Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ローマ式典礼様式のミサ、旧典礼のミサ)にご招待します

2008年07月19日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

■ 聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ、「ローマ式典礼様式のミサ」)にようこそ!

 愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに歓迎します! 

何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。

何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

何故なら、新しいミサはエキュメニズムのために作られたからです。

<2008年7月の予定>



【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

7月11日 金 大阪 午後5時半 平日(4級)緑
7月12日 土 大阪 午前11時 大修院長聖ヨハネ・グアルベルト(3級祝日)白
7月13日 日 大阪 午前10時半 聖霊降臨後第9主日(2級)緑


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館2F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

19日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
20日(主)午前10時   ロザリオ及び告解
午前10時半   聖霊降臨後第10主日(2級)緑
     午後2時    公教要理の勉強
午後3時ごろ  休憩
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

21日 月 午前7時 証聖者ブルンドゥジオの聖ラウレンチオ(3級祝日)白
22日 火 午前7時 悔悛女マグダラの聖マリア(3級祝日)白

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.2.2.自由主義の最初の勝利

2008年07月19日 | ルフェーブル大司教の伝記
II. 革命が始まる


自由主義の最初の勝利

 ルフェーブル大司教は、しばしば、始めから公会議が展開されるやり方を構想し始めた自由主義陣営の勝利について話した。公会議は「現代化勢力によって統制を受けた。私たちはそれを感じたし、感知した。私が‘私たち’と言う時には当時大部分の公会議教父たちを意味する。そして私たちは何か非正常的なことが起こっているという感じを受けた。」

 最初に起こったことは、準備委員たちから差し出されフェリチ (Felici) 大司教によって公会議委員に対する表決に、最適任である人選であると提示された教父たちの名簿の拒否だった。ドイツ系の司教たちとともにケルンの大司教であるフリンクス (Frings) 枢機卿は、自由主義的司教たちによって構成された別の名簿が受け入れられるように動いた。リエナール枢機卿が攻撃を先導することなっていた。【ティスラン枢機卿は、アカデミー・フランセーズ会員のジャン・ギトンに「公会議が開かれる前に私たちは皆集まって、ヨハネ二十三世によって作られた暴君的な規則を拒否することによって第一総会をハイジャックすることを決議した」と打ち明けている。Jean Guitton, Paul VI secret, p123. in Romano Amerio, "Iota Unum" (NEL, 1987), p80.】

 大聖堂入口で、リエナール枢機卿はルフェーブル枢機卿からトゥールズ (Toulouse) のガロンヌ (Garrone) 大司教が書いたラテン語の文書を受けた。彼は先ほどからずっと座っていた公会議議長団席を立ち上がると、ティスラン枢機卿はただ形だけの発言許可拒否をしたが、リエナール枢機卿は「震える声で」「教父たちの自由」に関する演説文を朗読した。彼は拍手喝採を受け、次にはフリンクスが直接演説した。拍手喝採は二倍大きかった。これで会議は幕を閉じた。

 ライン河周辺の地から来た司教評議会--ドイツ、オーストリア、フランス、オランダ、ベルギー及びスイス--は、幾名のアフリカ司教たちと共に、他の国から来た自由主義教父たちを何人か加えた共同名簿を急いで作成した。

 シリ枢機卿がこのような独占に対して不平を言うと、フリンクスはこう返事した。
「私たちが指名するイタリア人たちを受け入れなければ、イタリア人は一人も選出されないだろうね。」

 こうして 10月 16日、「ヨーロッパ同盟」は座席の 49%を得た。ヴィルトゲン (Wiltgen) がこう論評したように「ライン河がティベル河に流れ始めた」。


 自由主義教父たちの二番目の勝利は、最初の四種類の教義的概要に関する論議を無期限延期にすることだった。これに続いて公会議教父たちがローマに到着するやいなやその四つの文書に対するスキレベクス (Schillebeeckx) 神父の論評を配布するオランダの発議があった。ヨハネ二十三世はフリンクス、リエナール及びアフフリンク枢機卿たちの要求を受け入れて、10月 16日に最初に討論する概要は典礼に関する憲章だと発表した。

 自由主義のこのような二番目勝利は、「啓示の源泉に関して」という最初の教義的概要が遂に 11月 24日の討論に付された時に、まったく確実となった。

 自由主義のグループは招集をかけた。その目標は、エキュメニカルな目的のために聖書に首位性確立させるために、天主による聖伝が聖書から独立していることを否認することだった。

 論争は 五回にわたる総会の間、互いの陣営を交互に論戦し合った 40人の自由主義者たちと 30名の「ローマ系」の間で峻烈なやりとりがあった。

 公会議議長団は教父たちにこの概要の討論を保留しなければならないか否かに関して投票で問うことにした。62パーセントが発議に賛成したが 3分の 2得票には及ぶことができなかった。それにもかかわらずヨハネ二十三世は、ベア枢機卿とレジェー枢機卿の嘆願に屈服し、自分自身で作った規定に反して、「司牧的でエキュメニカルな路線」に合わせて概要を修正するように決定した。この決定は、別の三種類の教義的概要に弔いの鐘を鳴らすことに等しかった。

 後日、ルフェーブル大司教はこう言うだろう。1963年 6月 3日ヨハネ二十三世が世を去り、6月 21日パウロ六世が選出された後、時期早々としてなされた二つの自由主義クーデターは、新教皇によって成し遂げられた、と。つまり、新任教皇は、公会議議長団を構成員が 10人から 12人に増加し、その役目を公会議の運営手続上の問題にだけ責任があるとし、同時に、四人の枢機卿議長、すなわちドプフナー、スーネンス、レルカノ及びアガジャニアンに「公会議の活動を指揮し討論を秩序立てる」権限を与えた。このうち前者の三人は自由主義者だった。後者の一人は教皇庁の枢機卿たちの基準に当たる人と考えられた。こうして自由主義者が覇権を持って公会議を主導するように、パウロ六世が保障してくれたわけだった。

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員


II. 革命が始まる

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