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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.2.2.多様性の内に一致をもたらす

2010年08月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
多様性の内に一致をもたらす

 ルフェーブル神父は、ガボンに於ける使徒職によって、それも取り分け、そこで著名なシュヴァイツァー(Schweitzer)と知り合ったランバレネで自分が成し遂げた業績によって功績を建てた状態で赴任したが、様々な素性からやって来た100人以上の人間を指導し一致させる事は依然として彼にとって挑戦であった。

 そこには7月16日にランゴネ(Langonnet)からリオ(Riaud)神父と共に戻っていた24名の生徒と 、ルクボー(Recoubeau)の修練院や、近場のイル・エ・ヴィレンヌ(Ile-et-Vilaine)のピレ(Piré)にある修練院から来た生徒たちや、さらにスイスはブロネ(Blonay)の遥か遠くにある修練院で、最近誓願の宣立を済ませて着いたばかりだった40人ほどの修道士たちがいた。それに加えて、修学院長は、4年間を捕虜収容所で過ごしていた年上の生徒たちや、入学前に2年間の兵役を務めた別の生徒たちを指導しなければならなかった。彼はまた、フランスに於ける戦闘の初めから終わりまでド・ラットゥル軍又はルクレルク第2戦車師団で戦い6ヶ月前までドイツ戦線での戦闘に従事していた生徒たちにも対処しなければならなかった。レジスタンスで戦った神学生たちもいれば、東部戦線から戻ってきたものもあり、ドイツ国防軍(Wehrmacht)に召集されたアルザス人の生徒もいた。

  当時の生徒であったアンドレ・ビュテ(André Buttet)神父は、ルフェーブル神父が如何にこれらの問題に対処したかを説明した。
「修学院長様は、厳しい規律が辛い過去を思い出させて尻込みしてしまう青年たちの落ち着きのなさを優しく訓練する上で、数え切れない心理学的対応方法を持っていました。彼は声を荒げたり、あるいは規則書を見せびらかしたりせず、全く共通点の見出せない集団を、御自分を中心に団結した家族へと一変させたのです。」

  非常に年の若い神学生でありながら、彼らの備える天賦の才能に関してはルフェーブル神父もすぐに評価したモーリス・フルモン(Maurice Fourmond)とロラン・バルク(Roland Barq)の2人が“補佐”に任命され、一人はスコラ哲学の第一学年、もう一人は、同科目の第二学年における生徒たちとその長上の間の連絡線となった。時代の精神に対する自由主義的な容認からは懸け離れて、この大胆な手段は、従順というものがより完全に保たれるのを確実になるように、指導命令を確立しそれをより正確に実現させる為のものであった。かつて彼の生徒だった一人は言っている。「ルフェーブル神父は如何に賢く指揮を執るかを心得ていたので、時折巻きタバコを吸いにこっそり出て行ってしまうと知られていた数人の元軍人の生徒たちをせっかちに叱り付けない事を望みました。」

 彼はただ容認しただけではない。それどころか、ある日ホスピスの管理人が巻きタバコの小包(それは当時極めて珍しく貴重な物であった)を自分に贈呈すると、彼は例の退役軍人たちにそれをまわしさえした事があった。

  ルフェーブル神父がこの共同体にもたらした結束と家族精神は、物理的問題、特に居住と設備の問題に対処する彼の高い能力にかなりの部分起因した。屋根に出来た穴を修理する事は、生徒たちだけではなく町の年配避難者たちの両方が、水漏れしない建物に住む事を意味するのだ。北風が流れ込むガラスのない多くの窓も、ルフェーブル神父が700枚全ての窓ガラスを取り替えるまでは、殆ど全てが防水布によって覆い隠された。教室や寄宿舎の寒さを取り去る為の努力として、彼らは薪のみならず、おがくずでさえもストーブに焼(く)べた。実際に、眠る為の宿泊施設はかなり厳格でスパルタ式であったし、ベッドの間の仕切りは破れ壊れていた。おそらくこれは熱の循環を向上させる為にこれで良かったのだろう。

  修学院長は神学生たちを元気付けた。「我慢して下さいね。状況をあるがままに受け入れて下さい。もう直ぐ、皆さんが二つずつ洗面器を置く台が来るでしょうから。それから、全員が自分自身のタンス棚を持つ事が出来ます。」

  製作所を所有する弟のミシェルを通して 、この修学院長神父は様々な基礎材料と不可欠な商品を手頃な値段で親類及び友人たちから手に入れた。その中には電気発動機や、修道女たちが使うアイロン機械に必要な加減抵抗器、大分量の靴下とストッキング、ついに到着した窓ガラス取り付け用のパテ、大量のペンキ、さらに毛布100枚などが含まれていた。

 地域会計係りの為に、ルフェーブル神父は神学校の修理に必要とされた支出額の見積書を作成した:

改築用必要経費の見積書(*フラン)
神学校区域の塗装(未解決). . . . . . . . . . . . . . . . . .1,500,000
窓 ロレ社‐(まさに全額を支払いつつあった). . . . . . . . . . 280,000
屋根(修理中でほぼ完了、既に30,000支払い済み). . . . . . . . . 150,000
石造 修理作業(作業中であり、ほぼ完了). . . . . . . . . . . . 30,000
漆喰塗り‐寄宿舎(未解決). . . . . . . . . . . . . . . .. . . .40,000
漆喰塗り及びホスピスの塗装(見積額 :塗装、  40,000
                  漆喰塗り 1,000,000). . . . 250,000
ホスピスの階段(未解決). . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .30,000

  支払額は2,280,000フランに達したが、会計係りはどうやって支払うことが出来たのか不思議がった。あれだけの清貧の中にありながら、お金がどくどくと大量に流れ出ていたようだ。しかしながら、既にルフェーブル神父は、お金の使い方を心得た人という評判を獲得していた。それは、最愛の聖トマスが“気前のよさmagnificentia”と名付けた徳であり、そのスピードに合わせて走る地域会計係りは、すこしばかりはぁはぁとあえぎながら引きずられていたに違いない。

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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