彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都・嵐山❹―夕立の中、「渡月橋」の橋の下で雨宿りをし、雨中の「嵐山城」を望む

2017-07-27 12:12:39 | 滞在記

 周恩来の詩碑がある亀山の丘陵地を下り、保津川べりに着くと、「保津川下り」の船やそれに近づく物売りの船が見えた。今日の最後の下り船だろうか。そして、ついに大粒の雨が突然のように降り始めた。この夕立はしばらく続きそうだ。「渡月橋」の方に向かう。とても小さな携帯折りたたみ傘なので、どこかで雨宿りをしたい。雨にけむる渡月橋と嵐山の風情は、さきほど見た「周恩来」の「雨中嵐山」を思い出させる。雨がさらに激しく叩きつけてきた。

 渡月の橋の下で雨宿りをしている人たちがいたので、私もそこで雨宿りをすることにした。少し水の中を渡って橋の下に着く。先に雨宿りをしていたのは欧米からの女性3人のグループだった。雨霧につつまれた嵐山の山頂を見る。山頂には、戦国時代(室町)の山城がある。城の名前は「嵐山城」という。別名は「嵯峨城」。5〜6年ほど前に、山に登りその遺構を調べにいったことがあった。

 渡月橋から山に向かい、山の尾根伝いに登ること約1時間半ほどで、「嵐山城」の城域に到着できる。比髙(麓から山頂までの高さ)は335m。けっこう高い。1505年〜40年ころまでの時代の文献記録に登場する城で、1505年には、当時の京都守護代だった「香西元長」(当時、室町幕府菅領―将軍の補佐役・幕府官僚の最高位であった細川政元の家来)が城に立て籠もり落城した記録などがある城だ。曲輪(くるわ)や堀切などがはっきり残り、石積みもある。典型的な山城の遺構を見ることができる。

 渡月橋を渡った正面の山腹に「法輪寺」という寺がある。この寺の裏山あたりから登山道で幾つかの山の尾根を伝って嵐山山頂に到着できる。途中分岐点があり、苔寺や松尾神社方面に行くこともできる。京の街と山陰道や大阪に至る道をおさえる重要な場所でもあったのかと思われる。小高い「岩田山(野生の猿がたくさん住みつく)」が登山道とも近いので、時々サルもよく見かける。近づくと、樹上からキキキッキッキッー!!になどの威嚇の叫び声を発してくるので少し怖くもある。

 30分ほどしてようやく雨が上がり始めて来た。渡月橋の上に戻る。この渡月橋の歴史は古い。836年に現在の場所よりも100mほど上流に架けられたようだ。その後、亀山上皇が「東から西へと月が渡る様」を見て、「渡月橋」と名前をが付いたようだ。千年以上の歴史を持つ橋だが、現在の地の橋は、1606年に、保津川の改修にあたった角倉了以によって造営されたと記されていた。

 渡月橋を渡り、中州の茶屋の建物に立派なピンクの百日紅(さるすべり)の花が咲いていた。中の島の小さな橋が風情あり。時代劇などのドラマでもよく撮影される橋だ。アオサギがじっと川面に立っていた。阪急電車に乗り、京都市内に向かった。2時間半ほどの嵐山だった。

 

 

 

 


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