彦四郎の中国生活

中国滞在記

「友あり、遠方より来たる。」❶―大学時代の先輩たちに会う―

2017-02-08 10:21:06 | 滞在記

 2月5日(日)、日曜日のこの日は 「第34回京都木津川マラソン大会」の日だった。5Km・10Km・20Km・42.159Kmの4つのコースがある。全国のマラソン大会でも、「フルマラソンで、時間制限を設けないマラソン大会」として有名だ。10時間あまりをかけて完走する人もいる。三重県を源流とする木津川に沿って(京田辺市・八幡市)コースが設定されている。

 第2回だったか3回だったか覚えていないが、20Kmコースのオートバイ先導を一度だけしたことがあった。私の知人は、この時 フルマラソンの後導を50ccバイクでしていたが、途中から氷雨が降ってきて ずぶ濡れの中を苦労していたのを覚えている。午前10時にスタートをして、最終ランナーがゴールしたのは、暗闇の午後7時ころだった。 

 2月5日のこの日、妻がボランティア参加をするので、早朝の7時に会場に着くように車で送っていった。この日、あいにくの凍えるような氷雨が降り続く日となった。

 午後1時に、「京阪伏見桃山駅」で、大学時代の先輩の小野さん・泉澤さんと待ち合わせをして、大手筋商店街の近くにある料亭「梅の花」に行った。初めて行く料亭だった。なかなか立派な造りの料亭で、元は造り酒屋があったところらしい。玄関先の梅の木はまだ蕾だが、一週間後ぐらいには開花するだろうか。2人とは久しぶりの再会だが、二人とも元気だった。4時ころから駅近くの居酒屋に移動し 飲みなおしながら 午後6時頃まで いろいろな話をする。

 「料亭梅の花」のお店の人の衣装がなかなかいいと思った。中国の「茶館」の女性店員さんが着る簡易漢服の衣装とよく似ていた。椿の花がみごと。

 翌日の2月6日(月)に、長野県在住の新谷君が遠方より会いに来てくれた。「友あり 遠方より 来たる。」である。長野県の伊那市や駒ケ根市に近い「宮田村」という所に住んでいる。近くには、高遠城がある。大学時代からの友人で、年齢的にはちょっと先輩にあたる。彼は、長年 長野県で教員をしていたが、校長を経ての定年後 宮田村の教育委員会に勤務し、その後はコメ作りを中心とした農業(百姓)をしている。

 車で長野県より来ていたので、私の娘の銀閣寺近くの家に寄り そばにある「吉田山山荘」の喫茶室に行く。喫茶室より、吉田山中腹にある「真如堂」や「金戒光明寺(黒谷)」の本堂や三重の塔や大文字山が見える。

 「金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)」に行く。「真如堂」という紅葉や桜で有名な寺と隣接しているこの寺は別名を「黒谷」という。かって幕末のころ、会津藩の松平容保が率いる1000名あまりの会津藩士たちが駐留した「京都守護職本陣」(1862年~68年)があったところだ。城郭寺院となっている寺院のさまは、見事である。京都市内が一望できる場所である。三重の塔に向かって階段を登りきり、左折をした奥の方に「会津藩士の墓地」があった。200人ほどの この地での戦死者(※主に1868年の鳥羽伏見の戦い/蛤御門の変なども)が葬られていた。「会津人の聖地」と書かれていた。

 この寺は「浄土宗」の開祖・法然の庵があった場所でもある。娘の家から徒歩10分くらいのところなので、孫の「栞」が歩けるようになったら 散歩などに行く場所になりそうだな。

 

 


立春の日、梅林に行く―知人の画家のアトリエ―

2017-02-06 09:23:16 | 滞在記

 日本の2017年の「立春」の日は、2月4日。この日の日中はポカポカ陽気となる。「立春」は、12月の冬至の日と3月の春分の日の真ん中の日。暦の上では、旧冬と新春の境目にあたり、この日から春になる。梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり本格的な春に向かっていく。今年の日本の冬はかなり寒く、私が日本に帰国した1月12日以降、週末ごとに寒波がやってきて雪がちらついたり積雪があった。このため、関西各地の梅の開花も遅くなっているようだ。週末ごとの寒さのため、風邪の症状も治ってはまたぶり返すことの繰り返しだった。

 「立春」のこの日、関西の京都・大阪地区の梅の名所では唯一「五分咲き」となっている大阪府枚方市の「山田池公園」に夕方に行った。この日の日の出時刻は、午前6時半で日の入り時刻は午後5時半だった。午後4時半ころに山田池に到着し、広大な森林公園の中で梅林にむかった。桜の木はまだかたい蕾だが、あと1か月半もすると桜の開花が始まるのだろうか。梅林に着く。

 けっこう見ごろを迎えている梅林。中国にもうすぐ戻らねばならないが、日本の梅林の梅の花を見ることができたな。

 石楠花(しゃくなげ)の樹木の蕾。5月下旬には開花するのだろうか。池に夕日が落ちて行った。ああ、四季のある日本列島はきれいだなぁ。

 1月30日(月)のことだが、この日の一週間ほど前に友人の野村君から連絡があって30日の昼前に会うことになった。京田辺市の教育会館で待ち合わせをして、現在 画家として活躍している知人の永田君の自宅・兼アトリエ(木津川市)に行くことになった。(※左から3番目の写真の、左が永田君・真ん中が私・右が野村君)

 野村治君は、小学校教員を定年後に奈良教育大学大学院に進学し、現在2回生。全国でも屈指の理科教育実践の有名な男だ。ネパールやベトナムの小学校でも理科の授業をしたこともある。今年の3月には大学院を修了するが、ぜひ大学の教員として活躍してほしい人材だ。今後、彼を採用した大学は「もうけもの」だろうと思えるほどの、「理科教育」の逸材である。

 一方の永田英右君は、「白日会」という美術団体に所属し 活躍している人だ。2000年代に入り「日展」に入賞や特選となるような作品を描き、現在は「日展」の審査員にもなっているようだ。20年ほど前に、私と野村君・永田さんは同じ小学校に勤務していたことがあった。永田さんは、「学校事務職員」の仕事を永らく勤め、最近定年退職したようだ。

 2階建ての自宅兼アトリエ。小さなベットルームと小さな台所とバストイレ以外は、すべて絵画制作のためのアトリエだった。間取りの90%がアトリエ空間という家だった。ちなみに永田君は独身。クレオパトラと大理石彫刻がすばらしい。日本で最古のハープが置かれていた。もらいものだという。

 この日の昼食は野村君が知っている「ネパール料理」の店(京都府加茂町の加茂駅前)に行った。とても美味しい店だった。この日の夜、かっての学校の同僚だった坂根さんと祇園の「侘助」で会って飲んだ。その後、先斗町にある「居酒屋」を見つけ、二人で夜遅くまで過ごした。定年後の彼は今、息子さんが経営している自動車販売会社で働いているようだ。元気そうだった。

◆1月31日付のブログの「アパ問題」の記事で、「拓殖大学の早坂氏」とあったのは、「拓殖大学の富坂氏」の間違いでした。すみません、訂正します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


節分祭―吉田神社には たくさんの夜店が並んでいた―

2017-02-06 06:36:42 | 滞在記

 2月2日(木)の夕方、妻と京都大学正門で待ち合わせをして吉田神社の節分祭に行った。京都大学の正門真近まで露店の夜店が立ち並んでいた。学生時代以来、京都に住んでいるが この吉田神社の節分祭に行ったのは初めてだった。ものすごくたくさんの夜店が並んでいるのに驚いた。

 翌日の2月3日(金)、午前中に京都大学病院の耳鼻科を受診する。昨年の8月にこの日を予約していた。次の受診予約は7月となった。受診後、昼近くになったので 学生時代によく行った食堂「はやし」(三条東山)に行った。「はようて やすくて おいしくて」という「はやし」。おろしとんかつ定食を注文したがボリュームたっぷりの定食は 昔と変わらなかった。

 この「はやし食堂」の近くに「古川橋商店街」がある。この商店街にも学生時代に時々買い物に行った。ここ数年で、店を閉めてシャッターが閉まっている店も目に付くようになった。店を改装して、主に外国人観光客用のホテルになっていた店もある。この場所は、隣に白川が流れていて、とてもロケーションのいい場所なので ホテルの人気も高いかもしれない。しばらく歩いて八坂神社の節分祭を見に行った。ベトナムあたりの東南アジア系の女性が和服の着物を着ていた。

 午後1時から始まる祇園花街の舞妓さんたちによる豆撒きを撮影するため、舞殿の周りには早くから人が集まっていた。祇園階段下(八坂神社)の四条東山交差点近くにたくさんの人が行列を作っていた。何の店なんだろうと近づいてみると、「八代目儀兵衛」(米料亭)という看板が見えた。美味しいご飯を食べさせる店のようだ。

 2月3日節分の日、この日は日中ポカポカ陽気となり、祇園白川沿いの石畳を歩く。白梅が花を咲かせている。舞妓さんの貸衣装を身にまとっている女性や和服を身にまとって初春の花をバックに撮影をしている家族の姿があった。白梅を背景に撮影をしている娘さんに向かって 顔だちのよく似た父親らしい人が、]娘に向かって 「うわあ!!綺麗やな!!! --梅が!!!!」と、笑いをとっていた。

 この日の夜、昨年の10月に結婚した息子たち夫妻と私の妻の4人で午後7時ころ四条大橋で待ち合わせをし、祇園の焼き肉店に入って食事をした。食事後、木屋町の高瀬川沿いにある居酒屋「おかめ」にて、カラオケなどをして過ごした。店にいた2人づれのお客さん(京都外国語専門学校職員)、若い方の(27才)人は ビーズ(BZ)の歌がとても上手だった。

 次に息子たちと会えるのは 7月になるかな。

 

 

 

 

 


故郷・福井県南越前町に帰る―この季節、海が荒れる「蟹と水仙」の里、山間部は豪雪地域―

2017-02-05 09:20:43 | 滞在記

 1月31日(火)から2月2日(木)にかけて、故郷・福井県南越前町(旧・河野村、今庄町、南条町)に帰った。 今の季節、この町の海岸地域はシベリアから吹き晒してくる寒風で海が荒れる。そしてカニ漁(越前ガニ)の最盛期を迎え、越前水仙が咲き誇る。山間地域の今庄地区は 豪雪地帯としても知られている。

 この時期は突然の積雪が不安なので、車ではなくJR列車サンダーバードで京都から故郷に向かった。1月31日の夕方、北陸本線の武生駅にて下車。駅前のビジネスホテルにチェックイン。この武生駅がある越前市(旧:武生市)は、高校時代を下宿しながら過ごした街だ。この時代からの友人の山本君と この晩は 久しぶりの積もる話をしながら飲んだ。

 翌日の2月1日に、福井市にある福井県立病院に短期入院している滝澤先生(※高校時代からの恩師)に会いに行った。まあ、元気そうだった。定年で高校教員を退職した後、絵画を本格的に始めた先生は、全国的な展覧会にも入賞したり個展なども開いたりして福井県の各所の風景画などを描いている。私の人生の中で、最も大きな影響を与えてくれた恩師である。現在も彼を恩師と慕う福井県内の各高校を卒業した学生たちの数は100人以上を軽く超えるのではないだろうか。

 午後、福鉄バスに乗って故郷の南越前町糠(河野地区)の家に戻った。まずは、家の仏壇に手を合わせる。

 私の故郷の漁村の糠は、戸数200軒あまり。ここ越前断崖に面した各漁村の村には、必ず小さな川が山間部から海に流れている。夕方、「寺坂家」の小さな墓に行く。祖父母や父母に手を合わせる。墓の近くからは、海もわずかながら見える。

 寒風の海。少しだけ海が荒れている。夕日が京都府の丹後半島方面に落ちようとしていた。この場所には、かって村の火葬場があった。33才と若くして亡くなった実母(私は当時5才)も、ここで火葬した。遺骨の多くは、海のこの場で散骨した。幼かったが、いまだこの火葬の時の情景が記憶にある。散骨した海に手を合わす。親代わりだった祖父母もここで火葬した。

 子供の頃、毎日のように釣りをしたりサザエやアワビをとった岩場がある。遥か向こうには「敦賀半島」が見える。中学校時代の教室の窓から眺めたこの半島。思春期の入り口にさしかかった中学生には、「妊娠をした女の人が横たわる姿(頭部・乳房・お腹・足)」というものを連想したりした。

 一人暮らしの母(義母)と共に夕食を取りながら地元テレビを見ていると、「福井県奥越地方のスキージャム勝山に、今年も中国人観光客がスキーやそり体験に訪れる―昨年の春節時期は約720人、今年はすでに1000人を超す!」と報道していた。

 河野地区河内に住む中学時代からの友人の松本君にも会って酒を酌み交わしかったが、今回はあまり時間がないので会うことをあきらめた。

 2月2日(木)早朝、午前7時前の福鉄バスで 京都に戻るため武生駅に向かう。高校に通学する高校生の姿もちらほら。武生駅に着く。駅のトイレのテープ・アナウンス。「ここにトイレがあります。向かって左が男性用トイレ、奥が女性用トイレとなっております。」  改めて、日本という国の人に対する丁寧さというものに頭が下がる。

 8時16分発のサンダーバート特急列車に乗る予定だったが、突然の「ただいま、南条駅付近で 列車のトラブルのため、武生―敦賀間が運行を停止しています。」とのアナウンス。そして断続的にアナウンスされる遅滞情報。このアナウンスなどもとても丁寧だ。思わず、中国での真逆な事情と比較してしまう。ここ武生市(現:越前市)は、絵本作家の「岩崎ちひろ」の生まれた故郷だが、「かこさとし」(※『カラスのパンやさん』などの著者。本名は加古里子という女性。)の故郷でもあるようだ。

 40分ほどの遅れで列車が出発した。武生駅周辺は雪がないが、南越前町の「今庄地区」にさしかかると急激に雪が深くなり豪雪地域となる。北陸トンネルを抜けて敦賀に着くと雪がない。そして、敦賀から滋賀県との県境にさしかかると、再び雪が多い地帯となる。琵琶湖の西岸を列車が走る。京都に近づく、滋賀県大津市側の比叡山にも薄っすらと雪が積もっていた。

 次に故郷に帰省できるのは7月になるだろうか。夏の越前だ。待ちどおしい---。

 

 

 

 

 

 


春節の日、閩江大学の卒業生たちと雪景色(京北町)―孫の「お食い初め」(100日祝い)

2017-02-03 06:51:41 | 滞在記

  1月28日(土)、この日は中国の「春節(旧正月)」の日。閩江大学の卒業生の3人が京都の銀閣寺近くにある娘の家にやってくるので、私も行くことにした。林さん(立命館大学大学院2回生)・李君(立命館大学大学院1回生)・劉さん(沖縄のホテル勤務)の3人。3人とも、「春節」には中国の故郷に帰りたいだろうが、学業や仕事の関係で日本で「春節時期」を過ごしている。一緒に娘夫婦が作った「お昼」をご馳走になり、孫の「栞(しおり)」をあやしたりしていた。

 この日の午後3時ころから、京都市の北の方にある京北町に 3人とともに車で向かった。京都の三条大橋や四条大橋から北山連山(丹波山地)を望む時、最も標高が高くて山頂に雪がある山が見える。この山向こうが京北町山国である。ここに妻の実家(故郷の家)や妻の姉の家がある。京都の立命館大学からだと車で40分ほどでここに着く。京都市内は雪が残っていないが、ここまで来ると「雪国」となる。

 途中、笠トンネルを越えた「笠峠」で車を止める。1月中旬から1週間ほど前までに降り積もった雪がまだかなり残っていた。李君などは、これだけたくさんの雪を見るの初めてで 興奮気味。雪景色に見とれていたが、林さんや劉さんが 李君と「雪合戦」を始めていた。3人とも楽しそうだ。

 京北町弓削にある妻の姉の家(今泉家)に行く。突然の訪問(アポなし)にもかかわらず、卒業生たちを出迎えてくれた。しばらく歓談してすごす。3人とも、日本家屋の 造りのすばらしさに驚嘆していた。外は日が暮れて、星が出始めていた。

 ここから車で10分ほどのところにある妻の実家(髙室家)に行き、3人ともども 夕食をごちそうになった。この日、昨年に結婚した 高室家長女(悦ちゃん)と夫(アレックス)が三重県より来ていた。3人は、最終のJRバスで京都市内に戻って行った。この夜、アレックス君とも 時間をかけて 酒を飲む。

  翌朝1月29日(日)、目覚めると 冷え込んだ朝に きれいな雪景色が広がっていたので早朝散歩をする。京都市内を流れる桂川の上流付近の河原まで足を運んだ。

 朝日が昇り始める。河原に立ち込める朝霧がまだ少し残っていた。河原の道には凍てついた氷の模様が見られた。京都市京北町の「京北第二小学校(旧名・山国小学校)」の校舎が美しい。午前10時頃、道路の凍結もなくなったので、山国をあとにして京都市内に向かった。

 市内の岩倉地区に途中に寄って、昨年結婚した息子の嫁さんの実家に立ち寄り、中国の土産のジャスミン茶などを渡す。11時半すぎに 娘の家に着くと 娘の婿さんの両親が滋賀県の八日市市より来てくれていた。孫娘の「栞(しおり)」ちゃんの「お食い初め」の行事。子供が誕生して100日目くらいにとりおこなわれる行事である。滋賀県より 立派な鯛をもってきてくれていた。 食べさせるまねをするのは、私の妻が おこなった。

 この日、無事に「お食い初め」の儀式が終了した。