彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国・「新病毒(新コロナウイルス)」❻人類と「細菌・ウイルス」との戦いの歴史―ウイルスの子孫拡大戦略

2020-01-31 11:05:07 | 滞在記

 1月27日に市民図書館に借りていた本の返却に行った際、利用者が目につきやすい書架に細菌やウイルスに関する書籍が何冊も並べられていた。中国・武漢から発症し感染者が爆発的に増加している「新型コロナウイルス肺炎」問題が起きているために、並べられたのだろう。さっそく2冊を借りることとした。

  『銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎』草思社(上下) ジャレド・ダイアモンド著と『ウイルス・細菌の図鑑』技術評論社 北里大学 医療衛生学部微生物学 北里英郎+原和矢+中村正樹 著 という2冊の書籍。

 『銃・病原菌・鉄―』は、1万3000年の人類の歴史の流れを、狩猟・農耕・家畜、定住と農村、都市の成立などを独自の視点で論述し、ピュリツァー賞を受賞した著作だ。この本の第3部・第11章「銃・病原菌・銃の謎―家畜がくれた死の贈り物」では、人類と細菌やウイルスとの歴史が詳しく述べられてもいる。

 『ウイルス・細菌の図鑑』は、微生物の基礎知識から感染症の仕組みまでを分かりやすく画像やイラストを多く使いながら説明している書籍だった。

 細菌・ウイルスと言えば、画家・ブリューゲルが描いた絵画「死の勝利」(1562年頃)。死の前で為すすべのない悲しい人間たちの姿が、骸骨(死神)の視点から描かれている。この絵が描かれた背景には、14世紀末に大流行したペスト(黒死病)の存在があった。当時のヨーロッパの人口の3分の1(約2500万人)が命を落としたと言われている。当時は原因が分からず、感染を防ぐ有効な治療法もなかった。また、1918年~19年にかけて世界的に大流行したインフルエンザ(スペイン風邪)では、感染者5億人、死者5000万人〜1億人となった。ほかに、コレラ、赤痢、エイズ、結核などなど、多くの菌やウイルスが多くの人類を死においやってきた。

 2013年、西アフリカにおいてエボラウイルスが原因となって発症するエボラ出血熱の感染が急拡大して深刻な事態となった。2万7550人が感染し、1万1235人が死亡(41%の死亡率)。2015年になってようやく沈静化した。

 2003年・4年の中国におけるコロナウイルスによる「SARS」(重症性呼吸器症候群)、2009年から2010年にかけての新型インフルエンザウイルスの世界的大流行、2014・2015年の「MERS」(中東呼吸器症候群)では、韓国国内でも感染者が186人に拡大し、36人が死に至った。そして、今年2020年の「新型コロナウイルス肺炎」の感染の広がりである。

 この書籍には、肺炎菌・肺炎マイコプラズマ菌・インフルエンザウイルス・SARSコロナウイルス・ノロウイルスなど、68種類の細菌やウイルスがその写真と、それによる病気について解説をしている。例えば、食中毒など急性胃腸炎を引き起こすものには、細菌性のもの(大腸菌やブドウ球菌やサルモネラ菌など)とウイルス性のもの(ノロウイルスなど)がある。細菌性のものには抗生物質治療が効くがウイルス性のものには効かないので回復は長引く。

 自然界には微生物(ウイルス・細菌・真菌・原虫)がたくさんの種類存在している。動物や植物などを腐らせて分解し自然界に戻すという微生物の働きによって自然界は循環する。その中で、我々人類はヨーグルトや納豆などの発酵食品の生産に微生物を利用している。また、常在微生物として人間の体内には日常的に微生物が住み着いている。このような常在微生物は食物の消化を助けたり、外から侵入してくる病原微生物から身を守ってくれたりしている。しかし、ときに微生物は細菌やウイルスとして人類に襲いかかる。

 ―微生物の分類と特徴―

 ①ウイルス(非生物)-細胞に寄生しないと自己複製できないことから生物学的な分類では生物に含まれない。核酸(DNAもしくはRNA)とタンパク質から構成される。 ②細菌(原核生物)-細胞の構造は単純で、核膜をもたない原核生物。細胞は基本的に細胞壁をもっている。③真菌(真核生物)-いわゆる菌類で酵母・カビ・キノコが含まれる。④原虫(真核生物)-寄生虫のうち、単細胞生物のものを原虫として区別する。[マラリアなど]

  1800年代頃から細菌に関する研究が始まった。そして、細菌の研究を通じて、細菌に抵抗したり細菌を殺したりする「抗生物質」が発見された。これを1928年に発見したのはイギリスの細菌学者・アレキサンダー・フレミングだった。この物質(ペニシリンと名付けられた)はその後、培養・生産が進み医薬品としての工業生産が可能となった。フレミングら3人は1945年にノーベル医学賞を受賞した。

 天然痘の流行(30%の死亡率)により多くの命が失われていた1700年代。イギリス人のジェンナー1798年に「ワクチン」を開発した。いわゆる種痘である。日本でも幕末期に入り、種痘の試みがおこなわれた。

◆種痘・ワクチンの開発や抗生物質の発見と使用を人類は獲得した。しかし、細菌やウイルスは、子孫を絶やさず、さらに増やすための戦略を行い続ける。突然変異であったり、さまざまな形をとり、人類や生物界に影響を広げようと戦略をもち続けている。このため、新たな戦略でできた病原菌やウイルスに対して人類は それに対抗するための薬の開発などが迫られる。

 今回の新型コロナウイルスは、基本的には2003・4年の「SARS」のコロナウイルスと構造的には80%は同じ形のものだ。しかし、20%を変化させることにより、「SARS」のコロナウイルスのように、「感染させたらすぐに高熱などを発症させ強烈な肺炎を起こさせ、致死率を高くする」という戦略からの変身を図った。

「感染させてもすぐに発症させず、潜伏期間を10日間〜14日間と長くとり、この潜伏期間により多くの人間に感染させ子孫を広げていく。人間の致死率はSARSのコロナウイルスの時より下げてもかまわない。感染して棲家を確保したのに 早く人間に死なれてしまったら棲家をまた探さないといけなくなるしなあ。」という戦略に。このような変身を10年以上をかけて「宿主」のコウモリの細胞内で進行させてきたのだろう。ウイルスは「非生物」に分類はされるが、明らかに生物的意志をもっているようだ。

◆―海外旅行者下痢症―1996年に、初めてモンゴル恐竜調査団の一員としてモンゴルゴビ砂漠に行った。その当時、モンゴルまでの日本からの飛行機直行便はなかったので、日本・成田―中国・北京(経由・一泊)—モンゴル・ウランバートルと、北京で一泊して乗り換えるというルートをとった。2週間あまりの発掘調査を終えて、北京に一泊して立ち寄った際の出来事だった。

 北京市内にその夜くりだし、餃子が名物の料理店でたくさんの酒もみんなで飲んだ。空港近くのホテルに帰り、ホテルの部屋の机の上に大きな水グラスの瓶に入った水は安全だと思って、酒による喉の渇きをいやすため、私とそして相部屋の日本人男性はその水を飲んだ。10分ほどして、相部屋の男性はトイレに行った。なかなか出てこない。20分間ほどが経過してようやく出てきた。私も、超特急の便意を感じ始めていたので、彼が出たあとトイレに急行した。猛烈な下痢便。10分ほどしてトイレにあるペーパーを使おうと思ったが、ペーパーは残っていなかった。相部屋の男性が全て使い切っていたのだ。相部屋の男性に「ホテルの廊下にあるトイレからペーパーをすぐに持ってきて」と大声で伝えた。水だけでなく氷も感染源となる。

  これは、典型的な海外旅行者下痢症。細菌感染(大腸菌・サルモネラ菌など)によるもので、比較的軽症で改善していく。いわゆる「水にあたる」というやつだ。現地の人は、その土地特有の菌に対しての「免疫」を持っている。その後、何度もモンゴルでの調査に出かけたが、細菌に効果のある「抗生物質」だけは、日本のかかりつけ医師に頼み込んで、外国に持って行くようにしている。

 1月25日頃、「細菌とウイルスは違います。細菌には抗生物質は効きますが、ウイルスには効きません。ウイルスには有効な治療法がまだなくて、ウイルスが体内から外に排出されるまで病気が続きます。これに打ち勝つには免疫力の維持が最も大切なのです。深酒などは絶対せず、十分な睡眠と十分な食事による栄養の確保が最も対策として有効なのですよ」と民報のテレビ報道番組でコメンテーターが説明していた。

 私はこれまで、「細菌」と「ウイルス」は同じようなものだと思っていたので、これは目からうろこがとれたような情報だった。また、「風邪は口や鼻から喉にかけて風邪の菌が入り込み炎症などを起こす病気ですが、肺炎やコロナウイルス肺炎などは、肺炎菌やコロナウイルスが肺の肺胞まで侵入したり住みつき、強い炎症を起こし、呼吸困難を伴わせる病気ですよ。」とも説明していた。

 実は私は、1月5日に中国から日本に帰国し、その3日後の1月8日から胃腸に違和感を感じ始めた。1月9日の朝になり、嘔吐感がきつくなり総合病院にて診察。診察した医師に「中国から帰国した」ことを話した。「中国のどこですか、武漢ですか」と問われた。「いいえ、武漢から飛行機で1時間ほど離れた福建省の福州です。福州から武漢までは、日本の京都から青森くらいまでの距離です」と答えた。この1月8日は、日本でも中国の肺炎流行が報道され始めたころだった。

 検査の結果は、「ノロウイルス」感染だった。小学校や保育園・幼稚園などでも流行することの多い感染の病気だ。日本帰国後に会った知り合いがこれに感染していたようで、その人から私に空気感染したようだ。医師は「ノロウイルスに有効な抗生物質のような特効薬はありません。体外にウイルスが排出するまで頑張りましょう。とりあえず、整腸剤を渡します。点滴をしておきしょう。」ということで、2時間ほどの時間をかけて点滴(免疫力=ウイルスと戦うための栄養)をしてもらった。

 ノロウイルスに感染すると、2〜3日間は嘔吐や下痢症状などが続く。発熱はほとんどない。この間、胃腸の不快感や嘔吐感のため食欲はなくなる。病院に受診してから3日後くらいからようやく食欲が戻り始め、完全に胃腸が回復し、健康な大便ができるようになるまで約10日間あまりを擁した。私の場合は下痢はなく嘔吐だけだったが、2日間くらいは寝てばかりで 食欲もなく けっこう辛いものだった。小さい子や若い人はもっと早く4日〜5日くらいで完全回復するらしい。

 ノロウイルスは主に腸の細胞に住み着き感染する。コロナウイルスは肺の肺胞細胞だ。ノロウイルスの場合はそう大した病気ではないが、それでも腸でのかなりの不快感と辛さがあった。それが、肺の場合は まともに空気が吸えず、呼吸が困難になるという病状なので辛さはひとしおだろう。重症化すると喘息の強い発作時のような辛さかと思う。私を診察した医師が「ノロウイルスに特効薬はありません」と話したことの深い意味が、1月25日の報道番組のコメンテーターの解説や2冊の書籍を読んでようやくわかったという次第だ。

 2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授。彼は、1億2千万人が危機にさらされ、患者の2割が失明するといわれる、寄生虫による感染症オンコセルカ症、及び、感染すると足が像のように大きく腫れる象皮病などの特効薬を開発した人だ、1970年半ば、静岡県伊東市の土壌から、特効薬となる物質を発見した。

 北里柴三郎はペスト菌の発見とその後の治療薬の開発のため、1894年 の世界的調査団・研究員の一員として参加した人だった。ペストは感染すると皮膚が黒くなり死に至るため黒死病ともよばれた。人への感染源は主に鼠を刺した蚊によりだった。北里は1897年に破傷風菌の純粋培養に成功し、このことにより破傷風(ちょっとした切り傷から、土の中にいる破傷風菌―どこにでもいる―が入ると、化膿が爆発的に急速に大根のように進む。このことにより、足や腕を切断する事態になることに。モンゴルの恐竜調査でも知り合いのモンゴル人隊員がなって、腕を切断していた。)への治療が前進した。日本の細菌学の父とも呼ばれる。

 また、1897年に志賀潔は「赤痢菌」を発見し、その後の治療に大きく貢献。野口英世は黄熱病や梅毒の研究で有名だ。彼は1928年、研究中に黄熱病で亡くなった。52歳だった。

 

 

 

 

 

 


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