モルタンに於ける戦闘(1944年8月1日-14日)
連合軍によるノルマンディー上陸の翌日である1944年6月7日、この大修道院は野戦病院へと姿を変え、6月8日から最初の戦闘で傷を負っていたドイツ兵の搬送が始まった。巨大な赤十字がこの大修道院と他に幾つもあった病院の屋根にペンキで塗られ、この町の保護を天に懇願したかのようである。
パットン(Patton)の大戦車軍団がアヴランシュ(Avranche)を目指して前進する間に、アメリカ第1軍集団はモルタンに向って東へ進軍していた。8月3日、ドイツ軍がこの町を放棄したので、早いうちからこの町の住民は安堵のため息を吐く事が出来ると思った。しかし不運にも、ドイツ軍は総統【ヒットラー】によって決定された反撃を準備する為、第314高地を越えて東に後退していただけだった。この反撃が8月5日の午後11時に空爆を以って始まると、炎上したモルタンの人々は避難した。
その日の夜、ハウサー(Hausser)将軍率いる装甲(Panzer)戦車師団が、パットン戦車隊を後方から切断しようと西方に突進した。こうしてドイツ軍はモルタンを再度占領したのである。
しかし7日朝、イギリス空軍(RAF)のタイフーン飛行大隊がドイツ軍陣地を低空爆撃し、驚くほどの正確さによってドイツ軍車両の3分の1を破壊した。白の大修道院の周辺地区では、アメリカ兵たちが小銃や、戦車、さらに大砲などによる激しい集中攻撃の中にあっても、自分たちの陣地を死守していた。装甲戦車師団の勢いは失せてしまった。凄まじい戦闘が続いたが、11日になってドイツ兵たちは、ファレーズ(Falaise)と、アランソン(Alençon)間の巧妙な挟撃作戦による包囲網によって危険にさらされた。フォン・クルーゲ元帥(von Kluge)は撤退指令を出した。
モルタンの80パーセントは破壊された。廃墟の上に、希望の印であるかのように無傷の塔の輪郭を残して聖堂参事会の聖エヴル(Saint Evroult)教会が建っているだけだった。
聖霊修道会の司祭たちは、自分たちの建物が無事だったのを同じ天主の御保護に帰した。白の聖母は、その記念碑的な無傷の御像が建っているこの大修道院上方の公園から、自分の大修道院を見守った。それでも、8月3日から12日までの間、大修道院は18発の迫撃砲弾を壁と屋根に、100発以上の砲弾をその敷地内に、そのうち2発の爆弾は飛行機から落とされた大きなものだった。
窓には一欠けらのガラスも残らなかったが、そこにいた司祭や修道士たちは無事であった。白の大修道院は、既に破壊されていたホスピス【老齢者や病人を受け入れる宿泊所‐訳者】にいた病人や年配者たちに加え、モルタンから避難して来た数多くの人々を温かく迎え入れた。 これらの人々は、ルフェーブル神父が到着した時にも、 “ホスピス”と呼ばれる翼に依然として収容されていた。
【聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次】
========================
お読み下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。

にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
ご愛読を心から感謝します。
ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思ったら、クリックで応援して下さると励みになります。
愛する兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とに感謝します!
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.
連合軍によるノルマンディー上陸の翌日である1944年6月7日、この大修道院は野戦病院へと姿を変え、6月8日から最初の戦闘で傷を負っていたドイツ兵の搬送が始まった。巨大な赤十字がこの大修道院と他に幾つもあった病院の屋根にペンキで塗られ、この町の保護を天に懇願したかのようである。
パットン(Patton)の大戦車軍団がアヴランシュ(Avranche)を目指して前進する間に、アメリカ第1軍集団はモルタンに向って東へ進軍していた。8月3日、ドイツ軍がこの町を放棄したので、早いうちからこの町の住民は安堵のため息を吐く事が出来ると思った。しかし不運にも、ドイツ軍は総統【ヒットラー】によって決定された反撃を準備する為、第314高地を越えて東に後退していただけだった。この反撃が8月5日の午後11時に空爆を以って始まると、炎上したモルタンの人々は避難した。
その日の夜、ハウサー(Hausser)将軍率いる装甲(Panzer)戦車師団が、パットン戦車隊を後方から切断しようと西方に突進した。こうしてドイツ軍はモルタンを再度占領したのである。
しかし7日朝、イギリス空軍(RAF)のタイフーン飛行大隊がドイツ軍陣地を低空爆撃し、驚くほどの正確さによってドイツ軍車両の3分の1を破壊した。白の大修道院の周辺地区では、アメリカ兵たちが小銃や、戦車、さらに大砲などによる激しい集中攻撃の中にあっても、自分たちの陣地を死守していた。装甲戦車師団の勢いは失せてしまった。凄まじい戦闘が続いたが、11日になってドイツ兵たちは、ファレーズ(Falaise)と、アランソン(Alençon)間の巧妙な挟撃作戦による包囲網によって危険にさらされた。フォン・クルーゲ元帥(von Kluge)は撤退指令を出した。
モルタンの80パーセントは破壊された。廃墟の上に、希望の印であるかのように無傷の塔の輪郭を残して聖堂参事会の聖エヴル(Saint Evroult)教会が建っているだけだった。
聖霊修道会の司祭たちは、自分たちの建物が無事だったのを同じ天主の御保護に帰した。白の聖母は、その記念碑的な無傷の御像が建っているこの大修道院上方の公園から、自分の大修道院を見守った。それでも、8月3日から12日までの間、大修道院は18発の迫撃砲弾を壁と屋根に、100発以上の砲弾をその敷地内に、そのうち2発の爆弾は飛行機から落とされた大きなものだった。
窓には一欠けらのガラスも残らなかったが、そこにいた司祭や修道士たちは無事であった。白の大修道院は、既に破壊されていたホスピス【老齢者や病人を受け入れる宿泊所‐訳者】にいた病人や年配者たちに加え、モルタンから避難して来た数多くの人々を温かく迎え入れた。 これらの人々は、ルフェーブル神父が到着した時にも、 “ホスピス”と呼ばれる翼に依然として収容されていた。
========================
お読み下さってありがとうございます。

BLOG RANKINGです。クリックで応援して下さい。

にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい
ご愛読を心から感謝します。
ルフェーブル大司教の伝記の続きをもっと読みたい
と思ったら、クリックで応援して下さると励みになります。
愛する兄弟姉妹の皆様のご関心と応援とに感謝します!
========================
사랑하올 형제 자매 여러분, 한국성비오10세회(SSPX) 새로운 웹 사이트를 소개합니다.