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日本代表のW杯が終わった。選手たちの表情をみながら言葉にならない感動が心を満たした。結果は残念だったが、W杯前には想像もできないような盛り上がりを見せたのは、やはり日本代表がおおいに健闘したからだ。未到の域まで駆け登ってくれた。敗れ去ったのではない。次がある。若者たちの輝きに、ぼくら大人たちもまた襟を正そうと思う。本当に ありがとう。
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「世界遺産・屋久島の森。植物と動物のたくみな共生の仕組み」と屋久島の森についてよく言われるが、植物同士、あるいは、植物と動物が屋久島で共存できているのは、何千年にも渡る過酷な生存競争の延長上にある一過程でしかない。
環境の変化や外来種の繁殖などの外的変化で、それまではバランスの取れた生態系が敏感に変化してゆく。
つまりは、屋久島の今ある共生は、「すべての動植物の遺伝子は、遺伝子自身の繁栄を優先する」というルールに従って存在しているに過ぎないということだ。
「共生関係」として良く取り上げられる「クマノミとイソギンチャク」は、たまたま「イソギンチャク」の触手の毒に対する耐性を取得した種が生き残ってイソギンチャクに生息しているに過ぎない。
自我の発達した人間にとっては「自己」が生き延びられるということが「強い」生き方だ。一方、野生動物においては、自分の子孫を後世に残せる、ということが「強い」生き方となる。
だから、弱肉強食の頂点にいる百獣の王ライオンはその生死が餌となる草食動物に依存している分、餌となる動物種の方が本質的には強いのかもしれない。
こうした関係を人間と環境との関係にあてはめ、人間は生態系の一部であり、人間に多大な恵みを与え、生存基盤でもある環境を保全していく重要な責務があるとするのが環境保全推進者たちの主張するところだ。「自己を優先せずに遺伝子自身の繁栄を優先する」と言う意味で理にかなっている。
人類の爆発する人口増加の行く先には、近未来の食糧難と、それに続く大量の餓死が待っている。われわれは地球規模の食糧難という巨大な時限爆弾を抱え込んでいるのだ。
だが、人類は破壊と同時に自然に対する働きかけができる。それは「再生」だ。
暗鬱な人類の未来だが、少しだけ「希望」が残されているように思う。
この先、人類は、自然と動物、動物と人間、個と集団、男と女、もろもろの関係性の中で、共生をとことん追求することが必要となるのだろう。
どんなに絶望的な関係の中でも決してあきらめないこと。人類の将来は、かつての戦争による人口減少だけが選択枝ではないということ。
だからこそ、ぼくらは「死」と向き合っていることを常に意識しなければならないのかもしれない。
***世界遺産 屋久島編 了
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