「助産婦の手記」
51章
初雪が降ったとき、青年教師のウェルネルは、週末に山地へ行った。彼は長年にわたる戦争の後に再び得られた自由について非常に喜んだので、すべての人々が心の底より善良であるにちがいないかのように思われた。その山頂の十字架の傍らで、日曜日の御ミサのために準備がなされた。このことをウェルネルは、喜んだ。それは、この世の騒がしさと争いとを高く超越していて、非常に荘厳であり、かつ、天なる天主に近づいているものであった。
しかし、彼らが山小屋の中で心地よく一緒に坐っていて、そしてラム酒を入れたお茶が、脚の高いコップの中で湯気を立てていたとき、一つの影が、その喜ばしい連中の上に投げかけられた。それは、最後のお客として、やや遅く秘書のラインハルトが、一人の女性を伴って来たのであるが、その女は、彼に対して厭らしいほど親しげに振舞った。ラインハルトは、ウェルネルと一緒に捕虜を解かれて帰って来たのであった。彼はウェルネルと、ちょうど今ここで出会うことは、明かに愉快なことではなかった。果せるかな、ウェルネルは、早くも青年らしい無遠慮さをもつて、露骨に言った。『おい、君は全く非道(ひど)い奴だよ。奥さんと子供たちを家に置いて、ほかの女と一緒に出掛けるなんて。それも故郷の土を再び踏むか踏まないうちにだ。』
『家内は、僕のために割く時間はないんだよ。あれは、もう僕を必要としないんだ。』と、話しかけられたラインハルトは、著しく腹を立てて答えた。『もし、僕が山地へ一緒に行かないかと尋ねると、こう言うんだ。ああひとりで行きなさい。私は行く気はないわ、とても疲れているんだからと……そのくせ、僕が週末を、ひとりで馬鹿のようにぶらつくことはないだろう、ということぐらいは、ちゃんと判っているんだ。』
『しかし君は、ここで僕たちと一緒になることが出来ることは判っていたくせに……』
ラインハルトは、それを故意に聞き流して、つづけて言った。
『ウェルネル君、君は結婚していないことを喜びたまえ。女なんて、もう碌(ろく)なものではない。彼女たちは、長い戦争によって、みな堕落している。そうだ……そうでなくても、変わって来ている。我々如きものは、不用なものとなってしまったのだ。彼女たちは、すべてを自分で決定することに慣れている。例えば、こうだ。わたし今晚、映画へ行くわ……わたしの女友達が一人、あすの晚来るのよ……あなた、自分の長靴は、自分でよく磨けるでしょう。わたしよりも、時間をよけいにもっていらっしゃるんですもの……などと言った調子だ。僕はもう、それは一体、僕の家なのか、それとも家内の家なのか、わからないんだよ……』
『それは、戦争中にそうなったのですね。』と、ある一人が、考えながら言った。
『女たちは、戦争中、すべてを自分で決めねばならなかった。そして我々の忠告を聞くことも、また我々の助けを求めることもできなかった。そして彼女たちは、勇敢にそれをやってのけたんだ。』
『そうだ、もちろん、君はまだ妻帯していない。それは、傍観するには興味があろう。しかし、女のこの独立性というものは、消えうせてしまうべきだ。この独立性に会うと、何のために我々は帰郷したのか、もはや全然わからぬのだ……』
『ねえ、僕にも言わせてくれ給え。僕は、家内と直きに具合よく行くようになったよ。我々の間には、何一つ喧嘩口論の種はなかった。』とバルチュが言った。『二三日間、僕は家内に、母親のように僕を世話し、そして休養させてくれるように頼んで、その御嘉納(ごかのう)を得た。しかし、それから僕は、ある土曜日の晩に、家内と一緒に家のベンチに、全く気持よく、親しげに腰をかけ、そして言った。さあ、お母さん、いよいよ僕は、再び家庭の主人だ、そうじゃないかね。そこで、お前は再びそれにだんだん慣れるようにせねばならない。お前は、長い間ずっと勇敢にやって来てくれた。僕は、そんなことが全体、可能であろうとは、決して考えてはいなかった。そして、どんなにお前が母と協力して農場を整頓して置いてくれたかということを、いつもただただ驚かざるを得ない。これについて、僕はお前に一生涯中、感謝する。もし君たち婦人が、そんなに勇敢でなかったなら、我々は子供と一緒に多分今頃は、ほかの多くの人たちと同様に、大道の上に立ちん坊をしていなければならなかったであろう。しかし、君たちは、その代りに、今は楽をせねばならない。そして多分、もう一人、子供も出来るだろうね……』
『おおあなた、もう子供たちは、あんなに大きいんですよ。』と、彼女は少し驚いて言った。しかし、全く拒絶するような様子ではなかった。
『もう一度、結婚式を、ほんとに全く静かに、我々二人だけで祝うのは、美しいことじゃなかろうか、お母さん……もう四年間も、我々は一緒にいることはなかったんだ。そしてあすは、実に日曜日だ……』
『そうだとも、夫は一家の首長だよ。』とラインハルトは、苦々しげにあざけった。『そのことについて、長い夜な夜な、美しい夢を見る。そして君は奥さんを腕に抱こうとする、奥さんは身を退ける。もう一遍、赤ちゃんを育てることを始めるのは、たまりませんわ、とね……』
『そのことは、やはり、夫の不在中、何年間も家族を養い、すべての仕事をひとりでやらねばならなかった婦人にとっては、そう簡単なことではないね。僕は、婦人がまず第一に重荷を下ろして、息を吹き返そうという気になることは、至極もっともなことだと思うね。もし君の奥さんが清らかに君を待っていたのなら、大いに喜びたまえ。それは、誰にでもそううまく行ったわけではないよ。』
『なぜ妻は、一度だって映画を見に行ってはならないんだろう? また、訪問を受けてはならないんだろうか?…』
『そんなことはないさ。もっとも、彼女は、可否を尋ねることはできる。しかし、勝手に自分でやってはいけないのだ……』
『おやおや、僕なら、君なんかを絶対に亭主に持ちたくないね。よくもそんなに度量が小さくなれるものだね……』と、きめつけた。
『だが、そこには、確かにもっともな点があるね。』とバルチュが慰めた。『調子は音楽を作る! もし妻が、あなた、あす、わたし映画へ行ってもいい……、と尋ねれば、すべてが好調であり、そして彼女はまた目的を達する。しかし、多くの婦人たちは、このことを考えない。しかし我々は、直ぐさま、それを悪く取る必要はないんだ。人間というものは、もし彼が神経質にそんな小さな事柄に注意せねばならないならば、彼は内的価値というものを、あまり多く持っていないもののように、僕にはいつも思われるのだ。まあ、一つ上機嫌でもって、君の方から適当な良い言葉をかけてやりたまえ……とにかく、君の奥さんに喜びを一つ、また一つ、そしてさらに一つ、奥さんにやり、そして良い言葉をかけてやりたまえ。すると、どんなに、このことが奇蹟を行うか、そしてどんなに速く君たち夫婦間の一致が、再び正しい軌道に乗るかということが判るでしょう。
婚姻というものは、実に一つの神聖な秘蹟だ。結婚生活は、もし夫婦の双方に少しばかり善意が存在するなら、詰らぬ事のために、そんなに速く崩壊し得るものでは決してない。そこには、さらに天からの力と光と恩寵とが存在する。しかし、我々は、何が何でも、しょっちゅう、受け取ろう、受け取ろうとしてはいけない。そうではなくて、我々は何を与えることができるだろうかということを考え、そしてそれを行わねばならぬのですよ。それは、最もたやすい、そして最も近い道で、喜びを作るのであり、そしてその道の上では、誰も施しすぎて貧しくなるということはないんです。』
『では一体、どこから、それを持って来るのですかね……?』
『何を、喜びを? 君、それは自分の心構えの中に抱いていなければならないのですよ、するとそれはきっと輝いて出てくる。まあ一つ、奧さんの手から塵捨箱【ゴミ箱】を取って、それを自分で空になさい。少しばかり君の子供と遊びたまえ。まあ一つ石炭を一桶、地下室から運び上げたまえ。道ばたから摘み取った小さな花でも、すでに効果がある。夕食後、君たちが一緒に、なお暫くの間、沈んで行く夕焼けに照らされながら座っていることができるようにするために、器物(うつわもの)を拭く手伝いをしたまえ……君のお母さんのことを想い起したまえ、すると、君に何が欠けているかが判るでしょう……』
『では、君は結婚しているのかね!』と、今やラインハルトが驚いて異議を述べた。
『いや、ウェルネルだけは、まだだよ。我々の婦人たちは、戦争中は、スキーの講習もやらなかった。彼女たちは、ほかに用事があったのだ。しかし彼女たちは、我々を十分に走り廻らせてやることは、我々に喜びを与えるということを理解しており、そして心から我々に楽しみを恵んでくれる。だから我々としては、この信頼を尊重し、そしてそれを濫用しないように努力せねばならないね。』
ラインハルトの連れの女は、当惑してそっぽを向いていた。人々は、彼女がこのサークルの中では、全く居心地悪く感じているということを、彼女の様子から明らかに見て取った。彼女の常習的な鉄面皮は、彼女から去った。母への思い、それは今しがた話された最後の言葉の一つによって呼び起されたのであるが、それは、もはや彼女を離さなかった。その母なる善良な婦人は、その娘が困苦と惨めさとによって、正しい道から押し出されないように彼女をよく教育し、そして何ものかを学ばしめんがために、いかに苦心したことであったであろう。そして今、母親は、その子供が教区の青年たちと共に、黙想会に行ったものと信じていたのだ……そのような信頼をこういう具合に濫用するのは、いまわしいことではなかったか? そして彼女は、一体、何を欲したのか? よその一人の母から、天主の御前で結婚したその夫を奪い、よその子供たちから、その父を奪いとろうとしたのである。彼女は、子供のとき、父親がないことを辛(つ)らく思ったのではなかったか? それなのに今や彼女は、すんでのことで、ほかの子供たちを同様に不幸にしようとするところであった……愛からか? いな、冒険心と、よりよい生活への渇望とからだった。彼女は、自分の給料をもっては、あらゆる欲望を満たすことはできなかった……今や、働きつかれ、老いた母親は、きっとあすの晚、最終列車まで、冷たい台所に坐って待っているであろう。そして汽車が、ほどなく着く頃に、娘がよく温まることができるように、はじめて火をつけるであろう。そしてコーヒーのコップが一つ、帰宅の際のために用意されて立っていた。それに一切れのお菓子……母親がどこでそれを求めたのか、判らない……そうだ、彼女は、常に娘に喜びを与えようと心がけていた……それなのに彼女は……
その娘は、そっと立ち上がり、そして青年教師のウェルネルの方へ、すり寄って行った。『あの冒険家から私を救って下さい。』と彼女は低いで頼んだ。後は、殆んど目に見えぬくらいに、彼女へうなずいた。
この同じ晚、私もまた訪問を受けた。ラインハルトの奥さんは、心の変わった夫のことを悲しげに訴えた。彼女は夫に向って、家で子供のそばにいてくれるように希望したのであった。それなのに、彼はひとりで山に出かけた。しかも恐らく単独ではないようだ。事務所の娘も駅の方へ行ったと、ワインベルグ奥さんが彼女に知らせた。
私たち二人は、長い間、一緒に坐っていた。私は、事情がよく合点がゆくように、彼女に説明させ、心の不満を訴えさせた。人をして思う存分に打明け話をさせることは、私たちが誰にでも与えることのできる唯一の救いであることがたびたびある。しかし、最後に私は言った。
『ラインハルト奥さん、私には、どうもあなたが、御主人の気持を正しく理解していらっしゃらないように思えるんです。御主人は、あなたが、もはや自分にすがっていないのに釈然とすることができないんです。ですから、御主人に少し気に入るようになさいな。いいですか、私ならこう言うでしょう、「どう、あなた、わたし映画を見に行っていい? あなたは大へん御親切だから、切符を一枚買って来て下さらない、私がわざわざ買いに出かけるのは大変ですもの。」と。あなたは、調子は音楽を作るってこと御存知でしょう。』
『でも、あなたは、ずるいお方ですよ!』とラインハルト奥さんは驚いた。『あなたが結婚していらっしゃらないなんて、惜しいことですわ……』
『私がもし結婚していたとすると、欠陥が時々どこにあるかということを、そんなによく知ることができるかどうか判りませんよ。このことができるのは、大抵ただ自分がその渦中に立っていないで、いわば、それを超越している時だけですね。』
『でも、あす主人が帰って来たら、私は本気で話をせねばならないんです……』
『いや、ラインハルト奥さん、やり方をお変えなさいよ。最初のひと言で、御主人は忽ち頑固になり、そして、すべては石のようになって、ますます悪化するでしょう。あなたは、香料を加えた一杯の燗酒(かんざけ)【あたためた酒】か、または、それに似た何かを作り、それに、ちょっとしたものを添え、そして、それを暖かいストーヴの上にかけて置きなさい。それから御主人がお帰りになるのを待っていらして、そして、あちらの方は素晴らしかったかどうかをお尋ねなさい。そして御主人さんがベッドにはいる前に、よく身を温まらせねばなりませんよ……』
『あら、ブルゲルさん、するとあなたは、またもや直きに、私の出産予定を書き留めることができるんですわ。主人は、もう三人だけでも苦しんでいるのに。』
『そんなに心配なさいますな。御主人は、四人のために、またもや苦しまれることでしょう。御主人は、それに十分値(あたい)するんです……今度出来るお子さんは、多分あなたの夫婦関係を再び正しく取りもどす祝福の子となるでしょう。しかも、今は、待降節にはいろうとしています。マリア様は、天主の御旨に従おうとする愛情の深い気持をもって、私たちに幸福をおもたらしになったのです。そして一人一人の母親は、まさに自分の子供を通して天主の国の建設に協力することができるのです。というのは、子供たちを新しい肢(えだ)として、キリストの御体につぎ合わせるからです。私には、こう思われるのです。母親というものにとっては、待降節にはいろうとする時よりも、もっと美しい時は決してないのだと。』
この家庭でも、再び事情は好転した。一滴の蜜をもってすれば、一樽の酢をもってするよりも、より多くの蠅を捕え得るものである。