彦四郎の中国生活

中国滞在記

「中国社会主義の核心」とは、いったい何だろう…。—貧富の差、そして障害をもつ乞食の存在―

2015-01-14 06:04:22 | 滞在記

 街や村の公的な建物の塀には、よく「中国社会主義の核心」に関する大型ポスターが掲示されている。また、小さなポスターを町中で目にする場合もよくある。そこには、核心の具体的な内容として「富国・民主・文明・平等・敬愛・和諧・敬業・法治・自由…。」などのスローガンが掲げられている。そして、中国政府も、それなりの努力もしているのだろうと思うのだが…。
 「中国社会主義の核心とは、何なんだろう。この国の歴史はどのようになっていくのだろう。中国国民の生活は、今後どのように変化していくのだろう。」と、中国に住み始めていろいろな実情を見るにつけ思わされる。その一つが「身体に大きな障害をもつ」乞食たちの存在である。

 大きな都会の、人が多く集まり通行する商業地域や市(いち)の場に、よく「乞食」をしている人を見かける。「(上の写真は、左より①片足が半分しかなく、全身にやけどを負った男性。②と➂両手・両足が半分しかなく、背中で移動している男性。その後を、片足のない女性が一緒に行動している。(夫と妻?)④顔面に障害や病気をもつ女性が布団に横たわり、横に男性がいる。(母親と息子?))」
 このような人たちの存在を目にすると、「社会主義の核心」とは、この国では何なんだろうと考えさせられる。
 社会主義の制度の核心は、いろいろな面があるとは思うが、私が思うに「社会主義の核心」における最も大事なことの一つには、このような重度の身体障害を持つ人の生活を「国で・国民全体で」支えることにあると思うのだが……。「社会主義の核心」として、まずもって優先的に取り組まれるべきことだと思うのだが…。

 多くの人が通行する「陸橋」。一つの橋に3組の「母と小さな子供」の乞食(物乞い)。本当の母子関係ではないかもしれない。一つの「生きるための生業」として、共同してやっているのかもしれないとは思う。しかし、このような「生業」は、本当はだれもがやりたくはないだろうな……と思う。(※マイクをもち、カラオケで歌を歌う障害をもつ乞食(物乞い)の人もよく目にする。) 
 日本であれば、「社会福祉制度」でこれらの人々の生活をある程度保障し、なんとか「国」全体で支えているのだろうが、中国での「社会福祉制度」は、いったいどうなっているのだろうと考えさせられてしまう実情を目にする。国の予算の数パーセントを使えば、これらの人々の生活を支えることは、現代中国ではそれほど難しいことではないと思うのだが、なぜそうならないのだろう。
 このことについて、ある学生と話したことがある。「中国では人口がものすごく多いので、そのような障害を持つ人の数も多い。だから、その人達を支えようとしてもお金が足りないからです。」と、戸惑いながらも一気に学生は言った。「日本概況」の授業をしても思ったことだが、中国の学問・学術分野はいろいろ発展し、ある分野は日本を超えてきている。しかし、「この国をどう作っていくのかという様々な立場からの『社会科学』分野の本当の発達」の遅れを特に感じる。

 中国政府としても、「平等」の実現のため 努力をしている。習近平体制になってからの「汚職や職権乱用摘発」の加速はその中心政策となっている。公務員の飲食を公費で使うことの自粛も、浸透しっつあるようだ。昨年度まで行われていた「福建省外国人教師研修会(4泊5日)」なども、今年度は実施されなかった。(※省の教育庁によって、実施しているところもある。)
このような、政府の政策にもかかわらず、特に「都市と農村の経済格差」は広がる一方のようだ。統計では、この10年間で格差がさらに広がってきている。なかなか難しい生活・経済の問題が横たわる国、中国。

 中国の都市の夜景はネオンが瞬く。一般の人々が暮らす「高層住宅」にも色とりどりのネオン芸術が施されている景観がよく見られる。きらびやかな世界。一昨年の12月に、私の家族が中国に初めて来た時、高層住居の多さに驚いていた。それらの住宅は、安い物件でも200万元(4000万円)以上はする。平均賃金が日本よりかなり安い中国においては、日本円にして1億円以上の住宅購入の感覚となるのだろうか。(もちろん、ローン返済という形での購入が多い。)
[※中国では、土地の私有は認められない。都市の土地は国有、農村の土地は農民による集団所有と憲法で規定されている。いずれにしても、基本的には「国有」である。ただ、都市では「土地使用権」という形で土地の取引きがなされている。具体的には、①「土地使用権」は永久的なものではなく、「期限付きの土地使用権」である。②国家が「土地使用権を払下げる」場合には、その最長使用権期間わ用途別に規定している。(1、住宅➡70年 2、工場➡50年 3、商業・観光・娯楽➡40年 4、その他➡50年)]
この規定により住宅は、「終の棲家」というより、「投機」の対象として売買されることが、一般的に多く行われている。

(※私の宿舎横にある。中所得者のアパート。貸アパートではなく、購入したアパート。➡中国では、貸アパートに住むことは、貧乏で恥ずかしいことという感覚があるようだ。)

(※宿舎近くにある、中の下の所得者層・低所得者層などのアパートや住まい。)
都市の中にも、歴然とした経済格差を住居に見ることができるのも中国だ。立派な高層住宅の隣に低所得者層の住居が並ぶ街並みが、いたるところで見られる。そして、圧倒的に多い「中所得層・中の下所得者・低所得者」の人々は、「子供の教育」に熱心に取組み働き続ける。
 なんとか子供を大学に入れて、金持ちの「高層住宅」に住める大人とするために身を粉にして働く人々も多いのだろう。父親や母親が、道を歩きながら子供に語りかけることもあるだろうな。「息子よ、あのきれいな高い建物に、おまえは将来住みたいだろう。…そのためには、勉強を頑張って大学に行かねば ならないんだよ。勉強は一生懸命にな。がんばれ…。そのためには、お父さんやお母さんは、何だってして おまえのためにがんばるよ。」と。
 このことは悲しいことでも何でもない。親にとって、「何のために働くのか。」がはっきり目的化されているからだ。だから、苦しくても頑張れるし、心の張りもあるのだろうと思う。自分のため、自己実現のために働くという風潮の強い「日本」。一方で中国は、「親のためにも働く、大学に行ってお金を儲けて、親に恩返しをする。」「子供の将来のために、自分を犠牲にしても頑張って働く。」という考えが強く残る社会。3度訪問したフィリピンの国では、「家族のために働く」という風潮はすごく強かった。そして、国民の幸福度は、90%以上が「幸福」と答えていた国だった。
 おそらく、「幸福度」調査をしたら、日本より中国の方が高くなるかもしれないとも思う。人は「家族のために働く」ということが最も幸せな働き方なのかもしれない。









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