彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本三大・大学自治寮の一つ、京都大学「吉田寮」(旧館)の寮生立ち退き訴訟の京都地裁判決➊―「吉田寮」とは、そして京都大学の「自由」の校風が問われる判決となった

2024-02-21 06:42:32 | 滞在記

 私は2022年10月19・20・24日付のブログ「彦四郎の中国生活」で、「日本三大:大学自治寮①京都大学"熊野寮""吉田寮"、北海道大学"恵迪寮"―バンカラ伝統も」と題した記事を3回にわたって掲載した。その回のブログで、「日本全国の大学の学生寮の中で、現在もなお学生(寮生)たちによる寮の自治運営の伝統が残る(守られている)大学寮が三つ、日本にはある。この三つともに、今なお、バンカラ的雰囲気や一種のアホさ、バンカラ的雰囲気のカオス的濃厚さ、そして汚さでも、伝統的に保たれている学生寮である」と書いた。

 この京都大学と北海道大学の三つの寮ともに、さまざまな考えや趣味や学問、感性をもつ学生たちが日常的に交わり、かなり濃厚な人間関係をもつことができ、お互いに影響し学び合い、幅広い一般教養や人間形成が行われるという、大学教育の中でもとても重要な要素を機能させているのが、この三つの寮の特徴だろうかと思う。そうした意味で、この三つの大学寮は、現在の日本の大学教育の中で、稀有(けう)な、守られるべき自治伝統を辛うじて残す学生寮でもある。

 そのうちの一つ京都大学の吉田寮の旧館は、1913年(大正2年)に建てられているので111年の歴史をもち、現存する大学寮としては日本最古の歴史的建造物となっている。(※1945年以降の戦後、この旧館の建物は改修され現在に至っている。)

 現在、京都大学には主に5つの学生寮がある。最も寮生が多いのが「熊野寮」(400人余り[内:女学生は80人余り]/個室はなく全て4~6人部屋)。次いで「吉田寮」(新館に100人余り/旧館に20名弱で合計120人余り)、他に「女子寮」(30人余り/全て個室)や「室町寮」(大学院生寮)や「外国からの留学生寮」などとなっている。

 京都大学は、日本で2番目に創設された帝国大学である京都帝国大学(1897年[明治30年])の流れを汲み、精神的な基盤として「自由の学風」を謳(うた)っている。1933年(昭和8年)、京都大学法学部の瀧川幸辰教授が国家からの弾圧で休職させられたことに抗議して、法学部の31人の教授全員が辞表を出し、さらに法学部の副手(准教授)たちも全員が辞表提出、法学部の全ての学生たちが自主退学をして大学を去る(他学部の学生たちも、かなりの学生が抗議の意志を表すために退学している。)という思想弾圧事件(瀧川事件/京大事件とも呼ばれる)が起きた。(当時の学長は辞職に追い込まれた) 

 日本が軍国主義化していく歴史の中の象徴的な思想弾圧事件でもあった。そんな「自由」(表現の自由)ということを希求する学風が京都大学という大学だった。そして、その学風は、1945年からの戦後になり、さらに脈々と教職員や学生たちに受け継がれて続けてきていた。そんな京都大学の「自由の学風」が大きく変えられ始めたのが2014年に山極壽一氏が学長に就任したころからだった。

■―「自由な」イメージと高校3年生が思う大学ランキング(2022年)のリクルート調査—全国1位は京都大学

 この調査では、関東・東海・関西の各エリアの高校3年生を対象に、「自由なイメージの大学は?」という質問で行われた。全国的には、1位京都大学、2位早稲田大学。他に、慶応大学、東京大学、青山学院大学、立命館大学が、各エリアの3位以内に入っている。

 2022年10月19日付のこのブログでは次のように(次の①②)書いた。(■は今回、初めて書く。)

➀特に、その「自由と自治」が大きく変わってきたのが2015年頃からだ。当時、京都大学の第26代学長(総長)だったのは、霊長類学者として名高い山極壽一氏(70)だった。彼は2014年から2020年までの7年間、京大の学長だったが、このような「自由や自治」といったことには関心がないようで、京都大学の周辺に置かれた多種多様な「立て看板」の撤去にも(行政の求めに応じて)踏み切った。(2018年)  多くの京都市民からは「京大はんらしゅうて、いい光景(立て看板)やは」と惜しまれた立て看板だったのだが‥。(強制撤去に踏み切った。そして、京都大学らしい「多種多様さを認める自由さ」「表現の自由」の象徴的な多くの立て看板の光景は失われた。)

 ➁さらに彼は、京大学長を兼ねながら、日本学術会議の会長職ともなった、だが、「自由や自治」に関心のない山極氏の会長時代の2020年、「6名の任命拒否」を管内閣は行った。これに対する抗議も、山極氏はほとんどしてこなかった。山極氏の後任の梶田会長(ノーベル賞受賞者)は、この任命拒否問題の撤回を岸田内閣に真摯(しんし)に要求している。山極氏は、2021年に京都大学を退官し、現在、天下り先として、京都の(岩倉地区にある広大で立派な)「総合地球環境研究所」の所長になっている。まあ、京都大学の(125年余りの)歴代学長の中で、最も「大学の自由と自治」に無関心な、京都大学(の学長)にふさわしくない人物だったと、私は思っている。

■2014年に山極氏が学長選挙で選ばれた当時、京都大学の構内(本部吉田キャンパス)を歩くと、この学長選挙の看板や、ポスターやビラがよく貼られていた。「権力欲の少ない自由なイメージの高名な学者」という感じで、山極氏を推す学生たちや教職員たちが作ったものだった。そのイメージ宣伝効果もあり、山極氏がそういう意味では、「山極壽一氏という人物を完全に見誤り」、山極氏を推した多くの学生や教職員たちにも大きな責任があるとは思うのだが‥。京大の歴史上ではかなり大きな、「山極寿一氏とは実際のところ"自由と自治について"どのように考えている人物なのか」を、ほとんど考えられなかった学生・教職員の判断の大きな誤りかと思われる。(1952年2月生まれの山極氏は2024年2月現在は72歳)

■吉田寮(旧館)の寮生全員立ち退き訴訟を2019年に京都地方裁判所に、寮の自治会との話し合いもほとんどなく、一方的に訴訟を起こした当時の京都大学総長(学長)もまた、この山極壽一氏だった。

 

 

 

 

 


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