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民主主義という人民操作

2008年07月17日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟の皆様、
 民主主義(自由、平等、博愛)の名前で、陰で人民を操作する人々のトリックは、何でしょうか?

 色々な意見・反対意見を作り出すことです。

 意見の対立の後で、必ず(奇跡的にも?!)誰かこう言う人が出て来ます。「私たちは自由だから、いろんな意見を持っています。私たちはみんな平等だから、私たちの意見は平等に価値があります。でも、私たちが分裂していては、何も出来ません。大同団結しましょう。違いにとらわれないで、共通点に注目しましょう。それが博愛です。皆さんのご意見をよく伺いますと、次の点が共通点です。(ずっと前から準備されていたかのような!よく出来たまとめを言う。)」

 こうして、誰も、多数派も、大多数さえも、その望むところを得ることが出来なくなるのです。

 これは政治の世界での話です。

 さて、もしも、カトリック宗教が、自分を真理であると提示しないなら、意見の一つになってしまいます。もしも、真理のみが自由という特権を有していると主張しないなら、全ての意見は自由になります。

 こうして、カトリック宗教に、民主主義の「自由、平等、博愛」が入り込むことになります。エキュメニズムが、まさにそれです。政治的な大同団結になってしまうのです。

 そしてカトリック宗教は、政治的な政党の一つになり下がってしまいます。人を集めるためにパーティー(ワールド・ユース・デイ!)を開くようになります。

 その時、天主教は民主教になってしまうでしょう。

主よ、我らを憐れみ給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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