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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 6.7.7.忠告的遺言―ドンギラを去る

2010年08月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
忠告的遺言―ドンギラを去る

  1942年の御降誕祭に、リーブルヴィルや、カンゴ、そしてシンシュワの地区に属する村々の70人を超える指導者たちを前に、ファン族婚姻規則案 がドンギラにて公式承認を受けた。マルセル神父はこの文書作成に関わって来ていた。ド・ゴール派のパラン自身によってけしかけられ 、この改正案は、カトリック信徒をして一夫一婦制の義務を承認させた。また未成年少女たちの取引を禁止すると共に、結婚持参金の有効性を認めた。さらにこの改正案は“結婚持参金の伴わない婚姻は、(新婦の父親あるいは保護者に対して)余りに奴隷制度じみた保護の元に新郎と新婦とを置くという理由により非難に値すると裁定した。しかしながら、結婚持参金の額は1千フランに制限されるとする。加えて結婚への幾つかの障害も承認された。このような公文書はガボンの新政権と公教会との素晴らしい関係を明らかにした。

  ある日、寄宿学校から年長の生徒たちが卒業することになり、ルフェーブル神父は彼らに対して忠告的遺言を与えた。それは非常に実用的で簡単に要約されていた。
「皆さんは郷里に帰ります。そうなれば貧困に留まることになりますね。ですから手に職を持たなければいけません。」

  しかしながら、間もなく今度はマルセル・ルフェーブル神父にドンギラに別れを告げる番が回ってきた。事実、1943年3月には、疲れ切ったドフラヌー神父が、ムイラ(Mouila)に体を休ませに行かなければならなくなった。さらにフォレ神父が、司教総代理であるドフラヌー神父を引き継ぐようにと、タルディ司教からリーブルヴィルに召還された。 こうしてランバレネの宣教区は新たな長が必要となったのだ。

 野心のないフォレ神父は、愛しき未開地を去ることを未練に思い、タルディ司教へ幾つか丁寧な異議を持ち出した。
「閣下、閣下は私が何の学位も持ち合わせていないのをご存知ですし、閣下がシュヴィリで私の長上でいらした時、閣下御自身、知的な仕事をする際には自分の全力を尽くし切るな、と私を酷くお叱りになられました。」
  「その通りですよ。ただいずれにせよ私は貴方を選んだのです。」
  「ですが閣下、どうしてマルセル神父をお選びにならないのですか?彼はローマで学びましたし、学位を持っています。」

  すると、タルディ司教が答えた。
「私は、ラバ同様に頑固な人を自分と一緒に働く人として選びません!」
しかしながら、フォレ神父はどう見てもさらに扱い易い人ではなかった。それにも拘らず、彼はマルセル神父よりも年長の宣教師であり、それ故にこの司教の右腕になるにはより相応しかったのである。そういう訳で、マルセル神父はランバレネに、【フォレ神父の‐訳者】代理としてではなく、長上として任命される事になった。

 その結果、彼は、自分が試練の全てを通して愛着するに至った最愛のドンギラを去らねばならなかった。彼は自分に求められた犠牲を寛大に捧げ、幾らかの乏しい所有物を持参してランバレネに向けて出発したのである。



聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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