tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

「THIS IS SHE」その1

2010-02-05 23:12:56 | 日記

 小説家は、一枚の写真から宝石のような言葉をつむぎだし、感動の物語を完成させる。その一方でフォトグラファーは一枚の写真に、小説家が描き表せないような感動のドラマを封じ込めることができる。
感動を呼び起こす写真をものにする。これがフォトグラファーたちの共通した魂の欲望だ。

 人物写真に取り組むフォトグラファーは多い。それは、人の生き方とその人が住む世界に対する好奇心が、フォトグラファーを人物写真に駆り立てるからだ。
どんな目標であれ、人生の目標に向かってひたむきにチャレンジする人たちの姿には 「人間の輝き」 がある。それを写真に撮ることで、多くの人の共感を得ることができる。
さまざまな職業におけるプロフェッショナルたち。その「覚悟」 「厳しさ」 「優しさ」 「誠実さ」。そして「愛」 「勇気」 「情熱」「自由」  「独自性」 。プロフェッショナルと呼ばれる人たちの日々を切り取ったドキュメンタリー写真は、これまでに数多くフォトグラファーたちに撮られて、多くの人に感動を与えてきた。

 それでも、写真だけでは被写体の人物が 「日々何を考え、何に感動し、どう生きようとしているのか」 までは伝えられない。ぼくはドキュメンタリー写真の手始めに、ぼくがダイビングの師匠として尊敬している、ある女性プロフェッショナル・ダイバーを取り上げることにした。
ぼくが彼女を尊敬している点。それはなによりも彼女の人生に対する前向きな姿勢だ。
平日はキャリア・ウーマンとして一流会社に勤務。そして週末はプロのダイビング・インストラクターとして西伊豆・雲見の海を潜る。
めったにないプライベートの日は、ほとんど海。早朝に5~10kmのジョギングをし、体力維持に努めている。

 ・・・何が彼女を海に駆り立てているのか。残念ながら今回は、そこまで掘り下げた写真を撮ることはできなかった。だが、プロのダイバーとしての「覚悟」 「厳しさ」 「優しさ」 「誠実さ」、そして「情熱」の一端をかすかにとらえることができたように思う。写真に関しては、まだまだ未熟で荒さばかりが目立つのだが、これからも 「人間の輝き」 を求めて心躍る出会いの旅を続けていきたいと思っている。

 久米島空港到着。彼女の企画によるダイビング・ツアーの始まりだ。先行して久米島入りし、空港でカメラを向けて到着を待ち構えていたぼくに気づかずに、彼女は前を通り過ぎた。カメラに気づいていない彼女の素の表情に、ツアー中に絶対事故を起こさないとの決意が伺える。
同行したゲストは、シャッターを切りまくるぼくを地元の報道関係者と思ったらしい。ある意味、2重で嬉しい。
ぼくが報道カメラマンを思わせるような「撮るぞ」オーラをだしていたこと。そして、ぼくが素朴な島の人と思われたこと。
かのインストラクターは「慶子さん」。下田ダイバーズで雲見の週末ガイドを務めて4年になる彼女だ。

 

 現地のガイドのスーパー・インストラクター純平氏と潜るのは初めてなので、潜る前のブリーフィングでも、「潜降後、慣れるまでは、ボート下でしばらくのんびりしましょう」と打ち合わせをして1本目のエントリーをする。ぼく自身、2ヶ月ぶりのダイビングとなるのだが、このりフレッシュにより耳抜きも問題なくクリア。
一緒に潜ったメンバーは、純平氏と、慶子さん。そして、ゲストが3人の計5人。
本来ならば、潜降の際にゲスト同士でケアしあわなければならないのだが、アシスタント役の慶子さんが決して無理をさせることなく、しっかりアイコンタクトをとりながらゲストたちのペースに合わせてくれるので、特に問題を感じないかぎり一人で自由に撮影させてもらっていた。

 

 アイコンタクトして、目を見ればゲストの心理状態が見えてくる。そしてそれが、ゲストにとっては、見守られているという安心感を持つ。

 ホームグラウンドの雲見では、ガイドの慶子さんの後を追っかけてゲストは潜る。だから、いつも目にしているのは前を潜行する彼女のフィン。
彼女を正面から捉えた写真は新鮮な感じがする。
雲見で潜る時は、彼女は5秒に1度、後ろを振り返ってゲストの状態を確かめる。
今回も、潜水中に自分のタンクの残圧を確かめてから、他のダイバーたちに目をやると、かならずこちらを見ている彼女と目が合った。
常にゲストたちの様子を見守っているのだ。しょっちゅう、目が合うので、自分のタンクの残圧はガイドの純平氏にではなく、彼女に申告。
・・・不安ダイバーは、常に監視されている。

 1本目を終えて、体内に溶け込んだ窒素ガスを安全なレベルまで抜くための、-5mで3分間の安全停止。
安全停止の残り2分で、-7mの海底にハナミノカサゴを発見。そしてその先で、トリガー・フィッシュがなにかをねらっている。大きな背鰭第1棘が銃の引き金のようにロックされる構造になっているのでトリガー・フィッシュの名があるモンガラカワハギ。南の海ではシュノーケリングでも比較的良く見かける派手な模様のサカナだ。歯が鋭く噛まれると大きな怪我をする。
・・・見つけた瞬間にぼくは安全停止をいったん中止して海底へ。タンクにエアの残圧があると、カメラ派のダイバーは無謀にも、また深みに潜ってしまう。
獲物を見つけると追いかけてしまうハンターの心理なのだろうか。こうして身勝手な行動をする一部のカメラ派ダイバーは、だから嫌われる。
ということで、写真を撮ってまた-5mに引き返し、安全停止の再開。・・・勝手な行動、ごめんなさい。。

 中性浮力で漂っているダイバーがいかに美しくて魅力的なのか、この写真で少しでも伝わればと思う。
さすがにダイビング・インストラクターだけあって、その動きや中性浮力のどれもすべてが美しい。うっとりと見とれてしまう。これぞプロフェッショナル・ダイビング。
黄色のタンクカバーにオレンジのシュノーケル。ホームグラウンドの雲見では、彼女は水中での目印に白い紐を通したジェットフィンを履く。

 写真を整理していて、いつも強烈に思うことは、
あの時、自分は何を見て何を感じるべきだったのか?
なぜあの時に、ファインダーを覗くことを躊躇してしまったのだろうか?
写真の技術的な問題はもちろんのことなのだが、それ以前に被写体の本質がつかめずに、ハートのない写真の山を築き、大きな後悔がこみ上げて来る。
ひょっとしたら写真を撮るということは、撮ったら終わりというものではないのかもしれない。写真を撮った後も、脳裏に深く焼き付けられたあのときの構図がよみがえってくるのだ。言わずもがな、撮った写真に対して責任がある。いい加減な気持ちでブログには載せられない。

 PC画面に写真を表示させながら、ぼくは何度も舌打ちをする。
水中にしろ、地上にしろ、フラッシュの使い方に慣れておらず、被写体に醜い影やフラッシュの反射が出てしまう。
今回、写真を撮っていて、もっとも後悔したのはレンズ。風景写真も撮るということで、標準系のズームを選択したのだが、やはりこれは、まわりのものも写ってしまって人物描画には向いていない。
それでも、至近距離でもカメラを意識することなく写真を撮らせてくれた彼女に感謝。
 

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