彦四郎の中国生活

中国滞在記

京都大学「吉田寮」(旧館)寮生立ち退き訴訟の京都地裁判決❷「自由と自治」の学風が、2015年以降後退したことが問われる判決となった

2024-02-22 09:28:56 | 滞在記

 

 2019年、京都大学吉田寮の旧館在住の寮生たち(45人)への立ち退きを京都地裁に提訴した京都大学当局(学長・山極壽一氏)。その後、京都地裁では15回に及ぶ法廷での口頭弁論が行われ、2023年からは2回の証人尋問が行われた。そして、2024年2月16日、いよいよ京都地裁のこの裁判の判決が下されることとなった。

 2019年当時、吉田寮旧館に在籍する寮生は45人だったが、その後、大学を卒業するなどしていき、旧館に暮らす寮生は減少、この2024年2月に旧館に暮らす寮生は17人となっていた。「(吉田寮の)食堂はカルチャースポット 築111年 変化し続ける京大吉田寮」と題されたネット記事。「京大はには 何故変人が多いのか? そして‥ 何故、変人を推奨かるのか? その秘密に迫る」と題されたネット記事などなど‥。

 この2月に入り、京都大学の吉田寮や京都大学本部構内の百周年時計台記念館の大樟(おおくす)の木の前には、16日の判決日に向けた大きな立て看板などが置かれ始めた。そして判決の2月16日を迎えた。

 2月16日判決日の翌日、2月17日付朝日新聞には、「学生らの居住認める―京大吉田寮明け渡し訴訟・京都地裁判決"大学の請求棄却"―寮生"合意形成を"」「学生運営 続く自治文化―京大吉田寮訴訟、居住認める判決―人間教育の場・元寮生が"大学は対話重視"」の見出し記事が掲載された。また、2月19日付同紙には、「京大吉田寮 自治守り、対話再開を」と題された社説が掲載された。 

 2月17日付京都新聞には、「京大吉田寮、一部勝訴 京都地裁判決 14人の居住認める」「京大吉田寮訴訟 寮生一部の勝訴―学生自治、認められた 入居者・支持者に歓喜の輪 "大学は話し合いの再開を"」の見出し記事が掲載されていた。

 京都地裁での判決が下り、地裁前は寮生たちや支持者たち、たくさんの報道陣に沸き返っていた。寮生側「勝訴」と書かれた縦長の模造紙に、地裁前は歓喜に包まれた。(旧館在籍17人のうち、14人[8割]の在籍が今後も認められた判決)

 その後、寮生側弁護団の会見。夜には、京都大学本部構内の文学部大教室での裁判報告集会が行われ、多くの学生たちや教職員、一般市民たちで大教室は埋まっていた。

―2月19日付朝日新聞社説「京大吉田寮 (大学は)自治守り、対話再開を」―

■この社説のほぼ全文(中略も一部)を下記に紹介します。この「京都大学・吉田寮訴訟問題」に関する、とても大切なポイントがこの社説には掲載されていました。

 学生たちが守ろうとし、大学に求めてきたのは「自治と対話」だ。その価値を明確に認め、大学側の姿勢を厳しく戒めた司法の判断である。京都大学は控訴せず、学生との話し合いを再開するべきだ。‥‥(中略)‥‥裁判で問われたのは、大学当局の姿勢だ。吉田寮の運営にあたっては、1971年以降、寮自治会と確約書を随時交わし、「学生と話し合うことなく、一方的な決定を行わない」としてきた。‥‥(中略)‥‥(大学当局が)約束に反して強硬手段に出たことを、地裁は重くみた。

 さらに判決は「在寮生らは、自治会による自主運営に大きな意味を見出して入寮した」と指摘した。多様で濃密な人間関係を築ける学生寮の貴重さを認め、代替宿舎ではかなわない学生自治を評価したと言える。

 京大では、大学周辺の立て看板(タテカン)をめぐっても争いが続く。京都市が17年に景観などを理由に撤去を指導し、大学側が応じたことに対し、京大教職員組合が「表現の自由の侵害だ」として市と大学当局を訴えた裁判だ。今回の判決を機に、京大の伝統である「自由の学風」に照らし、改めて省みてほしい。

 学生寮を閉じる動きは各地で相次ぐ。東大の駒場寮をはじめ、東北大や金沢大でも寮生らの反対を押し切って廃寮になった。04年の国立大学の法人化以降‥‥(中略)‥‥。

 自主自律を重んじ、個性豊かな人材を送り出す。それこそが大学が期待される役割である。管理を強め、強権を振りかざすのでは、自治を守るべき学府の自己否定につながりかねないと知るべきだ。

 

 

 

 

 

 

 


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