「日本概況」⑦⑧(最終回)の報告になる。
日本人論・中国人論の本は、日本の大型書店に行けばかなりの本が書棚に並んでいる。特に、「中国人論」についての本は多い。またよく売れるようだ。私も この1年間で20冊あまり読んだ。そして中国で1年半あまり生活していて、「なるほど、そうだよな。」と納得できるものや、中国人を理解するための本質をしてきしてくれる本もあった。一方、「中国人」を悪く書けば売れるだろう式の本も多い。中国人には、現代の日本人にはあまり見られない「美徳的な優れた行動(バスに乗っていて、年配者やお年寄り、小さな子をつれた母親や父親などが来たら、ほとんどの人が席を譲る。)」を堅持している面もあるのだが、「悪く書けば売れるだろう式」の本には、これらの事実は1行も書かれていない。
中国という外国で1年以上生活していると、日本人や日本社会の良さも見えてきたし、また、悪いところというか物足りない所というか、そんなところも見えてくる。そんな私の思いを話しながら、一方では中国での1年間以上の生活体験をふりかえって、「中国人や中国社会の良さや問題点」なども、学生に語る。学生が時折うなずきながら 聞いてくれてもいる。
学生達と大学の食堂や近隣の学生街、福州市内の「日本料理居酒屋」などで飲食もして親交を深めたりもしている。また、中国語の聴解が難しいので、複数の学生に生活に関することを頼んだりもして、なんとか中国で暮らしている。「故郷に帰ったら、母が先生に食べてもらうように作りました。」と言って 学生の寮からはかなり遠い私の宿舎を訪ねて来る学生も先日あった。何度か故郷の家にも逗留させてもらって、家族同然の扱いを受けてきた学生の家族もある。
1年半の中国生活というスパンしかないが、「日本人と中国人」が付き合う上で、最も重要な「相互理解」すべきことは何だろう。それは次のことなのかも知れないと思うようになった。日本人は、「親しき仲にも礼儀あり。」の世界。それに対して中国人は、「親しき仲には、礼儀はいらぬ。」の世界だということだ。ここに、日本人と中国人が深く付き合う際の、人間関係における最も困難な面があるように思える。
先日、中国のインターネットを通じて日本のドラマスぺシャル「坂之上の雲」(司馬遼太郎原作)を視た。この物語は、明治期の日本社会・日本人を描いたものだ。愛媛県松山藩の下級武士の家に生まれた秋山兄弟と中級武士の家に生まれた正岡子規。(秋山好古は陸軍騎兵隊の創始者・その弟は日露戦争時のロシア・バルチック艦隊との日本海海戦時の参謀・正岡は俳句の明治期中興の人) 明治維新で武士階級は消滅した。松山の教育庁の役人として奉職することができた父に、当時16才だった秋山好古が「東京か大阪の学費無償の学校に行かしてほしい。」と家で懇願する場面があった。その時、父はこう言った。「親しき家族の仲なればこそ、公私の区別はつけねばならぬ。私は教育庁の公人だ。教育庁か゛斡旋する内地留学について、親子だからといって家でそのような話を二人でするわけにはいかぬ。相談があるなら、明日 教育庁に来なさい。他の希望者同様に対応いたす。」
現代の日本人は、このような親子の接し方はほとんどなくなってきているとは思うが、しかし その深流は脈々と日本人に受け継がれてきていると思う。「親しき仲にも礼儀あり。」の対人関係観は。日本人は、家族の間でも、「ありがとう。」「ごめん。」等の一言の感謝・謝罪表現をよくする民族だ。これに対して中国人は、「親しき仲には礼儀はいらぬ。水臭い。」という対人関係観をもつようだ。
「謝罪表現をするのは(表情で)いいが、言葉に出すな。言葉に出すということは、親しい仲・関係になっていないことを表している。」という対人関係観だ。言語外の態度で表せばよいという。私も、謝罪・感謝表現をした際に、相手が不機嫌になってしまったことが何度かある。
また、親しくなった中国人と付き合う場合に、相手に「すみません。」の一言が即座に出るだろうと期待する場面も多々多い。一言言ってくれれば、それでいい。しかし、これがなかなか出てこない。不愉快な気持ちになったりもする。「ありがとう。」の言葉も同様だ。つまり、中国人との付き合いは親しくなってからが最も難しくなってくるのかも知れない。
大学などで、日中の言語対照研究論文は けっこう多く出されている。私は、今までに50余りの論文を読んだとは思うが、その中で、『謝罪の日中対照研究―家族には謝らない中国語話者の家族観―』と『日本語と中国語における謝罪表現の対照研究―家族と親友間の異なりに注目して』(論文の著者は、いずれも 趙翻 氏) は、このような謝罪表現の日中の大きな相違の一面を研究している論文だ。これによると、子供が親に「ごめん。」「ごめんなさい。」を言葉で表現することは、非常に少ないことがわかる。このことを、授業中に学生達にも「本当なのか?」と聞いてみた。学生達は、ほぼ全員が「本当だ。そうだよ。」と答えていた。
日中の(日本人・中国人)相互理解とは、頭では双方の民族的特性の一面を理解できるとしても、現実的な人間関係の場面においては感覚的に受け入れがたいものも大きく存在していると、この頃 ようやく思い始める。人間が他民族を理解するということの難しがわかってきた。
講義「日本概況」の授業を終えるにあたって学生達に、「日本について、そして日本人や日本語について学び研究する時の必読書」として何冊かの書籍を紹介した。①『水と緑の国、日本』(富山和子)②『ウチとソトの言語文化学―文法を文化で切る』(牧野成一)
➂『風土』(和辻哲郎)④『日本語教室』(金田一春彦)⑤『日本文化史』(家永三郎)⑥『日本人と中国人のコミュニケーション』『日本語の「配慮表現」に関する研究』(いずれも 彭 飛著)
これらの本は、中国に持ってきている。学生に読んでほしい。
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