彦四郎の中国生活

中国滞在記

関西の4つの日本語学校に行く❷―関西の日本語学校では、どこが学生に勧められるのだろう---

2017-04-29 21:56:26 | 滞在記

 「関西語言学院」の近くには、「JCL外国語学院」(日本語学校)ので、この日 この学院も訪問した。この日本語学校の日本の難関大学や大学院への合格実績もすごいものがある。2015年3月までの10年間あまりで、東京大学22名、京都大学115名、大阪大学84名---。国公立大学の合格者総数は1012人にものぼる。京都市伏見区の龍谷大学深草キャンパスの周辺には校舎や本部の建物、学生たちが寮として生活する建物が点在している。この学校も 全員が中国や台湾からの留学生。「JCL」は「Japan  China   Language」を略した学校名。

 この寮の建物の一つに、現在「閩江大学4回生」の任天楽君が在学している。まだ大学を卒業していないのだが(6月に卒業予定)、4月10日頃から来日し 日本での生活を始めている。学校の事務室に行き、担当者と話した後、任君の寮の建物に連絡をとってもらい そこに向かった。任君は元気そうにしていた。昨日、ようやく日本の携帯電話を購入することができたようだ。寮の部屋使用代金は、1か月 33000円。3人部屋のようだ。任君は、5月14日(日)には閩江大学で卒業論文発表会があるので 中国に一時戻る予定である。

 この近くには、もう一校の日本語学校があった。少なくても3つの「日本語学校」がこの地区にあり、学生たちが住まう寮の建物が多く点在している。たくさんの中国からの留学生がこの一帯に住んでいるので、中国の食材やお菓子などが売られている店も けっこう多いようだ。中国の料理(※日本の中華料理とは違う)を食べさせる食堂もあった。また、様々な手続きなどを代行したりアドバイスをする「業務・手続きサービスセンター」のような店も数軒あった。

 日本語学校近くの龍谷大学深草キャンパス。この大学からすぐ近くの京阪電車「深草駅」に向かう。駅のそばに喫茶店があったので休むことにした。店の名前は「喫茶みどり」。レトロな席のソファーは緑色だ。マスターのおじさんに話を伺ったら、「この店は60年あまりやっています」とのこと。私が生まれたころにはこの喫茶店をやっていたことになる。すごいなあ。何歳かわからないマスターのおじいさんに頼んで、店の前で写真を撮らせてもらった。今、この京阪電車の「伏見稲荷・深草・藤森」の各駅は、中国からの多くの留学生も利用する駅となっていた。夕方6時ころ、京都市内方面行き普通列車に乗る。この深草駅近くには京都教育大学もある。電車の中の乗客は 普通列車のためか 大学から帰宅する学生たちが多かった。

 さかのぼる4月17日(月)の午後、大阪府枚方市に本部がある「KEC日本語学院」に行き、木村理事長と懇談をした。「KEC日本語学院」は、枚方校の他に、大阪市の梅田校、神戸校、京都校、そして 東京の新宿校がある。理事長に中国の福建省土産を渡す。ちなみに、この日本語学校と 京都市の「関西語言学院」とは提携関係にある。「KEC日本語学院」は主に「日本語教員」を養成する専門学校。私もここで1年間あまり、京都の学校に勤務しながら ここで学んだ受講生の一人だった。その後、勤務を続けながら、立命館大学大学院の「言語教育情報研究科」で日本語や日本語教育などを研究する学生となった経過があった。

  4月18日(火)の午後、大阪市の難波駅近くにある「エール学園(日本語学校)」を訪問する。この日本語学校は、先に紹介した「関西語言学院」や「JCL外国語学院」と違うところがある。大学や大学院をめざす留学生だけでなく、日本の大学ではなく ここで日本語を勉強し 日本の企業(会社)や店などの就職をめざす留学生も多いことだ。

  しかし、大学や大学院への合格実績はかなりのものだ。2015年度と2016年度の2年間、東大・京大・阪大の合格者合計(学部と大学院)は28人。国公立大学の合格者合計は174名にのぼる。同じく私立大学では、慶応大4名、早稲田大1名、上智大2名(関東の私立大学受験者は少ない)。関西の私立大学では、立命館大学17名、同志社大学14名、関西大学27名、関西学院大学9名などとなっている。jまた、この学校を修了して、日本の会社・企業や店に就職する留学生の 就職内定率は98%となっていた。学校指定の寮は3ケ所の建物があるようだ。

 人事担当の人に時間をとってもらい いろいろな話を伺った。また、中国の大学や学生事情などについても伝えながら懇談をした。担当者によると、「大学や大学院を目ざす留学生のほとんどは、中国や台湾出身者ですわ。彼らは、日本と同じ漢字文化圏なので、大学に合格することのハードルが低いのですが、その他の国の出身者は ハードルがとても高くなりますから」という話だった。

◆今回の日本への一時帰国の目的の もう一つが、この4つの「日本語学校」を訪問することだった。中国の大学を卒業して日本に留学して「日本の大学院」をめざす場合、まず7月から日本の「日本語学校」に入学する場合が多い。日本語を更に学びながら、半年あまりかけて大学院受験に備えて学習や緒準備をする。どんな日本語学校がいいのかを知らないと、学生へのアドバイスができない。今回は 学生に勧められるかと思っていた関西の日本語学校を数校訪問することができた。

 

 

 

 

 


関西の4つの日本語学校に行く❶―東大・京大・阪大---難関に続々合格/中国「高学歴」の秘密

2017-04-29 10:36:16 | 滞在記

 東京大学111人、京都大学334人、大阪大学188人、名古屋大学464人----。有名進学高校の合格実績ではない。京都市伏見区にある日本語学校「関西語言学院」が、昨年の2016年3月までの15年間に送り出した卒業生の合格実績だ。全員が中国人で、留学生として各大学や大学院に入学した。2016年3月度の合格実績は、東京大学12人、京都大学24人、大阪大学8人、名古屋大学25人、東北大学10人、九州大学9人、東京工業大学24人、一橋大学9人など。私立大学では早稲田大学8人、慶応大学17人、上智大学3人、立命館大学26人などで、合計で600人近くが現役で日本の大学への合格を果たすという"驚異"の数字を叩き出している。

 最近出版された新書本『中国人エリートは日本をめざす』(中公新書)には、この関西の名門日本語学校のことも書かれている。「東大・京大・東工大・早稲田大-----。日本の一流大学をめざす中国人留学生のための予備校まで日本に存在する。将来は日本に住みたいという中国人エリートたちも少なくない。彼らは日本の何にあこがれているのか!」

 この「関西語言学院」の存在は以前から知っていた。学院の中国人留学生とも話したことがあった。(彼女は大阪大学大学院に進学した)   日本への一時帰国中の4月20日(木)の午後に、この関西語言学院を訪問した。対応してくれたのは同学院国際部長の楊永春さん。彼女からいろいろと話を伺った。中国国内の名門進学校20校あまりと提携し、高校を卒業した学生がこの学院に来日している。(※これらの名門進学高校の学生たちの、1/3が中国の大学へ、1/3が日本の大学へ、1/3が欧米の中でも特にアメリカへの大学へと進むという。)  留学生の中には、「高校3年の時に、中国の最高学府 北京大学や清華大学への推薦入学を高校側から打診されたにもかかわらず、それを断り この学院に留学し 東大や京大を目指し合格した学生たちもいます」とのことだった。日本の大学医学部を目指す学生もいる。日本の医学部の教育の質は、中国に比べて格段にレベルが高いからだという。

 「第二の周恩来」をというのが学院の目標でもあるという。日中友好の礎に大きな役割をはたした周恩来は、19才の時に明治大学にしばらく留学していたことがある。将来 この学院を卒業し 日本の有名大学に進学した彼らが 「日中の架け橋たらん」という期待への思いが この学院にはあるようだ。

◆このブログで400号となりました。中国に赴任して3年と8か月が経過しました。平均すると ほぼ、1週間に2回、ブログを作り発信していたことになります。見てくれている皆さんに感謝いたします。ありがとうございます。


立命館大学大学院に留学している学生たち―修士論文報告会への参加

2017-04-29 06:07:50 | 滞在記

 4月22日(土)、日本に一時帰国中のこの日、立命館大学大学院言語教育情報研究科(英語教育・日本語教育・言語コミュニケーション  各専攻)2回生の「第一次コロキュアム(大学院生の修士論文・第一回目の発表会)」の予定日だった。午後1時半からの開始だったので、昼頃に自宅を出て大学に向かう。京阪電車の終点「出町柳駅」で下車し、北山連山から流れて来る賀茂川と高野川が合流する「三角洲」付近では、4月に入学した大学生を歓迎する「サークルコンパ」がいたるところで開かれていた。この近くには、京都大学・同志社大学・同志社女子大学・京都造形芸術大学・京都府立医科大学・大谷大学などの各大学がある。京都は大学の街だなあと感じる。市内とその周辺に22の大学がある。京都市の人口は約150万人だが、学生の数は約15万人。10人に1人が学生となる。

 バスに乗り、1時半すぎに立命館大学に到着する。

 立命館大学の創思館1階にあるカンフォレンスホールでの今回の発表者は9人。全員が秋入学(9月入学)の大学院生だ。今回の一回目の発表を行った後、次に6月に第二回目の正式な「修士論文発表」を教室に於いてPP(パワーポイント)なども使いながらプレゼンテーションを行い、7月に論文を提出することとなる。9人中、8人が外国からの留学生だった。閩江大学卒業生の林さんも この日 発表をした。午後4時前に終了する。終了後、新しくできた図書館1階の喫茶店に行き、林さんの近況を聞く。修士論文の作成と就職活動(就活)で、けっこう大変そうだった。

 この日の午後5時に 再び「出町柳」駅に戻り、妻と合流し 京都洛北の岩倉駅に京福電鉄で向かう。昨年に、息子の妻となった美有紀さんの実家(伊佐家)に到着。今年の春先に亡くなった彼女のお祖父さんが亡くなった。中国赴任中のため葬儀に参列できなかったので この日ようやく 霊前にお線香をあげて拝むことができた。もう一度会いたかった人だった。とても人間の品性というものを感じる人だった。庭のツツジの大きな木が白いすずらんのような花をつけていた。樹齢何年なのだろうか。すばらしい枝ぶり。伊佐さんたち夫妻が、美味しい料理を準備してくれていた。日本酒も美味しかった。この夜、かなり冷え込む。

 中国に帰国する前日の24日(月)、立命館大学大学院生1回生の李君(閩江大学卒業生)のアパートに行き、彼の近況について話を聞く。「今年の7月下旬から1か月間あまり、立命館大学と協定関係のあるオーストラリアの大学への短期留学プログラムへの派遣が決定しました」と嬉しそうに話していた。