2月14日(火)に大学の後期授業が始まってから大学に再び活気が戻ってきた。2万人を超える学生が在籍している閩江大学。全員の学生が寮で生活しているので、1時間目が始まる午前8時半前には、各寮から各教室楼に向かう学生たちの長い列ができる。午前中の授業が12時10分に終わると、寮や食堂に行く学生の列がこれまた長くできる。大学内には、2〜3階建ての超大型食堂が4箇所ある。食事代金は、3品ぐらいのおかずを注文してご飯をつけると8元(約130円)くらいとなる。
大学の寮の建物数は、授業などを行う建物や大学諸部門の建物などの数より多い。6階建てでエレベーターがないので登り下りは大変だが、学生たちは若いだけに割と平気なようだ。電話で「食事」を大学近くの店に注文して持ってきてもらう時、4階〜6階あたりの学生は「上からひもにぶら下げたバケツにお金を入れて」降ろし、「弁当やお釣りをバケツで受け取り 吊り上げる」ことをしている光景をよく見る。(※寮の門限は午後11時となっている)
洗濯物が干される情景は、特に女子寮棟の場合は色とりどりでカラフルだ。男子寮の場合は地味な色なので、男女どちらの寮なのかが洗濯物を見るとすぐわかる。寮は通常4人〜6人部屋となっている。中国の場合は、中学生の頃から学校の寮で生活し週末に自宅に帰っていたという学生も多い。小学校から寮生活をしていましたという学生も少なくない。高校などの場合、約半数の学生が寮生活をしているようだ。だから大学を卒業して同じ都市に就職した場合でも、部屋の家賃を節約するため、部屋をシェアーして2人で借りるというようなことは、慣れたことらしい。会社が、会社の寮(4人部屋くらい)を準備している場合も多いようだ。
閩江大学の学生数は今後も増え続けるようで、北門の近くには新しい授業棟が作られている。今年の9月からは、ここで「情報学部(コンピューター学部)」が授業を始めるようだ。
2月18日(土)、大学職員の鄭さんより「日本からのEMS郵便が届いたようです。午前10時45分〜午後12時50分の間にEMS便集配所まで取りに行ってください」との連絡があったので、急いでアパート近くから大学方面行のバスに乗った。途中の信号手前で、バスが激しい急ブレーキをかけた。立っていたおばあさんが倒れたまま3〜4mあまりバス内を運転席の方に悲鳴をあげながら滑るように転ばされた。一瞬の出来事だった。私や乗客たちは心配な様子でおばあさんの方に行った。幸い頭などの打撲はないようだ。そして、学生の一人が「この席にどうぞ」とおばあさんを座らせた。
急ブレーキをかけたバスの運転手は振り向きもしなかった。おばあさんに対する「わび」はもちろん、一言の声掛けもせず、完全な黙殺という様子だった。まあ、中国の公共バスの運転手は、態度は横柄で、職業倫理感に欠ける人が圧倒的に多いが、この出来事には開いた口がふさがらなかった。ひどいなぁという感じ。これも中国か----。
一週間ほど前に連絡があった福建師範大学大学院日本語研究科の康偉猛(こう いもう)さんと この日の夕方に会うことになった。師範大学からわりと近い海鮮料理店に行く。康さんは、大学院生だが結婚していて、娘が二人(5才と2才)いる。妻と娘たちは、福州から新幹線で1時間ほど南の都市「泉州」で暮らしている。彼は、昨年度の前期、私が師範大学で担当した「日本近現代文学」と「日本古典文法」の授業を数名の大学院生とともに聴講していた。
この日、康さんの経歴を聞くと、「私は福建省漳州市にある閩南師範大学外国語学部英語学科を卒業して、企業に数年間就職しました。その間に結婚し子供もできました。日本語や日本に興味をもっていたので、仕事をしながら福建師範大学大学院の日本語研究科の入学を目指し、3回目の試験で合格できました」とのこと。現在33才。
1年ほど前に、彼の故郷に近い泉州市内に拠点(事務所)をおき、翻訳会社を設立して営業を始めているようで、ようやく仕事が増え始めてきたという。会社の名前は「汤尼康翻译有限公司」。康さんはこの会社の総経理(社長)。主に日本語、英語、中国語、韓国語の翻訳を業務内容としているようだ。この会社での翻訳業務の仕事をしている翻訳者は十数名いるらしい。
この日、「翻訳業務」についての仕事の依頼をされた。日本語に翻訳した文書が日本語として正しいかどうかのチェックや訂正の仕事。仕事に応じた金額などの具体的な提示がされた。