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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記7.3.2.教皇の教えに照らされた熱意

2010年08月22日 | ルフェーブル大司教の伝記
教皇たちの教えによって照らされた熱意

  モルタンでは、一部の神学生たちがこの“新しい空気 ”に説き伏せられてしまったので、ルフェーブル神父は反応してこう勧めた。
「興奮しないで下さい。分裂してはいけません。カトリック教会の社会倫理学を徹底的に勉強して下さい。予め決められたかのように‘民衆の擁護’、あるいは‘金持ちの擁護’ということに気をつけなさい。両者は存在するし、【これからも‐訳者】常に存在します。」

 修学院長は社会倫理を教える教授陣を信頼したが、サンディカリズム や、専門化したカトリック・アクション にある流動的で自惚れた信念に不信を抱いていた。彼はそれについて教え子たちに説明している。「もしも彼らの言うことが本当なら、これらの話題について十分の知識を持ち、深い謙遜を持ってアフリカに行く事が何よりも必要ですね」と。

  彼は“日曜日の朝の研究サークル・グループの会合”の参加者たちに、彼らが教義の勉強をするという条件付きで、大きな自由を与えていた。ルフェーブル神父はこれらの事に対して非常に寛大だったので、1946年、モルタンをパリのカトリック学院と提携させるのに成功した。こうして、優れた才能に恵まれた数名の生徒などは、スコラ哲学の学士号を取得すると、ローマで自分たちの勉強を継続する事が許されたのである。

  図書館では、カトリック思想誌 (La Pensée Catholique)から、民衆行動(Action Populaire)発行の雑誌である『宗教社会呼応道』誌(Cahiers de l’Action Religieuse et Sociale)まで、雑誌トミスト(the Revue Thomiste)を含めての様々な教義関係の定期刊行物を、生徒たちに提供していた。修学院長は、教え子たちの勉強における健全な自由を監督するのは自分の責務であると見做した。一部の生徒たちの中に、“愛徳と位階的な教会を犠牲にしてまで自己満足と活気を捜し求めて、正しくない熱意”があることに気が付いた。この修学院長神父は信頼の空気を駄目にしてしまうようなやり方で振舞う事をせずに、この不健全な態度を矯正しようと試みた。彼は“心の真の喜びと正真正銘の自由とは、権威や真理に対する愛、さらに同僚に対する愛から来る”と簡単に説明することで満足した。

  その原理において間違って土台が置かれた行動の影響を受けたこれら若き知性を助ける為、ルフェーブル神父はカトリック教会の公式な教えを食堂で食事中に朗読させた。その中には、レオ十三世がアメリカ主義についてギボン枢機卿宛に書いた手紙や、ピオ十世による近代主義に関する回勅パッシェンディ、さらに彼が社会近代主義に関するシヨン(運動)について書いた書簡などがあった。

  ピオ十二世は“フランスが、ランス(Reims)での洗礼において受けた驚くべき賜物”をフランス人に対して思い出させると共に、“フランスを誘い、倒そうと目論む‐‐‐これはフランス及び全国家、そして民族の損失の原因となるだろう ‐‐‐破壊主義的な力による攻撃”について警告を与えていた。マルセル・ルフェーブル修学院長神父は、カトリックのフランスが持つ宣教の役割や、“地の塩”としての任務、さらには“信仰の遺産を、真理を、全ての真理をそのまま維持”し、残りの国々を教化するという使命などを生徒たちに想起させていた。
「真理はそのままに留まります。進化などしません。仮に状況が、人による真理の適用方法を変えるとしても、状況は真理の命題も、またその中身も変える事などありません。真理は天主ご自身の様に不変なのです。」

 危険とは、「自分たちを取巻いている自然主義から由来する誤謬を無意識裏に私たちの中に運び込み、この誤謬に従って振舞う事なのです。幾つかの実例を出しましょう。 良心の自由、信教の自由、出版の自由、【政教分離による‐訳者】国家が宗教を持たないこと、さらに1789年の人権宣言などについてどうお考えでしょう? 」


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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