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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.2.1.ヨハネ二十三世は手の内を明かす

2008年07月18日 | ルフェーブル大司教の伝記
第12章 公会議の嵐に直面して

II. 革命が始まる


ヨハネ二十三世は手の内を明かす

 中央準備委員会の業務は 7月 20日に終わった。小委は多くの概要を変えた。幾つかの概要は採用されなかった。他の概要は、教会法条項改訂のための委員会 (Commission for Reform of the Code of Canon Law) に送られた。更に、概要の数が 73から 20に減るほど圧縮に圧縮を繰り返えした。なかでも 七つの概要は 1962年 7月に、将来の公会議教父たちに送られた。

 1962年 10月 11日の朝、二日の間ローマを濡らした雨が止んだ。雲の間で明るい日が姿を現わした。6列を組んで 2,400人の公会議教父たち--カッパを着て司教冠を着けた司教たち--は、聖ペトロ大聖堂の階段を登り、入り口前の通路(vestibule)を横切り、正門から入場した。

 次に彼らは大聖堂身廊(nave)の両脇に用意された階段座席の右側と左側にある各自の席に案内された。ルフェーブル大司教の座席には ‘D 1090’という番号が付いていた。とても狭いうえ足を伸ばす空間がほとんどなく不便な臨時的な座席だった。他の教父たちと同じく彼にはやや小さい白いプラスチックの書類ホルダーが与えられた。彼はそれを椅子に附着した肱掛け兼用の机の上に乗せた。彼は書類ホルダーの中を見て、公会議祈祷文、十月の議事日程、投票する方法のためのマニュアルが付いたパンフレット、その他等々の文書を確認した。

 教皇が入場し、大聖堂身廊の枢機卿席の前にある小さな祭壇でひざまずいて、Veni Creator Spiritus を歌い始めた。そうだ、「聖霊、来たり給え!信者の心に満ち給え! 御身の聖なる光もて我らが精神を導き給え! 我らより厭わしき敵を追い払い給え!」

  7月 28日から聖霊司祭修道会総長であったルフェーブル大司教は、自分の修道会の聖なる守護者に熱烈に助けを乞い求めた。準備会議の間にお互いに対立状態にあった二つの陣営は、確かに新しい闘いに備えていた。しかし、ルフェーブル大司教は聖霊の助けとペトロの後継者としての教皇--天主の権利による教会の頭--が座長となる公会議とが「聖霊降臨の風と炎とに完全に従う教会」において、真理の霊の凱旋を保障するだろうと考えた。

 ルフェーブル大司教は、真理が語られるならば、このような機会において極めて標準的な手紙において、その確信を修道会の会員たちと分かち合った。

 この確信は、モンティーニ枢機卿の息吹を受けて書かれた公会議開会演説をヨハネ二十三世が朗読したとき、その場で打ち砕かれた。

 150年前から教皇ピオ十二世に至るまでのすべての前任の教皇たちが異口同音、一致して告発していたことがある。「日々発展し、その最も深い内部をかじりつくして、その崩壊まで引きずり込んでいる恐るべき根の深い病気、敬愛する兄弟たちよ、あなたたちはこの疾病が何なのかを分かっている--天主からの背教である。」(聖ピオ十世『エ・スプレーミ・アポストラートゥス』)

 しかしながら、教皇ヨハネは奇妙な楽観主義を見せながら、次のように前任の教皇たちを否認した。

「まるで世の終末が近いかのように最悪の事態を絶えず予言する不吉な予言者たちとは私たちは関係をまったく切らなければならないと信じます...。彼らによれば、現代社会は破滅と惨禍に導かれるのみであり、過去に比べると現代は堕落のみを見せていると言います。」

 ヨハネは新しい公会議方式を提案した。
「この確かで変えることのできない教理 [つまりキリスト教教理] は、現代の教え方が要求するやり方に従って研究され解説されなければなりません。信仰の遺産ということと、それが提示されるやり方は全く別のことです。私たちが教えるにあっては、特に司牧的である表現様式に頼らなければなりません。」

 キー・ワードが「司牧的」と表現された。過去においては、公会議は羊の群れに対して「飢えた狼」に付いて警告を与えることによって ----- オッタヴィアーニ枢機卿は第二バチカン公会議もそうであるべきだと考えていたように----- そして神学校とカトリック大学とに侵透している誤謬にういて警告を与えることによって、司牧的であった。

 しかしヨハネはそんなことは問題にせず、ほとんど気を使わなかった。
「今日、キリストの花嫁は、厳しさの武器を振り回すよりは慈悲という薬に頼ることをより好むのです。教会は、断罪するよりはそれを考察し、教会の教義の富を強調することによって現代の要求によりよく対応するのです。」【これが、レジェ枢機卿が書き、フリンクス枢機卿、アルフリンク枢機卿、スーネンス枢機卿、ケーニヒ枢機卿、リエナール枢機卿の共同署名の教皇ヨハネ二十三世に対する請願書のライトモチーフであった。詳しくは G Routhier, "Le Cardinal Léger et la préparation de Vatican II", in Revue d'Histoire de l'Eglise de France, no. 205 (1994): 301.】

 しかしルフェーブル大司教が自問したように、教会は間違いを排斥せずに、どうやって「効果的に」真理を提示するのだろうか? 「特に司牧的な公会議」という観念は、信仰のための闘いを投降する隠蔽工作だったのか?

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第12章 公会議の嵐に直面して
I. 中央準備委員会委員


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