彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国・「新病毒(新型コロナウィルス)」❺12月上旬頃に発症していたが、当局は事実発信者複数を処罰

2020-01-30 11:54:30 | 滞在記

 1月29日には「すでにSARSの感染者を超えた」と日本国内でも報道された「新型コロナウイルス」(中国名:新型冠状病毒感染肺炎)1月30日付の朝日新聞では「感染経路動物」についての予測記事も掲載されていた。

 中国のウイルス感染症の第一人者・84歳の鍾南山氏が中国国営の新華社通信社を訪れ、「35時間一睡もしていない 感染拡大の終息に向け全力をだしているが、なかなかこれの早期終息は困難だ。これからの感染拡大の本格化を考えると‥‥」と涙ながらに語ったと、29日中国のインターネット記事は伝えていた。

 2003・4年のSARSの感染拡大では、当時の中国政府の事態・状況・事実の長期間隠蔽が感染拡大をさらに広げたとして世界から批判された。終息には1年間あまりがかかった。このSARSの時に比べて、新型コロナウイルス問題への中国政府の対応での事実隠蔽期間(事実確認期間)は短く その対応は一定評価されてもいる。しかし、やはり初期対応の問題はけっこう大きい問題もあったようだ。

 武漢市の「武漢華南海鮮市場」の関係者から感染・発症・二次感染が始まったとされる今回の問題。この市場の関係者かの多くが感染したのは12月はじめのころのようだ。その後、12月中旬頃には人から人への二次感染が広がり始めていた。このため、市場に行ったことのない人も感染する人が出始めた。そして、12月のクリスマスの頃から、体調の異変を感じて病院を受診する人が急増し始めた。この異変は口コミでも広まり始めた。

 そして、昨年末、中国・湖北省武漢市で原因不明の肺炎患者が多数確認という情報がネットに出た。2003年のSARS(重症性呼吸器症候群)の再来か?「新浪微博」にある武漢市政府の公式アカウントに問い合わせが殺到したが、ノーコメントだった上に、問い合わせファームを閉じてしまった。武漢に住む日本人たちも武漢の異変を感じ始めたのもこの頃からだ。「武漢で何かがおきているらしい」と。

 2020年の1月1日、中国国営通信社「新華社」は、「武漢ウイルス性肺炎に関する捏造情報をネットで流した8人を法律に従って処罰」という記事を発表した。処罰の内容がどのようなものかは明らかではないが、「拘束」された可能性も大きい。そして、1月11日に新華社はやっと「武漢・新型コロナウイルス肺炎患者41例を確認。1月3日以降、新たな症例は見つかっておらず、人から人への感染も確認されていない」と発表した。

 しかし、その後、感染は急速な拡大を見せ始めた。ちなみに、新華社以外の報道は中国国内ではほとんど報道するところはなかったようだ。報道管制の恐るべき力であり、これを報道すれば、記者は「拘束されて囚人となるか、転職や辞職をするか」しか道がないとも指摘されている。依然として新聞やインターネット会社やテレビ報道局に残っている記者は「中国共産党の代弁者」にしかなれなかった者たちだという人もいる。残念ながら、自由や真実や他人の命を守るという「社会の木鐸(ぼくたく)」精神を持った記者はほとんど存在せず、自己と家族の命や生活を守るほうが、中国ではずっと現実的な生き方なのだろう。この傾向は、習近平政権になって数段も〇まった感があることを、中国で7年間あまり暮らしていて私も実感している。そのような保身の気持ちは、私もよく理解できるところだ。「新型ウイルスも怖いが、一党支配下の中国共産党も〇い」という気持ちが。

 国民から批判や不満の矢面に立たされている武漢市の市長は、ついに、「地方の政府は権限がなければ 発表できない」と国の許可がなければ事実を発表できないことを苦しそうなに述べていたことが、昨日の朝日新聞で報道されていた。ちなみに、武漢市のトップは「武漢市共産党委員会書記」であり、市長はNO2だ。

 ―新型コロナウイルス、退院した患者が体に起きた異変を明かす。「動くにも動けない状態だった」―

 上記の題名の記事が1月22日付で日本のYahoo Japanインターネットサイトに掲載されていた。著者は高橋史弥氏。その記事によると、「隔離治療で、医療従事者は肌を少しも見せない防護服を着ていた」。男性は最初はただの風邪と考えていたが、徐々に症状が悪化し、入院中は食事の介助を必要とするなど「動くに動けない状態だった」と話している。記事の概略は次の通りだった。

 患者の男性は23歳。違和感を覚えたのは12月24日。「めまい、頭痛、それに四肢が少し痛む」という症状。翌朝出勤できないくらい症状がひどくなり、全身の力が抜ける」。急いで会社に連絡をとり休みをとって病院にて受診。この時はまだ単なる風邪と考えていた。熱も出ていなかった。しかし、27日に熱が出始めた。病院で点滴を受けても体調はよくならず、「症状はひどくなっていき、力がほとんど抜けていき動けなくなった」と振り返っている。

 病院で血液検査を受けたが異常はなかった。そこで、大学附属病院に行き、そこでようやく「肺炎」の診断が下された。この時の熱は40度を上回っていた。男性の職場は「華南海鮮市場」にわりと近いところだったようだ。その後、隔離治療が行われている別の病院に移り移送されることとなった。

 男性の回復を支えたのは姉だったという。「医者や警備員が止めましたが、姉が病室に入って来て、私の世話をしてくれたと。当時は動くにも動けず、食事も喉を通らなかった。姉は一口、一口、食べさせてくれた」。男性の体調は徐々に回復し、1月15日に無事退院を果たした。隔離病棟で自分が一番早く快復した理由については、「23歳と自分が一番若かったからだろう」と話していた。

 現在は闘病を通して10キロ以上痩せたという。(上記写真は、微博よりの男性の写真)

 中国の春節休み期間に訪日した中国人は70万人とも伝えられている。1月27日に中国政府から「国外団体観光禁止」の通達があり、日本へのキャンセル客も相当の数になったとも伝わる。いずれにしても50万人前後の中国からの観光客が来たのではないかと思われる。その観光客たちも今週の日曜日(2月2日)までにはほぼ帰国の途に就くかと思う。

  ―「新型肺炎」歌舞伎町、飛田新地‥風俗街・歓楽街が危ない!春節で来日、濃厚接触避けられず「集団感染」も―

 上記の見出しの記事が「夕刊フジ」で27日に報道記事となっていた。記事内容は、日本での感染拡大の発火点となりそうなのが、何と全国にある風俗街・歓楽街だという内容だ。「例年、春節の時期になると中国人客が増える。今年は新型肺炎のニュースもあり、ナーバスになっている女の子も多い」と日本最大のソープランド街として知られる「東京・吉原」の風俗店関係者はこう語った。全国の風俗街・歓楽街といえば、札幌のススキノや、東京の吉原や歌舞伎町、川崎の堀之内、名古屋の栄、大阪の飛田新地、滋賀のおごと、兵庫の福原、福岡の中州などが有名だ。

 中国のインターネットサイト記事を閲覧していたら、日本の大分市への感謝の記事があった。大分市と武漢市は1979年に姉妹都市となっていて、今年の2月8日には40周年記念行事の開催を予定していた。しかし、「新型ウイルス肺炎」問題のため、行事は延期。大分市は、「災害に備えで備蓄している食品や衣料品など」を武漢市に支援として送ることを決定したとの内容の記事。

◆もし感染したらどうなってしまうのか!?怖いことがいろいろ想像できる。私が2月15日に中国に戻って大学での授業が17日から開始される。マスクはたくさん持って行くつもりだが。通勤のバスの中、大学の教室での授業、店での買い物、食堂での食事などなど。中国への飛行機の中も心配になる。約2万人の学生達は全国各地から大学に戻って来る。封鎖が解かれれば、もちろん武漢からも。

 かりに症状が出始めたら。病院に行ってもなかなか言葉が通じない、付き添ってくれる学生にも頼みにくいし、断られるかも。病院に入院しても誰も食事などの介護をしてくれる人はいない。学生にも今回は頼めない。免疫力が低下して そしてどうなるか。

 今回の中国行だけは、本当に2重に怖いというのが正直なところだ。67歳という高齢者の年齢だけに持病も多い。中国で感染するより、日本で感染して病院に入院した方が、なんぼかましかとさえ 考えてしまう。2月中旬には患者数の第一次ピークを迎えると予測されている。その時期は、何十万人、いや百万人を超える患者数の可能性もとりざたされてもいる現在。今は大学からの連絡は無いが、できるだけ多くの日数、新学期開始日の延期を期待するのみだ。

 

 

 


コメントを投稿