彦四郎の中国生活

中国滞在記

比叡山から奥比叡、そして仰木の里、大原の里へ―比叡の櫻と三千院の石楠花(しゃくなげ)

2017-04-27 12:58:53 | 滞在記

 中国に戻る前々日の4月23日(日)、妻と一緒に比叡山に車を走らせた。快晴の天気。自宅から1時間ほどで、比叡山の山頂付近に到着する。滋賀県大津市内と琵琶湖が望める。山桜が美しい。ちょっとした「吉野山」の桜を見る観がある。京都市内方面を望む。遠くに大阪市内のビル群、住まいのある八幡市や男山(石清水八幡宮)、そして 京都市内の御所や京都駅、娘の家あたりが見える絶景だった。奥比叡に向かうと、比良山系や琵琶湖、仰木の里が見える。

 奥比叡の桜は もうすぐ満開の季節だった。もみじの若葉と桜が群生している景色は、「ずごい!」。この季節に、初めてこの奥比叡に来たのだが、「比叡山・奥比叡ドライブウェイ」の料金は2000円を超す料金で かなり高額だが この季節には ここを通る価値はありと思った。

 奥比叡を過ぎて「仰木の里」に出る。棚田には水が入れられていた。仰木の棚田の一本桜は葉桜となっていた。「しろかき」も始まっていた。仰木集落を後にして、伊香保集落へ。チューリップと菜の花の畑を見る。

 大原の里に向かって車を走らせる。ここ大原は、京都市内からほど近いが 桜は まだ見ることができる。菜の花畑から大原の集落を見下ろす。山も美しい。三千院に行った。妻はこの寺院に来るのは初めてのようだ。有名なお寺なので、彼女が20代前後のころまでにすでに来ているものだと思っていた。石楠花(しゃくなげ)が満開だ。しかも境内のいたるところにある。桜と石楠花と山吹の季節となっていた。

 三千院の境内はかなり広かった。お堂と石楠花、そして桜。一枚の絵となるような景色を見た。苔にたたずむ可愛い石仏。大きな花を咲かせていた椿。

 大原女(おおはらめ)祭りが5月上旬にあるようだ。昔の大原女のカラー写真が掲示されていた。大原女が彫られた石の横に、1970年代にヒットした歌曲『女ひとり』の歌碑があった。「京都 大原 三千院  恋につかれた 女がひとり---」。作詞者は永六輔だったのを初めて知った。

 大原を後にして、夕方近くに娘の家に立ち寄る。

 ◆4月21日(金)の夕方、京都市内にある映画館で映画を見た。映画館に入ったのは実に5年ぶりだろうか。『グレート・ウォール』(偉大な壁)という米中合作映画で、日本では4月13日に封切られた。中世の「明の時代かな」と思われる時代を背景にした中国の「万里の長城」を舞台とした映画。万里の長城が実際に実戦用に使われていた時代の様子が想像される映画だった。アメリカ人俳優のマット・デイモン(※2015年に上映された映画『オデッセイ』―火星が舞台―の主演)や中国人俳優のアンディ・ラウ(劉徳華)などが出演している。特に青い鎧をまとった女性軍団が美しい。

◆京都市とその周辺の山々。櫻は3月上旬から5月上旬までの1カ月間 見ることができることが 今回の日本滞在中の櫻花めぐりでわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


周山街道の京北町から花背・鞍馬へ―桜・つつじ・若葉・北山杉のコラボ/新たな火種「徴用工像」

2017-04-27 06:35:06 | 滞在記

 4月21日(金)、妻の実家や親戚などがある京都市京北町に行くことになった。日本への一時帰国中、京都市内から京北町に至る周山街道の桜やつつじを見て、妻の実家の人や親戚の人に挨拶もしたいと思いながら街道を走る。京都の金閣寺の近くにある立命館大学から北へ30分ほどで京北町の中心地「周山」に至る。(京都の三条大橋などから鴨川を北に見た時 北山連山が見える。この山々の向こう側に京北町がある)

 京都市内では、「葉桜」となっているが、山の峠を超えた 街道沿いの「高雄」では、まだまだ桜が咲いていた。小さな峠から見える「三つ葉つつじ」が見ごろを迎えていた。

 さらに街道を走ると、桜が満開の時期となっている。桜と もみじの若葉(青もみじ)と 北山杉のコラボレーション(共同制作・共同作業)が美しい。見事な景色。北山・西山・東山の各連山に囲まれた京都という街の「奥座敷がある」奥深さ。

 京北町下熊田の集落にある「宝泉寺」という寺に立ち寄る。桜が見事な小さな寺だった。地元のおばさんたちが作った「山椒(さんしょ)味噌」を2つ買う。妻の姉の家や妻の実家にも立ち寄り 家にいた人に挨拶をする。

 京北町に「丹波マンガン記念館」というところがある。ここ丹波山地は、マンガンを産する鉱山(丹波産地だけで300か所)が多くあったところだ。以前に2回ほどこの記念館に入場したことがあった。1940年初頭から戦時中にかけて多くの朝鮮人や中国人が強制連行されて日本各地の鉱山(石炭・マンガン・銅など)で働かされた歴史がある。ここに昨年の8月にある像が設置された。ここで働いていた「徴用工」の像だ。この像を設置したのは、韓国・釜山の日本総領事館前に「従軍慰安婦像」を設置した団体と同じだ。寄付で集めた1憶3400万ウオン(約1300万円)の基金で設置されたこの像のことを韓国側は「強制徴用労働者像」と呼ぶ。日本側が言うところの「徴用工」の像である。

 この像は、肋骨が浮き出るほどこけた上半身裸の男性が、右手に鶴嘴(つるはし)を持ち、左手を頭の高さまで持ち上げる。肩には「慰安婦像」と同じように小鳥が止まっている。像の製作者は「慰安婦像」を作成した人と同じ。設置した団体(韓国の労働組合である「民主労総」や「韓国労総」、韓国の政党である「共に民主党」など)は、今年の8月に韓国のソウル市内に これと同じような像の設置を計画している。また、北朝鮮国内での設置も計画中と聞く。慰安婦像に続いて「反日」を煽る人たちが、第二の慰安婦像問題として動いている。京都市の北にある静かな山中に「日韓両国」間の新たな火種が置かれたなと 複雑な思いを感じながら ここを立ち去った。

 京北町の黒田地区にある「黒田小学校」の跡地。今も校舎や運動場が残っている。この学校の裏手にある小さなお寺の桜がなかなか見事。二宮金次郎像と桜のコラボも見られる。

 黒田小学校跡地の隣にある「春日神社」。ここに「黒田の百年桜」があった。この桜は山桜の突然変異で「10〜12枚の八重の中に一重が混じる」珍種。樹齢は300余年。突然変異のため種子はできないが、京都の円山公園の枝垂桜などの桜守として知られる造園業の佐野藤右衛門親子が、30年余年に及ぶ執念により1977年に苗づくりに成功した。今、大阪の造幣局などに この桜の子供が大きな大木となり 花を咲かせているようだ。

 桂川の上流となる大堰川の渓流沿いに咲く桜並木も美しい。京北の山が新緑の季節を迎え「山笑う」。

 京北町から「花背地区」に向かう山道を走る。「花背」地区でも、小さな渓流と様々な花々を見る。コブシの花が満開。花背地区から鞍馬へと続く 長い峠道。九十九(つづら)折りの道がくねくねと続く。峠を越えると 今度は とても急な杉林の中の九十九折り。鞍馬に着く。峠を越えた京都市内側の鞍馬では、もう葉桜となっている樹木が多い。峠を隔ててこんなにも違う季節の移り変わり。

 京都市内に入り、銀閣寺近くの吉田山山麓にある娘の家に立ち寄り、「山椒(さんしょ)味噌」を一つ渡した。孫の「栞(しおり)」が生後6か月となり 表情が豊かになっていた。孫とはこんなに可愛いものか。我が子への可愛さとまた少し違う孫という存在。

 

 

 

 

 

 

 

 


日本の桜を見ることができた❷—「哲学の道」、そして「祇園白川」

2017-04-20 05:38:39 | 滞在記

 欧米のスペインから来ている4人家族の観光客。イザベラと呼ばれる女の子とやんちゃな兄。2人の背後に紫色の小さな花。「これも桜です」と小さな立札で書かれていた。ビールを飲みながら休憩している欧米系の人たちの姿も。桜の花びらが降り積もった上に、小さな白い可憐な花が咲く。

 哲学の道を流れる疎水。白鷲がやってきた。桜と山吹の競演。ピンクの石楠花(しゃくなげ)やミツマタのほのかに黄色い花。東山山系を背後にした屋敷の前に、山ツツジが咲いている。

 ここ哲学の道は、東山三十六峰の「如意ケ嶽」や「大文字山」と「吉田山」に囲まれた場所にある。学生時代の下宿(2階)の窓からは吉田山が正面に見えたが、なにか山間の地方都市にいるような感覚を受ける 落ち着いた地区である。私にとっての心の故郷の一つ。学生時代からあった、和洋折衷の素敵な家が今もあった。小さな「大豊神社」(ネズミの狛犬がある)の参道に馬酔木(あせび)の花が咲く。琵琶のような楽器で演奏している人、疎水のオシドリや鯉。このあたりは、6月〜7月になると蛍が見られる。

 疎水べりの竹とシャガ。哲学の道を後にして、天王町バス停に向かう。途中に「泉屋博古館」という博物館がある。中国の青銅器を一堂に集めた日本で最大の青銅器博物館(住友コレクション)。特別企画展として「楽しい隠遁―山水に遊ぶ―雪舟・竹田・そして鉄斎」が開催されているようだ。日本人による水墨画や山水画の世界。ここは学生時代に時々行き、半日あまりのんびりと過ごしたことも よくある博物館。来館者がとても少ない館なので、広い博物館のロビーのソファーなどで昼寝などもすることができる。館の入り口にもシャガが咲く。

 天王寺バス停から京阪神宮丸太町駅に向かう。京阪電車の駅には「平安神宮」を描いた大きなイラスト画。中国の王宮の建築とは完全に違っている日本の王宮建築の様子を感じる。日本は「簡素さ・シンプルさと木の文化」だな。そして、華麗な色彩が控え目な色で落ち着きがある。「京都パープルサンガFC(現在Jリーグ2部)」のポスターがあった。今期に新しく加入した「田中マルクス闘莉王」選手、35才。この日の夕方に、昨年秋に結婚した息子夫妻が 家に来た。一緒に夕食を食べる。

 翌日の4月17日(月)の昼ごろから雨風が強くなり「春の嵐」が近畿地方を通過していった。雨風は18日(火)の明け方まで続いた。この春の嵐で、ソメイヨシノなどの桜の花は散らされた。18日(火)の夜、哲学の道にほど近い娘が住む家に行く。久しぶりに見る孫娘の「栞(しおり)」(生後半年)。「ハイハイ」をし始めていた。夕食を一緒に食べた後、浄土寺バス停から「祇園白川」の石畳の道に向かう。大きな柳が美しい。まだ少し残っている桜の花がライトアップされていて、日本情緒を感じる。欧米やアジアからの観光客で 夜 ここを散策している人もまだ多い。夜、10時すぎに自宅に戻る。

 

 


今年も日本の桜を見ることができた❶—「背割堤」「哲学の道」、そして「祇園白川」

2017-04-20 03:28:24 | 滞在記

 2013年9月に中国に赴任して以来、2年間は日本の桜を見ることができなかった。昨年の4月9日に娘の結婚式があったので一時帰国した際、久しぶりに日本の桜をみることができた。今年の一時帰国は、4月15日(土)だったので 京都地方の桜を見ることはできないだろうと思っていたが、例年より1週間ほど開花時期が遅くなったようで、ぎりぎり まだ咲いている桜を見ることができた。帰国翌日の16日(日)午後に、まだ咲き残っている桜を見に出かけた。

 住んでいる京都府八幡市の「石清水八幡宮」下宮付近の桜を見る。満開の時期から1週間ほどが経ち、かなり花が散ってはいるが まだ美しい。下宮付近の「不動堂」に至る小道には、山吹や白い石楠花(シャクナゲ)の花が咲いていた。

 八幡市駅前の枝垂れ桜が満開だった。ここから歩いて10分ほどのところにある「木津川・桂川・宇治川」の三川が合流して淀川となる「背割堤(せわりてい)」の桜並木を見に行く。堤防には薄いピンクの桜並木が続いていた。その長さは1.3kmにおよぶ。

 天気も良いこの日、今年最後の桜の咲く並木を見ようとたくさんの人が訪れていた。新しくできた展望台に上り並木を俯瞰した。石清水八幡宮のある「男山」には、山桜が咲いているのが遠望できた。

 京阪電車に乗り終点の出町柳駅で下車、「哲学の道」に向かう。ここは学生時代に3年間あまり暮らした下宿(銀閣寺山門横)が近い。中国語圏や欧米から来た女性観光客が和装をしている姿が多く見られる京都の街。桜はかなり散ってはいたが、4月中旬ころに満開を迎える桜の種類もけっこうある。白い花を咲かせる桜の種類は、5月中旬には わりと大きなサクランボの実をつける。学生時代には、このサクランボをよく食べた。野点(のだて)をして茶をふるまう喫茶店があった。ここも学生時代に ふらふらと よく来た店だった。

 この疎水沿いの哲学の道は、四季を通じて花々が咲いている。この時期、青いもみじの葉、山吹、レンギョウ、雪柳。レンタル自転車に乗った欧米系の女性の姿。

 

 

 

 

 


日本に関心がある人たちが集う「日本倶楽部」 於:福州市

2017-04-18 11:35:02 | 滞在記

 4月中旬になり、アパートの窓から見える福建師範大学構内の山も、ぼちぼちと新緑の木々の若葉が出始めた。遠めから見たら、ちょっと桜のように見えなくもない桐の木が3本。薄い紫色の花が満開となっている。4月10日ころから気温が30度を少し超える日々が数日続いている。「福州晩報」という地元の新聞にも、いよいよ30度を超えたとの記事が掲載されていた。

 4月に入り、大学に通勤する43番バスの乗ると「遠くに黄色く色付いた紅葉」を毎日眺めることができた。春に紅葉し落葉、そして2週間ほどで新しく芽吹きが始まり、さらに2週間ほどで若葉を出し始めるという樹木がこの亜熱帯地方ではよく見られる。だから、「きれいな紅葉の小さな森があるなあ」とずっと思っていた。4月13日の夕方、この森の近くで途中下車し、行ってみた。それは、紅葉ではなくて「黄色い花」をつける樹木だった。

 4月8日(日)、福建師範大学大学院生の康さんに勧められて、一緒に待ち合わせをして「日本倶楽部」というものに行ってみた。アパート近くのバス停から20分間ほどで、「万達(ワンダ)広場」という商業施設前に到着。中国の「万達集団」という企業グループが経営し全国展開をしている商業施設だ。日本でいえば「イオングループ」のような存在だろうか。この施設の周りには、たくさんの店ができている。新しいその商店街に日本式料理店があった。ここが、今日の日本倶楽部のメンバーが集まる場所だという。

 この日集まったのは10人。私以外は全員20代〜30才前半ぐらいまでの若い人たち。福州にある「桜日本語学校」で講師をしている日本人の磯部さん(30才くらいかな)[写真、一番左]の呼びかけで集まった中国の若い人たちだった。独学で勉強した人や日本語学校で日本語を勉強した人もいれば、大学で日本語を勉強している学生もいる。日本に興味・関心がある中国人が、いろいろな人の口コミで集まってきていた。ビールや日本酒やジュースを飲みながら乾杯をして、話がはずんだ。中国人8人のうち、6人はすでに就職していて、2人は現在 学生だった。

 大学からの仕事の帰り、アパートの近くの移動販売の小さな車でタケノコを買った。スーパーなどで買うより新鮮でやわらかい。小さいタケノコを一つ買った。(3元・約45円)   5m先にも 女性が道端にタケノコを広げ販売していた。他に、サツマイモを売る車や枇杷を売る車などが並んでいた。

 この界隈には食堂が十数軒並んでいるが、食堂に雇われた出前専門員たちがいる店もある。バイクで食堂に注文が入った品を運ぶ。ある食堂は、3人もの配達専門員がいる。小さな食堂なのだが、注文がけっこう入るのだろう。配達員は学生のアルバイトではなく これを仕事としている20代〜30代の人たちだ。

 4月13日の夜、仕事やパソコンをする机の椅子が 座っていたら突然 バキ ボキ バキ ドンという感じて壊れてしまった。仰向けに倒れ込んでしまった。5本の足のうち3本が折れていた。この机は、2016年の8月下旬にこここに入居して、机はあるのだが椅子がないので、ここの大家である不動産店の店長に「椅子を配備してほしい」と依頼した時に持ってきたものだった。あまりのボロさに「よくこんなものをもってくるな」と思いながら使い続けていたが、ついに突然壊れた。

 4月15日(土)、午後の便で日本に一時帰国。夕方6時半ころに関西国際空港に到着した。10日間余り滞在し、いろいろな用事をすませ、25日の夕方に中国に再び戻る予定。