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聖ピオ十世会創立者 ルフェーブル大司教の伝記 7.3.1.様々な思想の動乱

2010年08月21日 | ルフェーブル大司教の伝記
様々な思想の動乱

  “持っているものは何でも”差し上げようと着任して以来、ルフェーブル神父はさらに、誤った思想の矯正と聖職者たちの間に蔓延していた不健全なユートピアの破壊に取り掛かった。ビシー政権を非難する事で、フランス解放はペタン元帥によって承認されたキリスト教的社会秩序の復興という自発的な運動を拒絶すると共に、この元帥がフランスから排除していたもの全てを呼び戻してしまった。

 こうして1945年10月21日の選挙は、ド・ゴール将軍政権の中に共産主義者たちの大臣をもたらす結果になったのである。加えて、この戦争の間、一部の神学生と正しく養成を受けていなかった司祭たちは、共産主義闘士たちとの恒常的な接触により近づいていた。プロレタリア階級の勝利に対する共産主義闘士たちの熱意に感銘を受け、彼らはこの運動をキリスト教化する事は出来ないか、或いは、少なくともそれをキリストに向け直す事は出来ないものかと思った。

  さらに1942年10月5日には、リジューにフランス宣教神学校が開校していた。この神学校校長で、ジャック・マリタン説の信奉者であるルイ・オグロ(Louis Augros PPS)神父が、成人期に達した人間社会は、カトリック教会の指導も含めて、全ての監督を拒絶すること、人間社会固有の領域について自分たちだけで自律することを主張した。彼によれば、本質的に宣教師たちの任務とは、キリスト教の影響力を構築中の新しい文明社会にもたらそうと努める事である。つまり“新しい文明社会に洗礼を授け、キリスト教とこの新文明社会とからの統合体(これは私たちにとって新しいキリスト教世界となるだろう)を創り上げるのに熱心な司祭たち”が必要である、と言う。

  司祭の使徒職のみならず、司祭生活それ自体も、このような思想による堕落の危険に曝されていたのだ。1945年10月は、元の捕虜たち、あるいは活動家国外追放案による犠牲者たちがリジューの神学校に入学し、彼らにより簡略化され“兄弟的な”ミサと、司牧的実験を経験した。これらにより、長上らは典礼様式及び祭服の簡素化や、工場での職業体験学習、あるいは「経済と人文主義協会 Economie et Humanism」により組織された会合に神学生たちを派遣するようになった。

 1940年にドミニコ会司祭、ルイ・ジョゼフ・ルブレ(Louis Joseph Lebret)神父によってマルセイユで創立された「社会学分析統合研究センター」は、資本主義経済を分析し、さらには小教区の使徒職までも調査した。“厳格な理論”や“時代遅れな思想”から解放されて、このセンターは非キリスト教化した農村地域で働く“司祭班”の導入(これは悪い思い付きではなかった)などのような構造的改革を提案していた。1949年になると共産主義の幾つかの価値観を保持しようと切望するルブレは、あまりにも多くのカトリック信徒たちにある“単純で愚かな反共主義”を非難した。

 この職業体験学習期間は独自の成果を挙げている。1946年5月、ルイ・オグロは労働司祭を夢に見ていたが、6月になると数人の神学生は共産党への入党許可を要求した。

「我々にとって、共産主義の扉をキリストに開く事は内側からならそれが可能である。(…)我々の希望と我々の闘争は、彼ら【共産主義者‐訳者】のそれと同じものでなければならない。」


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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