Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

手による聖体拝領は特別許可にすぎない。第二バチカン公会議では「ラテン語を守り続け、グレゴリオ聖歌を大切にしなければならない」とある。新しいミサは許可にすぎない。

2020年09月03日 | お説教・霊的講話

2020年7月26日(主日)聖霊降臨後第八主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖霊降臨後第八主日ですけれども、聖アンナの記念も行ないました。マリア様のお母様、天主の御母のお母様、聖アンナです。

聖アンナの霊名を持つ全ての方々の為にお祈り致しました。おめでとうございます。
そして藤枝聖アンナカトリック教会の為にも一生懸命お祈り致しました。おめでとうございます。

ところで今日は、特に愛する兄弟姉妹の皆さんを、シュナイダー司教様が最近お始めになった、『罪の償いの為の国際十字軍』にお招きしたいと思っています。

シュナイダー司教様は「特に、御聖体が受けている侮辱、冒涜を償う為に、特に手による御聖体拝領によって受ける冒涜を償う為に」国際十字軍を始められました。ぜひ皆さんこれに参加して下さい。この手による聖体拝領の罪を償って下さい。

何故か今から説明します。

ヴィガノの大司教様は、元駐米教皇大使であったヴィガノ大司教様はつい最近、「時のしるしを読むべきだ」と言いました。

「なぜ、コンスタンティノローマ皇帝からカトリック教会が自由になってから、今まであった事がないような事が起こっているのか。つまり『復活祭でさえも、ローマでさえも、ミサが、パブリックのミサが、皆の為のミサが行なう事ができなかった。』大戦争があったとしても、大革命があったとしても、大混乱があったとしても、こんな事は一度もなかった事が今起こっている。歴史的な今、非常に異常な事態が起こっている。もしかしたら『黙示録的な事態が起こっている』という事に気付いてほしい」と仰いました。

これは、ヴィガノ司教様の考えによると、「これは、『手による聖体拝領』、また『新しいミサ』の為の、それの為に起こっている」と、「天主聖父は、三位一体は、手による聖体拝領、また新しいミサを快く思っていない、そのしるしだ」と。

ヴィガノ司教様の考えをよく理解するように3つ説明させて下さい。なぜ良く思っていないのでしょうか?

なぜかというと、まず、「手による聖体拝領」というのは、パウロ六世が、特別な、例外的な状況の為に、仕方がなく出した、「特別許可」だったのです。

「でも本来、本当は私たちは、口による聖体拝領をし続けなければならない。これがカトリック教会の法律である」と仰いました。

しかし、ところがこの法律は全く無視されています。手による聖体拝領が、全ての信徒に強制させられています。そして、「もしも手による聖体拝領でなければ、御聖体は配らない」等という事が普通に起こっています。日本で、あるいは世界で。

第2の理由は、例えば第二バチカン公会議では、一度も、「各国語のミサをしなさい」とか、あるいは「祭壇を信徒の方に向けなさい」とか、「方向を変えなさい」とか、あるいは「グレゴリオ聖歌は止めて下さい」とは、一度もないのです。一言もありません。

典礼について書かれている“Sacrosanctum Concilium”という文章には、「私たちは、ラテン語を守り続けなければならない。グレゴリオ聖歌を大切にしなければならない」という事が書かれています。

「特別の許可があれば、司教団がもしもそれが良いと思うならば、聖福音とか、あるいは書簡の所を、各国語で翻訳して、それも許可があれば、許可のある翻訳ならば、読んでも良い」とありますが、しかし本物は、私たちがしなければならないのは、「ラテン語」です。

しかも「祭壇の方向を変える」というのは1つもありません、どこにもありません。パウロ六世のミサ典書にも1つもそのような事は、「こうしなさい」という事はありません。

しかし、いきなりそれが変わってしまいました。ラテン語が消えてしまいました。グレゴリオ聖歌は消えてしまいました。全てが変わってしまいました。

第3の理由は、「新しいミサ」です。

パウロ六世が新しいミサを、1969年発表された時“Missale Romanum”と言う使徒憲章を発表しました。その時にその最後で、「私は、このような変化を出すのを許可する」と書きました。そしてこれは、そして新しいミサは、同時に古いミサは、今までのミサを禁止する等という事は、一言もありませんでした。

しかし本当なら、聖ピオ五世教皇様が出した大勅令“Quo primum”によって、「全てのカトリック司祭は、義務として、そして権利として、そして特例として、また時の終わりまでの有効な法令として、このままの、聖伝のミサをしなければならない」と書かれています。「これは、カトリック司祭の義務である」と書かれています。

ですから、法律によれば、「昔のままのミサをしなければならない。新しいミサは、許可だ。与えられた許可だ」と。

しかし、それが、立場が変わってしまっています。

ヴィガノ大司教様が、「あぁ、今のこの事態は、このミサをする事ができないような事態は、天主が喜んでおられないという事のしるしだ」と仰っている通りです。

では、シュナイダー司教様の始めた国際十字軍に、私たちも参加致しましょう。特に聖伝のミサに与りながら、御聖体を跪いて、口で拝領しながら、愛と讃美を以って礼拝しながら、償いを捧げて下さい。

そしてシュナイダー司教様が言っているように、ファチマの天使の祈りを私たちも唱えましょう。

「わが天主よ、われ、信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。われ、信ぜぬ人々、礼拝せぬ人々、希望せぬ人々、御身を愛さぬ人々のため、御身に御赦しを願い奉る。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

このお祈りを一緒に唱えましょう。私たちは唱えています。2017年からずっと、ミサのある度に唱えています。どうぞ償いの業に参加して下さい。十字軍に参加して下さい。聖伝のミサに与って下さい。これこそがカトリック信者のなさなければならない事です。もしもそうでなかったら私たちは、カトリックとは名ばかりになってしまいます。

愛する兄弟の皆さん、どうぞいらして下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

黙示録的なバチカンの異常事態は、天主が好まれない3つの理由のためです。罪の償いのための国際十字軍が始動されました。この動画を観てくださっている皆様、ぜひ参加してください!

2020年7月26日 聖ピオ十世会小野田神父からのメッセージ  ▼最新のミサ情報▼ http://www.immaculata.jp/ma...

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赤ちゃんの事をぜひ思いやる社会に、たくさんの赤ちゃんたちを温かく受け入れる社会になりますように

2020年09月03日 | お説教・霊的講話

2020年7月19日(主日)聖霊降臨後第7主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、来たる木曜日7月23日は、午後4時から、神田駅あるいは三越前駅の間ぐらいにある常盤公園という所から、1時間ほどロザリオを唱えながら、マーチフォーライフをマリア様と共に行ないたいと思います。日比谷公園までいつものように歩きます。

日本で多くの赤ちゃんたちが、残酷にお母さんのお腹の中で切り刻まれて、本当にぐたぐたになって、苦しみながら亡くなっています。たって一年で16万人という、16人ではありません、16万人の赤ちゃんが、亡くなっています。

ですからどうぞ、そのようなもう惨い事はないように、赤ちゃんの事をぜひ思いやる社会に、赤ちゃんたちをたくさん温かく受け入れる社会になりますように、マリア様と一緒にマーチをなさって下さい。是非いらして下さい。

そして、もしも東京に来れない方でも大丈夫です。大阪でもあります。大阪ではその翌日、7月24日金曜日、スポーツの日です。午後3時から大阪市役所前に集合して、そして御堂筋を1時間ほどマーチフォーライフで歩きます。お祈りをしながら、マリア様と一緒に歩きます。どうぞいらして下さい。

今日は、話は変わりますけれども、特に、「良い木は良い実りを結ぶ」「茨はブドウの実を結ばない」というイエズス様のお話を、福音の話を私たちは読んで、私の思った事を少し述べるのを許して下さい。

それは、「聖伝のミサ」と、そして「跪いての口での聖体拝領」についてです。

私たちはカトリック教会では、少なくとも1500年の間、必ず法律で、ルールとして、跪いて口で聖体拝領するのが義務となっています。それが掟となっています。

ただパウロ六世がちょっと前に、50年くらい前に、1969年1970年ぐらいに、特別に、例外的に、何かの事情がある場合には、特別許可で、それを例外的に許すという、手による聖体拝領を許すという事ができました.。

しかし一般的な法律では、私たちは必ず、口で聖体拝領をする義務」があります。これが掟です。これが私たちの守るべき普通の事なのです。

これは、ミサの実りなのです。ミサの美しい実りです。2000年間のミサの実りです、聖伝のミサの実りです。

なぜかというと、ミサというのは、食事会ではないからです。ミサというのは、トリエント公会議が決定的に定めた公式によると、「ミサ」というのは、「カルワリオの十字架の再現」なのです。

「ミサに与る」という事は、「十字架のいけにえと同じいけにえに与る」という事なのです。

ですから私たちにあるのは、礼拝と、感謝と、讃美、そして罪の償いです。ですから私たちが御聖体の内に真にましますイエズス様の前で、イエズス様の御体の前である態度は、愛に満ちた礼拝、愛に満ちた従順と崇敬、そして感謝、讃美。

ですからその私たちの謙遜を示す為に、跪いて、愛を込めて、口で恭しく礼拝する、というのは、当然の論理的な結論なのです。

もし「ミサが何か」という事を理解できればできるほど、そうするしか、もうやり方がないのです。2000年間、教会の教えはそのように表明されてきました。態度で証明されてきました。

では一体なぜ、コロナウィルスのこの時代にも関わらず、なぜ手による聖体拝領はそこまでも強制されなければならないのでしょうか?

これは、「新しいミサ」という木の実りなのです。新しいミサの設計図が、ブループリントが、もはや聖伝のカトリックのミサと遥かにかけ離れているからです。これは私の言う言葉ではなくて、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿が、パウロ六世に報告したその報告書の中に、手紙の中に書いてあるのです。

「新しいミサは、その詳細といい、全体といい、カトリックのミサ、今までのミサとは全くかけ離れているので、これをすぐに中止して下さい」と、パウロ六世に頼みました。

なぜでしょうか?新しいミサが出来た時に、そのミサの総則の第七番に、ミサの定義があります。その定義によると、「主の晩餐すなわちミサは、聖なる集会である。司祭をその座長とする聖なる集会である。」

これだけなのです。つまり新しいミサにおいては、主の記念を行なう「主の晩餐」なのです。つまり「カルワリオの十字架のいけにえ」という事は、全く程遠い概念において、ミサが作られているからです。

ですから論理的な結果として、新しいミサでは、主の晩餐の記念を、叙述を行なっているので、それを再現しているので、そこにはもはや「十字架のいけにえに与る」という概念はないので、食事をしなければなりません。ですから論理的な結果によって、手によって、あるいは立ったままでいなければなりません。

こうする事によって、どれほど多くの方がカトリックの信仰から離れてしまった事でしょうか。カトリックの信仰を誤解してしまった事でしょうか。ますますこの誤解、あるいは離教が広がる危険があります。

ですから愛する兄弟の皆さん、跪いて、そして口によって御聖体拝領なさって下さい。そしてその為にもどうぞ、昔ながらの聖伝のミサに与って下さい。

皆さんがその私たちの主に対する愛に満ちて、信仰に満ち溢れて、そして永遠の命にまで導かれますように、マリア様にお祈り致します。

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。

 

マーチフォーライフをマリア様と共に歩いてください_日本で1年間で16万人の胎児が母胎の中で残酷に殺されています!_手による聖体拝領を止めて、跪いて恭しく口で拝領してください!

2020年7月19日 聖ピオ十世会小野田神父からのメッセージ  ▼マーチフォーライフ▼ https://blog.goo.ne.jp/fat...

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聖母が弁護者として言われるために「我が子よ、この霊魂は私の為に私を『母』と宣言してくれました。私は天と地の皆の前で言います。この霊魂は、私の子供です。」

2020年09月03日 | お説教・霊的講話

2020年7月26日(主日)聖霊降臨後第8主日のミサ 大阪にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は宣伝をする事を許して下さい。
まず、数日前の金曜日には、マーチフォーライフに参加して下さった事を深く感謝します。

今日は、来たる8月13日から、13・14・15日と3日間続けて、秋田に、秋田の聖母の所に巡礼に行く事を招待します、お願いしようと思っています。

この「秋田の聖母は本物だ」と、新潟の司教様が認めたものです。しかしこのそれにも関わらず、あまりにも無視されて、誰にも相手をされていないマリア様です。

マリア様は仰いました、「私を敬う司祭は軽蔑されるだろう。」

マリア様を誰も敬おうとしません。軽蔑されるのを恐れているかのようです。

なぜ、私がこの今年皆さんを招待したいかという事は、その内の一つの理由は、皆さんに、天国で有力な弁護者を付けて頂きたいと思うからです。

皆さんもご存知の通り、私たちは死の直後、私審判を受けます。恐ろしい、厳しい、裁判を受けます。義人でさえも、「どうしようか」と思うほどの、厳しい、全てにおける審判です。

その時、私たちは何を言うべきでしょうか?どんな弁護者を立てるべきでしょうか?私たちの今持てる力で、何か準備ができるでしょうか?

できます。それは、最高裁判者の、審判官の、最後の審判官、最高審判官のお母様の友達になる事です。マリア様です。

もしもマリア様が、私たちのその審判の時に、イエズス様が「う~ん」と厳しい顔をして私たちを見た時に、「息子よ、我が子よ、この霊魂は私の為に、大阪のど真ん中で、私を『母』と言って宣言してくれました。私は天と地の皆の前で、あなたの前で、天使たちの前で、皆の前で言います。この霊魂は、私の子供です。この霊魂は私の為に、秋田まで来てくれました。この霊魂は私の為に、これほどの事をしてくれました。この霊魂は私のものです。私の子供です。」

イエズス様はそのようなお母様の宣言に、何と答える事もできません、「はい、分かりました。」

ですから、私たちの良い弁護者を、私たちの憐みの御母、弁護者であるマリア様の元に駆け馳せ寄って、そしてマリア様にますます、「私たちの良き母である」という事を宣言致しましょう。

その為にぜひ皆さんを、秋田の巡礼に招待したいと思っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


「私たちがこれから受ける御恵みを既に受けたものとして、感謝致します」

2020年09月03日 | お説教・霊的講話

2020年7月25日(土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

しばらくの間、御聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心の前で、礼拝と、感謝と、讃美、そして私たちの懇願を、罪の償いを、御捧げ致しましょう。

イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心、私たちの祈り、聖母行列、償いの業、忍耐、私たちのイエズス様やマリア様の為に費やした時間、労力を、非常に快く、心に深く喜びを持って受け止めて下さっていると確信しています。

私たちの捧げた一を以て、百千を万を返して下さる、寛大な憐れみ深いイエズス様とマリア様。私たちもますます寛大である事ができますように、御聖体に在すイエズス様にお願い致しましょう。

私たちの拙い捧げものを御覧になって、「今度は私の番だ」と、イエズス様はマリア様と共に、両手を広げて私たちに御恵みを、雨嵐と必ず注いで下さると信じています。

今日、御聖体の前で既に感謝を、私たちがこれから受ける御恵みを既に受けたものとして、感謝致します。イエズス様の憐れみの偉大さと、寛大さと、優しさに感嘆して、讃美致します。

迫り来る多くの危険から守られる事ができる箱舟であるマリア様の汚れなき御心に、より多くの人が避難所を見出す事ができますように。

マリア様を通して、イエズス様へと確実に導かれますように。

私たちの心が、想いが、イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心の想いに、ますます似通ったものと、一致する事ができますように。


「イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心の無限の功徳によって、特別の御憐れみと御恵みを乞い求めましょう」

2020年09月03日 | お説教・霊的講話

2020年7月24日(金)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

聖体の内に真に在し給うイエズス様の聖心で御前で、礼拝と、讃美と、感謝、罪の償い、そして私たちに今日の御恵みを乞い求めましょう。

マリア様の汚れなき御心をイエズス様が御覧になり、特別の憐れみと容赦を、寛大な聖心の愛を、私たちに、そして私たちの祖国に、そして全世界に与えて下さいますように。

私たちがそれに受けるに相応しくない者ではありますが、マリア様の汚れなき御心のその美しさに、そのマリア様の愛の熱烈な熱さに免じて、私たちに憐れみを下さいますように、マリア様の子供である私たちに、特別の寛大な御恵みを賜りますように、イエズス様の聖心に乞い願いましょう。

私たちの家族、私たちの子供たち、親族、友人、隣人、同僚などに、憐れみの愛の眼差しを注いで下さいますように、イエズス様の聖心とマリア様の汚れなき御心の無限の功徳によって、特別の御憐れみと御恵みを乞い求めましょう。


「助産婦の手記」40章  子供の誕生に先立つ処世法

2020年09月03日 | プロライフ
「助産婦の手記」

40章

チンメレル奥さんは、十七になる娘を連れて、私のところにやって来た。奥さんの言うには、この娘は、一体どうしたのか、さっぱり見当がつかない。娘は、とても具合の悪いことが非常にたびたびある。月経は、もう長い間、とまっている。でも、それは、そのうち、またずっと強くなるでしょう……しかし、妊娠の疑いがあるということだけは、考えるべきではない。そんなことは、絶対にありっこはない。何かほかのことに違いない、と――

絶対に妊娠は、ある筈はないということは、しかし、私には実際、その確信はなかった。村中のものは、次のことをよく知っている。ロシヤ人の捕虜の一人が、チンメレルの家へ出入りしており、そして最近数ヶ月間は、 大抵そこで夜も過ごしていたということを。彼は、ロシヤの伯爵だそうである。実際、彼は非常な大金を自由にし、従って何でもすることができた。彼は今でもまだ、ロシヤに帰らないで、町のホテルに住んでおり、そして時々自動車を走らせてやって来るのである。彼は、ロシヤに帰るべきか、またはパリに移住すべきかについて、父親からの通知を待ち受けているのだと、チンメレル奥さんは、村中に吹聴した。そして、この問題が決定するや否や、彼は娘のパウラと結婚するはずだと。『あのロシヤの伯爵が、私の娘と結婚することは、あんた御存知でしょう? それなのに今、この娘の体具合がよくないという不運です……いつ何時、出発することになって、大きな幸福が転がって来るかも知れないというこの今…』
『チンメレル奧さん、もし娘さんが妊娠していないという自信がおありなら、娘さんを連れてお医者さんへ行かねばなりません。私としては、本当に、あなたに何も忠告してあげることはないんです。』
『でも、一度見てやって下さってもいいでしよう……医者の前では、娘はとても恥かしがるんですから……』
『しかし、娘さんは、その……ロシヤ人と適当に、交際していらっしゃったんですか?』
『でも、そうしていても何事も起らなかったんです。あの人は、娘と確かに結婚するんです。あの人は、実によい相手です。そして二人はまだ若く快活です。実際、戦争中は、誰にしても、非常に多くの事に不自由を忍ばねばならなかったのでした……特に若い人たちは。そういうわけですから、まあ彼らに少しばかり自由を与えてやらねばならないのです……』
『そこで、あなたは、その男を静かにあなたの娘さんのところで泊らせたのですか? そして御主人は? 一体、御主人は、それについて、どう言われたんですか……?』
『何も言うことは、ありません。もちろん、主人は一人娘の幸福の邪魔はしません。私たちは、快くあの人を喜ばしてやっているのです。二人は確かに結婚するんだし、そうすれば一緒になるんです。』

それは、実際、大した診察を要しなかった。事実は、非常に簡単かつ明瞭であった。妊娠四、五ケ月であった。
『そんなことは、決してありません!』と、母と娘が同時に叫んだ。『全くありません!』
『では、もう四ヶ月待っていらっしゃい――すると、私の主張の正しい証拠を御覧になるでしょう。』
『全くそんなことはありません! どんな事情でも、子供は生れてはならないんです! 私たちは、恥をかきたくないんです!……』母親は今や、怒りだした。
『じゃあ、なぜあなたの御意見では、子供が生れるということはないのか、どうかお聞かせ下さい。』

母と娘は、狼狽した。私は、その様子で、良心に疾しいところがあるのを確かに認めた。あのようには言っても、彼女たちは、その心のどこかの片隅で、少しばかり恥じているのは、明らかであった。たとえ、処世法上の道徳や羞恥心というものは、彼女たちにあっては、実際もはやあまり多く見いだし得べくもなかったのではあるが。とうとう彼女たちは、こう打ち明けだした。
『宅の主人が戦場から帰って来たときは、主人も、ほかの人たちと同様に、非常に賢くなっていて、どうすればよいか知っていました。で、それから私たちは、娘にも知らせてやったのでした。』
『そして、わたしは、いつもその通りにして来たのです。ですから、全くそんなことはないんですよ……』と、娘は、つけ加えて言った。
『親というものは、子供が恥をかかないように、保護してやらねばなりません。私たちは、大へん愚かな世渡りをして来たのですから、娘には、そうさせてはなりません。娘が堕落して、後で私を非難するようなことがあってはならないんです……』

しかし、私の心臓は殆んど停った。もしも親たちが、年の若い自分の子に対して、「何事も起らないように」、予防薬をその手の中に押しつけるのであるなら――私たちは、若い人たちから、一体、何を期待し得るであろうか……
『チンメレル奥さん、その予防薬をお子さんにお与えになったとき、あなたは、お子さんに対して罪を犯したんだということを実際お感じにはならなかったのですか? あなたは、お子さんに、あの日ロシヤ人との交際をやめさす代りに、その薬をもって、あの男との不品行を挑発なさったのですよ! そこで、あなたは、お子さんに対して、あらゆる道徳的支えをぶちこわし、そして娼婦にしてしまったんです……』
『結婚しさえすれば! ああ、どんなにあなたが言われようとも、そこには、何事もないんです。何事も起らないように注意しさえすれば! あんたは、私がそのような求婚者を断わるのを、まさか期待しているわけじゃないんでしょうね? 今日の時代に……そんなに多くの娘たちが、夫を得られないときに……そのような相手! あんたのおっしゃるようなことは、実際、子供のない婦人でなければ、言えるものじゃありませんよ。母親なら、自分の子のために、そんな処置はとりませんよ。』
『すべてそんな薬剤は、無条件に信頼できるものでないということは、お聞きになったことは、ないんですか? それを使っても妊娠が起り得るということを? このことは、あんたは、嫌でも応でも、確かに信じねばならないでしょう……』
『妊娠することはありません! 恥は、私の家には、やって来てはいけないんです……』
『何ですって? ここで恥とは、どういうことですか? 娘さんが、ロシヤ人と娼婦のように暮らして来たということ――あなたと御主人が、お宅の中でそんな行いを許し、引き起し、そしてあらゆる方法でそれを促がしたということ――あなたが、娘さんに対して、全く無制限に不品行に耽ることのできる薬剤を御自分でお与えになったということ、それが確かに、関係者の全部にとっての共同の恥辱です。しかし、いま子供が生れるということは、それはただ、あなた方のやり方の結果に過ぎません。子供と、そしてその誕生が、恥ではなく、それに先立つ処世法が恥なのです。そのことは、あんたはどうしても、一度よく明瞭にして置かねばなりませんね……』

今どきの人間は、奇妙な観念を持っている。数日前に、三十七になる女中が妊娠の身で、私のところへやって来た。『しかし、クララさん。』と私は言った。『どうしてあなたはまた、三十七にもなって、そんなことが出来たんですか……』これに対して、彼女は全く驚いて答えた。『私が三十七で妊娠したとしても、それが一体どうしたと言うんでしょうか! ――ほかの人たちは、二十でもう子供があるのに…』
チンメレル奥さんとその娘さんは、帰り支度をした。そのとき、母親は、私に意地悪げに、捨てぜりふを言った。
『私たちは、どうしても子供は、いらないんです。あんたは、一体それをどうお考えですか……』
『私は、赤ちゃんが生れることに対しては、責任はありませんよ、チンメレル奥さん。もし伯爵が娘さんと結婚なさるつもりなら、赤ちゃんが正式な婚姻から生れ、そして正しい名前を持てるように、すぐさま結婚すベきです』
『そしてパリかペテルスブルグヘ、乳飲児(ちのみご)をかかえて旅行するというんですか!』
『もし、そうしたくなければ、赤ちゃんをお手許に置いて養育なさったらいいでしょう。』
『いえ、子供は私の家へは、入れません。みんなが、私たちに後ろ指をさすんです! あの人たちは、全く大変な、やきもち屋なんですからね……』
『このことは、もちろん、前もってよく考えるべきだったんです。今でもまだ四ヶ月ありますから、赤ちゃんが生れる前に、あのロシヤ人と、このことについて、話をつけてお置きなさい……』
『その子は、どうあっても、生れてはいけないんです、知ってるくせに!』と、母親は、今や憤りのために我を忘れて叱りつけた。『婦人というものは、今日では、自分の体を処分する権利があるんです。我々は、あんたの世話にならなくても、何とかして行きますよ!』
『あなたは、しかし、事情を見誤っていますよ。私は、正式な結婚によらぬ妊娠をすべて少年保護局に報告する義務があるんです。私は、きょうのうちでも、そうするでしょう。なぜなら、赤ちゃんの生命が、あなたの口振りによると、危険に陥っているからです。それから先きのことは、自然の成り行きのままになるでしょう。とにかく、あなたは、今まで、ロシヤ人と娘さんとの交際をお宅の中で許し、しかもそれを促進なさったのですから、その媒介の廉(かど)で、あなたは御主人と一緒に、刑務所に入れられる覚悟をしていなければなりません。そこで、私は切にあなたに忠告しますが、堕胎によって、あなたの立場をもっと悪くしないようにして下さい。
また、想い起していただきたいことは、それは人間の生命に関するものだということ、「汝、殺すなかれ」という天主の掟は、まだ生れないものに対しても保護を与えるということ、そしてあなたは、子供の霊魂に対して責任を負うということです――もっとも、それは、あなたの今の態度では、どうしても効果を生じませんがね。』

刑務所という言葉が出たとき、 チンメレル奥さんの傲慢な自信は、消えうせた。またそれが目的で、私は言ったのだ。こういう場合には、どうしても、物を打ち貫ぬく大砲を並べねばならない。
『どうか、そんな話は、しないで下さい……それは、ほんとにお骨折りに値いしませんわ……』
『それは人間の生命に関することですから、私にとつては骨折り甲斐があるんです。私は、その妊娠のことを報告せねばなりません。それは職務上の命令です。さあ、これから先きがどうなるかは、あなたの掌中にあるわけです……』
『あなたは、ほんとに私の娘の妊娠を書き留めておいて下さってもいいですよ……もし、そうせねばならぬのなら……私たちはその子を乳児院に入れます……』
『娘さんは、分娩のために、ある施設にはいることもできますよ。その費用は、伯爵さんが出してくださるでしょう……』

その後間もなく、伯爵閣下が、後かたもなく消え去った。こんなことは、少し人生の経験のある人なら、誰でも予見できた一つの変化であった。今や後らは、恥じの上に、さらに嘲りを受けた。そして人々は、その両親に実際、同情することはできなかった。今日に至るまで、その娘は、この村で、伯爵夫人と呼ばれ、そして子供のハインツは、伯爵嗣子ということになっている。この子は、あのロシヤ人からの財源が、そんなに急に干あがった時に、自宅で全く慎ましやかに生れた。私は、今日になってもまだ謝礼金をもらっていない。私は、それは彼らの仇討ちだと信じている。なぜなら、私は、言わば、彼等をして無理やりに子供を生存させたからである。しかし、このことを、私は後悔していない。

その母と娘は、非常に仲が悪い。その娘は、今や自分の不幸の全責任を親になすりつけている。
『もし、あなた方が、私にあの呪わしい薬を下さる代りに、あの男を家から放り出して下さったなら……その薬は、何の役にも立たかなかったのに! そのために、この不幸が起ったのですよ。あの薬をもらったその日に、私は堕落したんです。それから、あの男は私を掌中に握ったんです……男たちが、私たちから最後のものを奪ってしまうと、私たちを好き勝手にするんです。』と。
『親に責任があるんです、あなた方にだけ! あなた方は、私をもっとよく保護し、違った教育をすべきだったのです…』いかに多くの親たちに関して、この非難の言葉は、後々までも、その墓を越えて、永遠の彼方にまで、響いてゆくことであろうか……




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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