彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国一の「干潟とリアス式海岸」が続く❶—福建省寧徳・霞浦へ行く

2016-06-16 13:50:15 | 滞在記

 半月ほど前の5月28日(土)、閩江大学の日本語科主任の林先生の故郷に 閩江大学の日本人教員2人とともに「海鮮料理」を食べに行くことになった。早朝の7時に福州北駅で4人が待ち合わせ、7時55分の新幹線に乗車。1時間と少しで 目的地の福建省寧徳市霞浦駅に到着した。新幹線乗車の途中、4kmあまり新幹線が干潟の上を走る区間があったのには、少々驚いた。
 ただ単に、「海鮮の美味しい寧徳に行くだけの日帰り遠出」と思って出かけたのだが、この遠出は、思わぬ光景を目の前にする小さな旅となった。そこは、「中国一の干潟とリアス式海岸」が続く場所だった。また、中国一の「海の養殖漁場」でもあった。 日本では、東北地方の三陸海岸など、リアス式海岸が各地にある。東シナ海に面した中国の福建省の海岸線は、長くリアス式海岸が続く。アモイから北に続くこの海岸線の長さは、三陸海岸の4倍以上(東京から青森まで)の長さとなる。そして、特にこの寧徳のリアス式海岸は、深く複雑なリアス式海岸と干潟を望むことができる美しい場所だった。

 霞浦駅に到着後、林先生が予約した「貸し切り個人白タク」がやって来た。日本車の「エスティマ」だったので、私たちはゆったりと乗ることができた。駅から20分ほど、海岸に向かって走る。海岸近くの村の中を通過して、第一の「見どころの場所」という所に到着した。
 車を降りて、海岸の方を見て「なんだ、この光景は!」と驚いた。広い干潟、そして その干潟の上に大きな鉄鋼製の船が何隻も傾いている。「なぜ、舟がこんな場所にあるの?」と不思議な光景が目の前にあった。舟の近くの干潟の上には、何人もの人がいる。何かをしているようだ。貝でも獲っているのだろうか。

 干潟の上を滑るように進む、底の平たい大型スキーのようなものに乗っている女性の姿も見える。これに乗って移動するようだ。干潟やリアス海岸がよく見える場所へと道を登って行く。どこまでも続く遠浅の海があった。遠浅の海には、長い棒が林立している。ずっと沖の遠くまで続いていた。凄い光景だ。こんな遠浅を見たこともない。この棒は、何のためのものだろう。漁のためなのか----。

 美しい海岸線を横に見ながら さらに進むと、入江の小さな砂浜が見えた。近づくと、数十人のグループが砂浜で遊んでいた。ずた袋に両足を入れて、砂浜を「トントントンと両足」でジャンプしながらリレーをしていた。楽しそうだ。満潮になるとこの砂浜は海の底になるのだろう。砂浜の後方の山を見る。中腹に「墓」が多くあった。近くの村の墓なのだろう。
 元来た道を、車の待つ場所に戻る。平たい船底の小舟が5〜6隻 置かれていた。この船も大きな鉄鋼船も、満潮になると海水の上に浮かび上がるのだろうか。

 干潟での何かの漁から帰ってくる村の人たち。かぶっている日よけの帽子に特徴がある。何か、沖縄の舞踊で女の人が踊るときの帽子に似ていると思った。
 村の中を通り過ぎ、別の場所に行くと、「昆布」が大量に干されていた。ここは、昆布がよく採れる場所なのかな---。

 「龍舟」が作られていた。6月9日の「端午節」に向けて作られているのだろう。立派な「龍舟」だ。子どもたちが可愛い。船の側にある一本の樹木が立派だ。樹齢何年なのだろう。

 荒れた道を走って来たので、車のタイヤがパンクしていた。タイヤを交換するのに30分。霞浦の市街に戻り、林先生の「お兄ちゃん」と呼ばれる人と合流し、「海鮮料理店」に行く。店内に、さまざまな魚や貝が置かれている。これを注文して料理してもらうことに。アジやメバルなど、日本沿岸で獲れる魚もあるが、日本では見られない魚も多い。

 先ほど行った干潟などで獲れるという「タニシのような貝」も出されたので食べてみた。魚は新鮮で美味しかった。林先生が「お兄ちゃん」と呼ぶ人は、小さいころから同じ家で育ち合った、親戚の人(いとこ)らしい。地元の高校で数学の教員をしているようだ。












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