の様子を見渡していました。

 ヤン3世ソビエスキのポーランド軍と、オイゲン・フォン・ザヴォイエン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan、プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen))の率いるオーストリア軍らは、偵察によりオスマン軍の情報を得て、オスマン軍は数の上で連合軍を上回っているけれども、オスマン軍の一部のタタール軍などはカラ・ムスタファに対して非協力的なこと、カラ・ムスタファの指揮が不統一であること、士気が弛緩していること、防備体制が弱体であることなどを見抜き、9月12日朝6時5分、総攻撃をかけました。連合軍による攻撃の開始は、9月13日が予定されていたのですが、ソビエスキが9月12日に連合軍に総攻撃を命じたのです。

 総攻撃の前、カーレンベルクの丘でソビエスキと指揮官たちはミサにあずかっていました。このミサ聖祭は教皇特使である、カプチン会司祭マルコ・ダヴィアノ神父によって捧げられました。ソビエスキ自身がこのミサで侍者をしました。攻撃の前、ソビエスキはチェンストホーバの聖母に熱心な祈りを捧げました。

 聖母の聖誕(9月8日)の八日間内の主日であった9月12日、この決定的な日にトルコ軍には9万の兵士が、キリスト教軍には7万の兵士が戦いました。夕方6時頃にソビエスキの指揮する2万名からなる重装騎兵がウィーンの丘を駆け下り、ポーランドの有名な有翼重装騎兵がオスマン軍を大混乱に陥れました。偵察によってカラ・ムスタファの本営の位置を突き止めていたソビエスキは、オスマン軍に対して中央突破します。オスマントルコ軍司令部は混乱に陥れられ、1時間ほどの戦闘によって、カラ・ムスタファの軍は散り散りになり、戦場に1万5千の兵士を見捨てたまま潰走しました。キリスト教軍は1500名が戦場で失われました。カラ・ムスタファは着の身着のまま馬を一頭もって逃げ、その他の所持品などは陣地に残されたままでした。(戦いの後、ウィーンの市民たちはオスマン軍の残していったコーヒー豆の袋を大量に見つけ、ポーランド王ヤン三世の将校フランチシェク・クルチツキ(Franciszek Jerzy Kulczycki)がウィーンで最初の珈琲のお店を開いたとのことです。彼がそのコーヒーに牛乳を入れてのみ、マルコ・ダヴィアノ神父を記念してカプチーノと名前がつけられたそうです。ウィーンにはフランチシェク・クルチツキにちなんだ"コルシツキー通り"(Kolschitzky gasse)という道路があるそうです。)

ソビエスキ


 ソビエスキは、ユリウス・カエサルの有名な言葉(Veni, vidi, vici)をもじって、この大勝利を教皇にこう報告しています。Venimus, vidimus, Deus vicit. 私たちはやって来た、私たちは見た、天主は勝利した、と。

 夕暮れで暗くなったために追撃は早々に打ち切られたため、カラ・ムスタファは無事に逃げ延びることができたのですが、逃亡したイスラム軍は、10月9日ソビエスキによってハンガリーのパルカニの戦いによって壊滅させられました。

 戦いに負けたカラ・ムスタファは、1683年12月25日、責任を問われてベルグラードで死刑に処されました。

Von diesen Anhöhen zogen am Morgen des 12. September 1683 Johann III Sobietzki, König v. Polen, der kaiserliche General Lieutenant Herzog Carl v. Lothringen, die Churfürsten Johann Georg III v. Sachsen und Max Emanuel v. Bayern, Fürst Georg Friedrich v. Waldeck, die Markgrafen Hermann und Ludwig Wilhelm v. Baden und andere Heerführer mit den Truppen des Kaisers Leopold I. sowie mit deutschen und polnischen Hilfsvölkern in den Kampf zur Befreiung der von der türkischen Kriegsmacht durch ein und sechzigtagige Belagerung schwer bedrängten Stadt Wien. In dankbarer Erinnerung an den ruhmvollen Sieg des Entsatzheeres die Stadt Wien: 12. September 1883.

 チェンストホーバの聖母マリアに熱心に祈って戦いに臨んだこのソビエスキは、この勝利によりイスラム教オスマン帝国の侵略からキリスト教世界を守ったのです。キリスト教連合軍の総指揮官であるポーランド王ヤン三世ソビエスキは、世界史において最も決定的な戦いに勝利を収めたのでした。これをもってオスマントルコはヨーロッパの侵略を中断します。ヨーロッパ中の王たちは、ソビエスキに祝福の言葉を贈り、ポーランド王とその軍隊は、キリスト教世界の守護者として賞賛を浴びました。(ただ、残念ながら、オーストリアは十八世紀にはポーランドを侵略します。)チェンストホーバの聖母マリア様のおかげで、ソビエスキのおかげで、今でもその昔と同じように、ウィーンには聖ステファノ大聖堂の高い塔が立ち続けています。

聖ステファノ大聖堂


聖ステファノ大聖堂



 福者インノチェンテ十一世は、ソビエスキがこの戦いにおける保護をチェンストホーバの聖母マリアに委ねていたので、このウィーンでの勝利を記念して9月12日を聖母マリアの聖名の祝日として制定しました。

Concede, quaesumus, omnipotens Deus:
ut fideles tui, qui sub sanctissimae Virginis Mariae Nomine et protectione laetantur; eius pia intercessione a cunctis malis liberentur in terris, et ad gaudia aeterna pervenire mereantur in coelis. Per Dominum nostrum Jesum Christum, Filium tuum, qui tecum vivat et regnat in unitate Spiritus Sancti, Deus, per omnia saecula saeculorum. Amen.

全能の天主よ、願わくは、至聖なる童貞マリアの名前と保護とのもとにおいて喜ぶ御身の信者らが、聖母マリアの優しき取り次ぎにより、この世においては全ての悪から解放され、天においては永遠の喜びにたどり着くにふさわしい者とならんことを。

チェンストホーバの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!
チェンストホーバの聖母マリアよ、我らを守り給え!
チェンストホーバの聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!

西方キリスト教世界を救ったチェンストホーバの聖母マリアに感謝!
ソビエスキに感謝!ポーランド軍に感謝!

愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)







「助産婦の手記」48章 継母に関する意地悪い歌!

2020年09月11日 | プロライフ
「助産婦の手記」
 
50章
 
村の端のところに、「森の邸宅」に面して、鍛冶屋がある。それは、この村の最後の家ではあるが、最小の家ではない。鍛冶屋さんは、副業的に少し農業もやっているが、本業として良い仕事を持っている。それは、彼が工場のためにも働いているから、特にそうなのである。大きな経営の中には、いつも何かする仕事があるものだ。最近、彼は鍛冶屋の傍らに、自動車用の補充部品を売る店を増築した。そして、この方面では特に熟練した職人を一人雇い入れた。鍛冶屋は、活動家である。
 
しかし残念なことには、彼はまた、自分の仕事が、そう要求するように、非常に頑固かつ頑丈であった。このことは、彼の鉄敷(かなとこ)【鍛造や板金で、加工しようと思う金属をのせる鋳鉄製または鋳鋼製の作業台。鉄床(かなとこ)】にとっては適していたが、奥さんに関しては、それほど具合よく行かなかった。五人の子供たちは、父親が鍛冶場から帰って来ると、おじけて、あらゆる隅にもぐり込み、息をころしている。況(いわん)や高い声で話をするなどということは、もっての外だ。もしそうすれば、すぐ稲妻が走って火花が飛び散るのである。父の手中に陥るということは、最も気持のよくない事柄だ。このことは、二才になるヤコブでもすでに知っている。父親がまだ本気になってやらなくても、彼の手につかまれると、きっと黒い斑点と青い痣(あざ)が出来る。
 
彼の奥さんは、彼には不似合である。単に外見上からしても、痩せた弱々しい体質の彼女は、彼の頑丈な外観に対して正反対のものであるばかりではない。さらに心情においても、彼女の琴線は、非常に繊細で微妙に張られているため、もし彼の堅い拳がこれに触れると、いつでも非常な不協和音を発して鳴りひびくのである。このことは、残念ながら非常にたびたび起る。奥さんにとっては、その結婚は、絶え間のない、つらい幻滅の連続であった。彼女の抱いていたあらゆる内気な希望と控え目な期待とは、すでに初夜から、粉なみじんになった。『私には、こんな気がしました。ちょうど一人の子供が、小さな熱中した手をもって、クリスマス・ツリーにかかっているピカピカ光る球と、燃えている燈火をつかもうとする。何という希望と幸福の期待でしょう。それなのに次の瞬間には、こわれたかけらと、消えた燈火と、火傷した小さな手より外には、何もないんです……』と、彼女は、いつか自分で私に訴えた。『そして今、人生は私の前に、そんなに灰色に荒涼として横たわっているんです……ただ子供だけが、まだわずかに、光と喜びなのです。可哀そうな子供たち。私はいつも、こっそり、お父さんの頑なさについて、あの子たちを慰めねばならないんです……』
 
こうしたところに、今またもや、六番目の子供が生れようとしている。母親は、よほど以前から、もはや自分の宿命について、訴えも、泣きもしない。彼女は、自分の十字架ののがれがたい重荷の下で、全く静かになっている。喜びの小さな火花の一つだも、もはや彼女の心の中には残っていない。
 
彼女は、子供たちにとっては、実に無くては叶わぬ人であるから、その家の忠実な女中は、彼女に生きて行く勇気を目覚まして置こうと試みたが無駄であった。平安……ただ一度、平安を……これが、彼女の心のうちに、今として、こだまするすべてである。それは、来たるべきものの予感であって、すでに彼女の心に浮んでいた……
 
お産の一週間後に、彼女は意外にも永遠の憩いの中にはいった。心臓衰弱が、彼女の寿命の長さを限っていたのであった。
一番上の子が十才、一番下のがわずかに八日という六人の子供が、孤児として残された。母親の死と共に、彼らの生命の最後の、そして唯一の小さな光が、消え去った。彼らの廻りに残っていたところのすべてのものは、頑(かたく)なで、冷たく、無情な感じのものであった……
しかし、そうではなかった。忠実な心の持主がそこにいて、子供たちの面倒を見てやった。それは下女であった。感動すべき真心をこめて、この単純な素朴な心の持ち主は、子供たちに対して母親の心の代りをした。子供たちは、何一つとして不自由をすることがなかったのみか、再び笑うことを学びさえした。なぜなら、その下女は、人生というものを、奥さんが考えていたように、そんなに煩わしいものとは考えていなかったから。彼女は、全く別の性質の人であり、そして非常に手荒らなことに、もっとたやすく堪えることができた。彼女は、あまり気に入られる必要はなかった――なぜなら、彼女は奥さんではないから――そして素早く殴り返した。彼女は、非常に惨めな愛情の幻滅というものを経験したことがなかったし、また鍛治屋の頑丈さは、それはそれで仕方がないから、我慢することにした。
 
しかし、半年後に、善良なエマは、私に言った。『もうこれ以上辛抱はどうしてもできません。私はもうあの家に留まっていられません――鍛冶屋さんは、違った考えを持っています。ですから、私は、どうしても立ち去らねばなりません。ただ子供たちさえいなかったら……可哀そうなあの子たちは、私をとても悲しませるんです。この後、子供たちは、またもや、どうなることでしょうか?』
子供たちと別れることは、彼女には非常につらかったので、彼女は、そのことを彼等に言ってしまうことは、とてもできなかった。十二本の小さな手、それは彼女をしつかりつかまえていた……さて、この憐れな子供たちは、三日間も村中をかけ廻って、エマを探したが、とうとう彼女がもはや帰って来ないことを観念した。今はじめて、彼らは本当に孤児になったことを感じた。
 
そしてその後の事態は、 私たちが惧(おそ)れていた通りになって行った。どんな下女でも、四週間以上は、その家にいたたまれなかった。その鍛冶屋は、腹立ちまぎれに、ますます荒っぽく乱暴になった。間もなく、もはや誰も下女になり手がなくなった。子供たちは、流浪者の子よりも、ひどいボロを着、ほったらかされていたので、女の地区世話人は、干渉する必要があると認めるに至った。
 
しかし、そうしているうちに、鍛冶屋の眼は、少しばかり開けはじめた。彼は、決してそのことがどうでも構わぬというわけではなかった。そして今や彼は、断然起ち上り、そして、自分の境遇に最も適する唯一の手段をとった。すなわち、彼はエマのところに赴いて、妻になってくれるように願った。天主の御慈悲のために――子供たちのために。自分は、自身でもよく知っているように、非常な乱暴者である。しかし、我々は、とにかく、いつも一緒に何とかしてやって来た。そしてあなたは、私をいかに取扱わねばならぬかをよく知っている。少なくとも、あなたは、以前それを御存知だった。そして、もし、もっと子供が出来ても、自分は確かに何の差別もしないつもりだ……もし必要ならば、まだ半ダースぐらい余計に養うこともわけなくできるだろう……それゆえ、あなたは何の心配をする必要もない。私はただ正式な結婚をしたい……たとえ、私は自分の職業のように荒っぽくはあるが、悪人ではない、と……
 
エマは、十二本の小さな手が、願うように自分の方に差しのばされているのを見た。十二個の悲しげな眼は、母性愛をもって満たされた幸福の中に再び輝くべきであり、六個の人間の霊魂は、不幸から……恐らく破滅から……保護さるべきである……六人の子供たちは、役に立つ人間に育て上げられるべきである……彼女は、遂に承諾した――子供たちのために。彼女は、子供たちを不幸の中に捨てて置くに忍びなかった。もっとも、幻想というものは、彼女は一つも抱かなかった。このことを、彼女は私にそう言っていた。また彼女は、往々夫とうまく行かないこともあるだろうし、また前の奥さんとは性質が違うとはいっても、しばしば、非常にしばしば歯を喰いしばって辛抱せねばならぬことがあるだろうということを知っていた。なるほど彼女は、こう言った。『粗っぽい丸太には、荒っぽい楔(くさび)が適するんです! あの人が突いて来れば、私は突き返してやるんです……』と。しかし彼女は、結婚というものは、結局、そう簡単なものでないことをよく知っていた。夫婦間の最も親密な間柄にあってさえ、妻は夫の乱暴に対しては無力であるということ、それからまた、ふだん、父親に対する子供たちの尊敬心を維持し、父親の権威をくつがえさないようにするためには、子供のことを念頭に置いて、夫を突き返すようなことをしないで、多くの事を堪え忍ばねばならぬであろうということを、よく知っていたのであった。
 
三週間後には、早くも結婚式であった。子供たちは、みんな、二つのヤコブに至るまで、『自分たちのエマ』が帰って来ると聞いたとき、はめをはずして喜んだ。私は、子供たちに、彼女を受け入れる準備をさせ、かつ軌道に乗せる役目を引き受けた。ところが、結婚の前日に、二人の大きな娘の九つのリナと七つのロッテとが、ふだんとは違っていることが私を驚かせた。おどおどし、そして気が沈み、心配して……喜びは、ぬぐい去られたように見えた。何が一体、起ったのだろうか? 私たちは、少し前から子供たちに、今度再び帰って来ようとする彼らの親愛なエマを迎えるために、彼らの心情にふさわしい小さな格言を教えて置いたのであった。その格言の中には、「新しい母」ということに関するものは、一つもなかった。『そのことは、子供たちとエマとの関係から自然に出て来るでしょう。』と教頭は言った。『なぜ、子供たちを前もって新しい概念をもって驚かす必要があるでしょうか? 愛というものが、間もなく子供たちに、エマに向ってお母さんと呼びかけることを教えるでしょう……』
 
私がいま娘たちに、その格言を、もう一度復習させようとすると、リナが反抗した。『今度来るのは、もう私たちのエマでは決してないわ……そうではなくて、継母(ままはは)よ……まま母は、今でも私たちをいじめるのよ……みんな、そう言っているわ……私は、エマを、もうちっとも好かないのよ……』
私がこの驚きから回復しない前に、十一才のフリッツが私に味方してくれた。『ねえ、そんなことは、みな本当じゃないでしょう? エマは相変らず僕たちのエマだよ――たとえ、お父さんのお嫁さんになっても……そうなったからって、エマは、僕たちに意地悪はしないよ……』
もちろん、悪い入れ知恵をしたのは、御親切な近所の人たちだ! 殆んど村の半分が、この子供たちを、何の理由もないのに、新しい母と仲たがいするように煽動するため協力したのであった。今、はじめて私は、それを知った。数日前から、それは子供たちに対し、絶え間のない強迫になっていたのだ。『まあ、待っていな。今にまま母がやって来たら、お前たちは、そこらをうろつき廻らねばならなくなるだろうよ!』
『まま母は、パンの籠をお前たちの手のとどかないところに高く掛けるだろう。食べる物よりは、ひっぱたきの方が多いよ……』
 
この無責任な根拠のない隣人の継母に対する態度は、婚礼がすんだ後も、なおつづいた。エマは、苦しい立場にあった。あらゆる側(がわ)からして、彼女は不信の眼をもって見られた。誰でもが、その継母に対して文句を言い、子供たちを引きつづき、けしかける権利があると感じていた。どうしても必要な一切の教育方法――今まで半ば荒(すさ)んでいた子供に対する――は、直ちに継母的な抑圧であり、悪い取り扱いだとして騒ぎ立てられ、そして子供たち自身も、ほかの人たちから、そのように暗示された。少年保護局にあててさえも、密告があった。たとえ、今までに子供たちは、現在のようにそんなに好い日々を送ったことはなかったといえ、また、たとえ本当の母親でも、子供たちにもっとよくしてやることはできないであろうとはいえ。そして、ある日、エマが妊娠したということが、人々に知れたとき、迫害はその頂点に達した。今や人々は、子供たちを自分の方に引っぱりこむことを恥ともしなかった。『さあ、お前たちは、これからどうなるかってことが、はじめて判るだろう……もしエマが自分の子供を生むというと……』
 
悲しげに、その継母は、私のところで泣いた。そんなに、むずかしいものとは、彼女はその事柄を考えていなかった。『ほかの人たちが、どうか私たちを平安にして置いてくれて、そして自分自身の事柄だけに気を配るようにしてくれたらねえ! そうだと、私のうちでは、万事とても調子がよかったでしょうに。それに今、あの人たちは、子供たちをいつも煽動するものですから、子供を教育することが全くできなくなってしまったのです……こんなわけで、私は、もうこれ以上やって行くことはできません……』
『一体、御主人は、それに対してどうおっしゃるのですか?』
『主人は、全くそれに気がつかないんだと思います。主人は、家の中が不穏で秩序だっておれば、喜んでいるんです……あの人の心には、どんなことでも、そんなに速くはひびかないんです。』
そこで私は、一度鍛冶屋さんを叱って、きめつけた。それは、何といっても彼の心に触れた。鍛冶屋の家では、三週間前から、三人の子供が猩紅熱(しょうこうねつ)で病臥していた。そしてエマは、流石(さすが)のその父親でさえ、その有様を見のがさなかったほどの愛情と忠実さをもって、日夜、子供たちを看病した。父親は、私の話を聞いて、少なからず驚いた。『そうか、それで判った。あの連中がいろいろお喋(しゃべ)りしているとき、彼らは一体何を言おうとしているのかと、私は度々考えていたんだ……エマに注意しなくちゃいけないって。私は、そのために、もう殆んど猜疑心を起しかけていたんだ……もし、もう一度誰かが、私に向って口を開きでもしたら……』
 
二三日後、男連中は、居酒屋『鹿』に集まった。彼らは、あれやこれやの話をした。そして教頭は言った。
『鍛冶屋さん、あんたは大籤(おおくじ)を引き当てましたね。お子さんたちは、全く別人になりましたよ。もし今日、学校でその様子を御覧になるなら――以前とくらべて! 本当に喜ばしいことです。お子さんたちが成績を取りもどして、なおもますます向上している有様は。』
『しかし、継母のことだし……それに、いま自分の子さえ生れようとしているんですから……』と、意地の悪い行商人が言いはじめるや否や、鍛冶屋は早くも彼の襟首をつかんでいた。そして彼を猛烈に揺すぶったので、彼から七つの大罪がことごとく落っこちた……槌(つち)【木製の物をたたく道具・ハンマー】のような拳を、殻の鼻の下にあてがった……
『こん畜生! もう一度、村の誰かがおれの家内の悪口を言ったら……そいつは、奥歯を全部一ぺんに呑み込まねばならんぞ、本当に! 今、おれは継母なんていう言葉は、もう沢山だ! そして、どんなおしゃべり女でも、ちっとも容赦しないぞ……誰かおれにつかまって見ろ! もしお前さんたちのお上さんが、おれのエマが継子(ままこ)によくしてやっているその半分でも、良い母親だったとしたら、そんな嘘っぱちなおしゃべりをする暇なんか、ありっこはないんだ……とっとと家へ帰って、お上さんにそう言いな……』
 
そして彼は、その連中が自分でその場から消えうせようとしない限り、片っぱしから一人ずつ居酒屋から投げ出した。それから、役は、教頭と一緒に家に帰って行った。『どうです、いま、奴っこさんたちは、どんな目に合うか判ったわけでさあ! 何日も前から、私は向っ腹が立っていたんですよ……』
鍛冶屋の家族のものへは、もはや誰もあえて近づこうとするものはなかった。しかし、秘かに、全く秘かに人々は、なおも見張っていた……アルグス(註、百眼を具えていたといわれる神話上の巨人の名)のような眼をもつて観察した……しかし何も後見されなかった。赤ちゃんが生れた。その兄さんや姉さんたちは、喜んでそれを大事にかつ忠実にお守りをした。長男のフリッツも、時々は子守の役を引き受けねばならなかった。たとえ彼は、復活祭このかた、町の実業学校へ通学していたのであるが。――それは、もちろん、彼が継子だからだと、親愛な村人たちは考えたのであるが、もはやそのことを言う勇気はなかつた。しかし母親は、こう言った。
『あの息子だって、そんなに小っちゃい子供の相手をし、大事にそれをお守りすることを学ぶべきです。あの息子は、兄弟としての注意をもって、自分の妹のお守りをすることに、早目に慣れて置くべきです。彼が、後にいつか結婚したとき、よく勝手がわかり、そして妻の仕事と苦労とを正しく理解するでしょう。そして、いつか必要な場合には、妻を助けることができるでしょう……』
 
継母に関する意地悪い歌!
いかに多くの不必要な悩みを、この歌は、これまでに、子と母の心の中にもたらしたことか! いかにしばしばすでにこの歌は、子供の教育を妨げ、または全く阻害したことであろうか。いかにしばしば母親の生活を悲惨にしたことか。いかにしばしば、せっかく孤児の母親になろうと思い立った婦人を引きとめたことであろうか?……
実子を得ることよりも、継母となることの方が、より多くの愛を必要とする。より多くの理想と、より多くの犠牲心とを。継母に関する偏見をもつて、そこに干渉し妨害することは、正しいことであろうか? いかに多くの悩みが、その偏見によって始めて生ずることか。もしそれがなければ、悩みは存在しないだろうに! 煽動されて意地悪くなった子供たちは、母親に対して、あらゆる種類の反抗をする。そして、もし子供がそのようにひねくれなければ取る必要のない教育方法を、とることを余儀なくされるのである――そして、このようにして怒りと失望とは、いよいよ高まって来る。往々にして良くない継母や継父があるからといって、継父母というものは一般にそうだと結論することは正しくない。悪い実父や実母もある。また概して、大事にされない子供というのは、再婚によって親子関係にはいった子供ではなくて、夫婦の一方がその結婚の中に持ち込んだ連れ子である。このことを人は、一度真剣に考えてほしいものである。
 
私は、その人が継母であるということに誰も気づかないような継母たちを知っている。このことは、子供に対する彼女たちの態度の中に、継母であるということが必ずしも現われるものでない証拠である。そして私は、表彰状を第二のお母さんたちに、または孤児の母親になろうとあえてする方々に捧げないでは、この日記を終りたくないのである。




「助産婦の手記」47章  愛というものは、腸詰とは違うものです。

2020年09月10日 | プロライフ
「助産婦の手記」
 
49章
 
『リスベートさん、どうか急いでケラーおばさんのところへ来て下さい。マクスちゃんが病気なのに、お医者さんが留守なんですよ……』と、一人の学童が午後一時頃に走って来て言った。いつまで経っても、こういう具合で、もし医者が不在だと、人は助産婦を呼ぶのだ。人々が私に対して非常な信頼をかけてくれることは、ほんとに嬉しいことだ――もっとも私は、彼らにしばしば真実を全く明からさまに告げ、そして全然彼らと意見が合わないことがあるのではあるが。
 
マクスちゃんは、すばらしい子供だ。金物商の独り息子。ほどなく四つになる。きょう、この子は少し熱があり、頸(くび)が痛む。親たちは心配のため、死んだようになった。きっとジフテリアだろう。彼らは、すでにあらゆる家庭医学書を開けて見た。それは三種類の厚い本だ。しかしどうもよく判らなかった。これらの本もまた、実に一つの人騒がせ物で、人を健康にするよりは、むしろ病気にする。その本の中に、ある一つの病気の徴候が非常に麗々しく書かれていると、すべての読者は、きょうは、この徴候が、あすはあれが、自分にぴったり当てはまることを発見する。
 
マクスの咽喉を見終わるまでは――それは全く大変なことであった。で私は、その子は扁桃腺を少しわずらっていることを確かめたので、湿布をしてベッドに休ませるように忠告した。同時に塩茶でうがいをすることも……
『こんな小っちゃい子供は、まだ、うがいなんか出来ませんよ、まだ大変むずかし過ぎますよ……』と母親は、マクスのために抗議した。それに対して私は言った。『私の小さな姪と甥は、三つの時には、もう、それがよく出来ましたよ。もし人がそういうことを子供たちと一緒に行うと、子供たちは喜んでそれをやり、そして、いざという場合に、出来ていいのですね。』
『明るい日中には、うちの子供はベッドになんか寝ていませんよ。』と、今度は父親も言った。『暖かい部屋のソーファの上に寝かせてやりましょう……』
 
そこで両親は、マクスに湿布をしてやり、そして靴と靴下をはいたままソーファの上に寝かせた。そして母親が戸口から外へ出て行くたびに、 マクスは後から飛んで行った。 冷たい台所へ、鶏小屋へ、穀物倉へ、外の雪の中に、母親がいろんなものを取りに行くたびに。それなのに父親は、部屋の戸口のそばに手を揉みながら立っていて、こう言うばかりであった。
『マクス、さあここにいなさい!……マクス、さあ、よく聞き分けなさい……マクス、そんな乱暴をしちゃいけないよ……マクス、それじゃ病気が直らないよ……』
私が夕方、見舞おうとしたとき、 私はその家の人たちに出会った。『御覧なさい、今は新時代です。今日では、もう自由の気持ちが、子供の中に潜んでいるんですね。どうすればいいでしょうか……』
 
二分間のうちに、私はマクスをベッドに寝かせつけた。それは非常に驚くべきことだったので、マクスは、びっくりして泣きわめくことを忘れた。いつもこの子は、よく泣き叫ぶことを心得ていたのではあったが。そして、ただ一度深く太息をして、不平も言わなかった。
『あなたは、お子さんをお持ちになったことがないと見えますね。そうでなければ、そんな手荒らなことは、ようなさらないでしょう……』と、ケラー奧さんがむっとして言った。たとえ私はマクスに対して全然何のひどいこともしなかったのであるが。その子はただ、私の実に断固たるやり方に会って、これは、従順にせねばならぬと感じただけである。
『いえ、ケラー奥さん、あなたは、お子さんは、一人だけと見えますね。もしお子さんを三四人お持ちでしたら、きっともっと合理的にお扱いになるでしょう。でも、あなたは、その独りのお子さんをまるで半分主なる神様ででもあるかのように御覧になっているんです――取り返しがつかなくなる前に、この村の年寄り連中から、一度、話をお聞きになるといいですよ。肉屋のヘルマンさんが一人息子を際限もなく我儘放題にして育てそこなった結果、どういうことになったかということを。』
『私たちの境遇では、子供は一人だけで十分です。そうだと、少なくとも、正しく教育できます。その子が将来、どの道へでも進めるようにして置いてやれます。今日、子供が何人もあるところでは――少なくとも私たちの状態では、子供は大変いろいろなものに不足せねばならないし、いろいろ制限を受けなければなりません……』
『でも、お子さんが数人いて、互いに顧みあい、助けあうことを学びますと、それは子供たちのためになりますよ。大きな方が、小さな方を保護してやることに慣れるといいんです。また子供たちは、全世界が自分のために存在するものではなく、ほかのものたちも、自分と同じように、太陽の下に席を持っているのだということを学び知らねばならないんです。また子供たちは、お互いの間で遙かによく楽しむことができるものです。子供は、子供同士の方が、大人とよりは遙かに面白く遊ぶことができるんです。子供の立場から見れば、ひとりでいるよりは、兄弟姉妹たちと一緒に育つ方が遙かによいのですよ。』
『一年中、つぎはぎだらけのズボンをはいて走り廻るなんて、可哀そうですよ、ちょうど私たちが、以前、八人きょうだいだった時と同じように……子供部屋の中で、早くも人生の厳粛さに触れるなんて……私は、そんなのは真っ平です。そうさせるには、私のマクスはあまりにも可哀そうです。』
『あなたは、人生の厳粛さというものは、お子さんには味わわされずにすまされるとでも考えていらっしゃいますか? 一体、子供が、小さい時から困難に打ち勝つことに慣れるということ、欲望を捨てるということは、遙かにより良いことではないとでもお考えなのですか? そんなに子供のために、すべての小石を道から取りのけてやろうとすることは、全く誤っています。むしろ子供は、小石の上を飛び越えることを学ぶべきです。あなたは、お子さんに、人生にはいるための教育をせねばなりません――母親のスカートにぶら下りながら、永久に続く子供部屋にいつまでもいるように教育すべきではありませんよ。』
『もしのちに変わるようなことがあるなら、その時でも遅すぎることはありません。私たちに関するかぎり、子供には何一つ不自由をかけてはならないんです。もしそれが、兄弟姉妹を持っていたら、親の愛も分割せねばならないでしょう。』
『もしも一人の子供に兄弟姉妹があるとすると、あなたは、その子を愛する程度がより少なくなるというほど、自分の心持を貧弱なものとお考えなのですか? 愛というものは、腸詰とは違うものです。腸詰は、もし数人から請求されると、それは当然、数個の切れに分割されるのです。このへんのことは、あの年寄りの籠作りが、もっと正しく理解していました。彼は、こう言いましたよ。子供は、多くなれば多くなるだけますます可愛くなるものだ。そして、それだけますます一人でも他人にやりたくなくなる、と。』
『私たちのマクスは、私たちのただ一つのもの、私たちの全部です。また今後もその通りでなければならないんです。あの子は、私たちを全く満足させてくれます。そして私たちは、この一人息子と一緒にいるんです。そうじゃありませんか、あなた?』
『リスベートさんの言われた事柄には、確かに何らかの真理があります。しかし我々の境遇にとっては、子供は一人だけで十分です。もしそのひとり子が、何一つ不自由なく暮しておれるとしたなら、兄弟姉妹のある子供が恐らく量的にまさっているとしても、それを質的にきっと補うでしょう。』
 
マクスが始めて学校にはいったとき、悪質の猩紅熱(しょうこうねつ)が急に流行した。学校は閉鎖され、あらゆる予防法がとられた。それなのに、自分の家に留まっていないで、全くの我儘と生意気とから、病気の友達のところへ、こっそり抜け出して行ったのは、誰あろう、このケラーさんの家のマクスだった。彼は、病人のところへ行ってはいけないというのは、一体どんな悪いことがあるからだろうか知りたいと思った。彼は、ベッドの上によじ登り、その友達をあらゆる方向からつぶさに観察した。
『マクスや、言うことを聞いて、 お母さんのそばにいらっしゃい。』と、ケラー奥さんは、言いつけて置いたのであった。『いやだ、僕は退屈でたまらないや!』とマクスは叫んだ。『僕は小路を通って、ペーテルとハンスのところに行くんだい!』早くも彼は出かけた。夕方、彼がどこをかけ廻って来たかを、さも勝ちほこったように報告したとき、両親は少なからず驚いた。『ちっとも大病じゃないさ。友達は、ただ赤い斑点(まだら)があるだけだよ……』この子は、ひとたび学校でほかの子供たちと一緒になってからというものは、自宅で独りでいるのは、もはや気に入らなかった。彼は、何かを支配し、命令し、抑圧し、そして自分の我儘をどこかで発散させたがった。飼犬のカロは、それに疲れて、彼に噛みついた。猫は、その子が近づいて来ると、フーッといって引っ掻いた。
 
二日後に、マクスは、自身、猩紅熱で重い病床に横たわった。そして、この我儘に育てられ、虚弱になった男の子は、危機に堪えることはできなかった。早くも二週間後に、私たちは、その子を埋葬した。この村における最初の犠牲者の一人。ひとり息子を先立たせねばならないことは、つらいことである……もし兄弟姉妹が三人あれば、もっとたやすく堪えることができるだろうと、ある人たちは言った。――他の人たちは、こう言った。子供を一人だけしか持ちたくないなどというから、こんなことになるんだ。何か起ると、直ぐ一度にすべてのものが失われるのだ、と。
『きょうもまた、そうなんですよ。』と、年寄りの教会の門番が、それに対して意見を述べた。『もし我々の天主樣が御摂理によって、一人の子供を奪われますと、直きにまた、ほかの子供が生れるものです。ただあらかじめ生れないだけですよ……』
 
その子の親たちは、このように思いも寄らずに、自分たちのあらゆる希望を裏切られたので、殆んど絶望しようとした。奥さんは、憂鬱症に陥らないために――自殺をしないように、何ヶ月も、あるサナトリウムで手当てを受けねばならなかった。それから、新たな子供に対する憧れが、燃えるように目覚めた。長びけば長びくだけ、ますます多く。しかし、時はいたずらに経過した――しかし、もはや一人も生れなかった。彼らは、医者を訪れ、また州の首府の有名な教授のところへも赴いた――それでも、子宝は、訪れて来なかった。彼らはこれまで何年間も、各種の化学的および技術的方法を尽して、妊娠を防いでいたものだから、今では妊娠は全く起らなかった。『今では、天主様は、もうそれを欲せられないのだよ。』と舅(しゅうと)が言った。この人は、かつて子供を八人育てたことがある。『お前さんたちが、そんなに長く欲しなかったからだ。私は、いつも言っていたよ、そんな策略は、いつかは報いを受けるよと。』
 
しかし、ここで私は、次のことをつけ加えて置きたい。すなわち、もしどこかの家庭で、子供が一人しかない場合には、その原因について、早計に判断を下してはならないということである。現に私自身、この村で子供が一人しかない母親を二人知っているが、その人たちは、ひとり子のほかに、もっと子供を燃えるように欲しがっているのであるが、どうしてもそれ以上は得られないのである。こういうことは、以前にもいつもあったことであり、今日でもなおある。子供が一人しかないという事実は、その夫婦が、多分、正しくない生活をし、そして子宝を不正な方法で防止しているためだと見なす権利を、私たちにまだ与えるものではない。そうだと信じるためには、私たちは確実なよりどころを持たなければならないのである。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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