彦四郎の中国生活

中国滞在記

故郷・福井県南越前町に帰る―この季節、海が荒れる「蟹と水仙」の里、山間部は豪雪地域―

2017-02-05 09:20:43 | 滞在記

 1月31日(火)から2月2日(木)にかけて、故郷・福井県南越前町(旧・河野村、今庄町、南条町)に帰った。 今の季節、この町の海岸地域はシベリアから吹き晒してくる寒風で海が荒れる。そしてカニ漁(越前ガニ)の最盛期を迎え、越前水仙が咲き誇る。山間地域の今庄地区は 豪雪地帯としても知られている。

 この時期は突然の積雪が不安なので、車ではなくJR列車サンダーバードで京都から故郷に向かった。1月31日の夕方、北陸本線の武生駅にて下車。駅前のビジネスホテルにチェックイン。この武生駅がある越前市(旧:武生市)は、高校時代を下宿しながら過ごした街だ。この時代からの友人の山本君と この晩は 久しぶりの積もる話をしながら飲んだ。

 翌日の2月1日に、福井市にある福井県立病院に短期入院している滝澤先生(※高校時代からの恩師)に会いに行った。まあ、元気そうだった。定年で高校教員を退職した後、絵画を本格的に始めた先生は、全国的な展覧会にも入賞したり個展なども開いたりして福井県の各所の風景画などを描いている。私の人生の中で、最も大きな影響を与えてくれた恩師である。現在も彼を恩師と慕う福井県内の各高校を卒業した学生たちの数は100人以上を軽く超えるのではないだろうか。

 午後、福鉄バスに乗って故郷の南越前町糠(河野地区)の家に戻った。まずは、家の仏壇に手を合わせる。

 私の故郷の漁村の糠は、戸数200軒あまり。ここ越前断崖に面した各漁村の村には、必ず小さな川が山間部から海に流れている。夕方、「寺坂家」の小さな墓に行く。祖父母や父母に手を合わせる。墓の近くからは、海もわずかながら見える。

 寒風の海。少しだけ海が荒れている。夕日が京都府の丹後半島方面に落ちようとしていた。この場所には、かって村の火葬場があった。33才と若くして亡くなった実母(私は当時5才)も、ここで火葬した。遺骨の多くは、海のこの場で散骨した。幼かったが、いまだこの火葬の時の情景が記憶にある。散骨した海に手を合わす。親代わりだった祖父母もここで火葬した。

 子供の頃、毎日のように釣りをしたりサザエやアワビをとった岩場がある。遥か向こうには「敦賀半島」が見える。中学校時代の教室の窓から眺めたこの半島。思春期の入り口にさしかかった中学生には、「妊娠をした女の人が横たわる姿(頭部・乳房・お腹・足)」というものを連想したりした。

 一人暮らしの母(義母)と共に夕食を取りながら地元テレビを見ていると、「福井県奥越地方のスキージャム勝山に、今年も中国人観光客がスキーやそり体験に訪れる―昨年の春節時期は約720人、今年はすでに1000人を超す!」と報道していた。

 河野地区河内に住む中学時代からの友人の松本君にも会って酒を酌み交わしかったが、今回はあまり時間がないので会うことをあきらめた。

 2月2日(木)早朝、午前7時前の福鉄バスで 京都に戻るため武生駅に向かう。高校に通学する高校生の姿もちらほら。武生駅に着く。駅のトイレのテープ・アナウンス。「ここにトイレがあります。向かって左が男性用トイレ、奥が女性用トイレとなっております。」  改めて、日本という国の人に対する丁寧さというものに頭が下がる。

 8時16分発のサンダーバート特急列車に乗る予定だったが、突然の「ただいま、南条駅付近で 列車のトラブルのため、武生―敦賀間が運行を停止しています。」とのアナウンス。そして断続的にアナウンスされる遅滞情報。このアナウンスなどもとても丁寧だ。思わず、中国での真逆な事情と比較してしまう。ここ武生市(現:越前市)は、絵本作家の「岩崎ちひろ」の生まれた故郷だが、「かこさとし」(※『カラスのパンやさん』などの著者。本名は加古里子という女性。)の故郷でもあるようだ。

 40分ほどの遅れで列車が出発した。武生駅周辺は雪がないが、南越前町の「今庄地区」にさしかかると急激に雪が深くなり豪雪地域となる。北陸トンネルを抜けて敦賀に着くと雪がない。そして、敦賀から滋賀県との県境にさしかかると、再び雪が多い地帯となる。琵琶湖の西岸を列車が走る。京都に近づく、滋賀県大津市側の比叡山にも薄っすらと雪が積もっていた。

 次に故郷に帰省できるのは7月になるだろうか。夏の越前だ。待ちどおしい---。