彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国から日本への一時帰国中はほぼ毎日、病院に通院し、そして中国に戻った—森村誠一著『老いる意味』

2023-10-12 11:24:36 | 滞在記

 今年は9月29日(金)の中秋節から始まった中国の大型連休。10月1日(日)からの国慶節にともなう祝祭日を経て10月8日(日)までの10日間余りの超大型連休となった。

 この中国の大型連休のようすは、日本の報道番組でも特集的に報道がされてもいた。「大型連休中 延べ20億人以上が移動」「国慶節で観光地に殺到」「世界遺産の万里の長城や泰山 "3分に2歩しか進めない"」「新幹線車中 大混雑で車掌も人をかき分け 人を乗り越えて」などの報道テレップも流れていた。

 私も経験があるが、中国では3日間以上の連休中に、有名な観光地に行くとあまりに人が多過ぎて、1時間余りはいろろいな場所で順番待ちをすることも多い。2016年10月の国慶節期間中に、中国福建省の世界遺産の一つ「武夷山(ぶいさん)」に行った時のことだが‥。当時、勤務していた福建師範大学の学生の故郷が武夷山の近くにあったので、学生の実家に一泊して、学生とともに武夷山の景勝地に向かった。

 行ってみると山水の世界で、世界遺産に指定されるのもうなづける光景が広がっていた。この武夷山風景区の中心的な山に登る時、山頂までびっしりと ほぼ隙間なく人の列が続いていた。(下りは登りとは違う下山ルートがある。)平日ならば、おそらく30分間ほどで登れる山だったが、この日は1分間に10歩ほどしか進めなかった。この山登りは、こんな調子なので登山に伴う足腰の疲れは何も生じなかったのを覚えている。

 9月27日(水)に日本に帰国し、10月6日(金)に中国に戻ることになっていたが、9月29日にはフィリピンの東方に台風が発生したとの報道。この台風14号(コイヌ)は日が経つにつれて大型台風に成長してきていた。私が中国に戻る10月6日に台湾海峡を通過するとの進路予報となってきたので、予約している航空機の欠航が心配となってきた。今年は、台湾や中国南部に上陸する台風も多い年だ。

 日本に一時帰国していた10日間は、ほぼ毎日が歯科(2回)、耳鼻科(1回)、内科(1回)、血管外科(3回)、針鍼灸漢方院(3回)などの医院通いの日々となった。特に、帰国中の10月3日頃から再発した腰の痛みと左足の痛みは坐骨神経痛の再発症によるものだ。また、8月下旬頃からの右足のふくらはぎの痛みは血管性の症状によるものだということが、今回の血管外科での診察で判明した。

 自宅近くの水田や畑のある地区にある地蔵さん。今年の9月の猛暑日のため、開花が1~2週間も遅くなった曼殊沙華(彼岸花)が地蔵のそばに美しく咲いていた。実りの秋の10月上旬。黄金色の稲穂の向こうに愛宕山や比叡山、そして丹波山地の桟敷山が見える。地蔵さんに「早く腰や足の痛みが治まりますように‥」と祈った。

 中国に戻る1日前の10月5日(木)、午前中に血管外科のある大阪府枚方市の病院にて3回目の診察を受けて薬をもらった。午後、京都市内の四条大橋のたもとの「出雲の阿国」像の周りには、秋の花の一つ「藤袴(ふじばかま)」の鉢がたくさん置かれていた。京都市内の各所で「藤袴祭」が開催されるとのポスター。痛い足腰で少しずつ歩き、すぐ腰降ろして休んで、また少しずつ進んで、休みながら京都丸善書店へ。中国で読むための文庫本を10冊ほど購入した。市内バスで銀閣寺近くの娘の家に向かう。バス停から少しずつ進み、休みして、孫たちに会いに行った。

 この日の夕方、中国廈門(アモイ)航空の大阪支店に、「明日10月6日の飛行機(関空―福州)は予定通り飛びますか。台風のため欠航になるか心配しています」と電話で問い合わせると、「台風が少し南の方面の香港方面にそれたので、明日は予定通りこの飛行機は飛びます」とのことで安堵した。

 10月6日、我が家の柿の木の葉は数枚が少し紅葉し始めていた。朝の8時過ぎに自宅を出て、関西国際空港に向かう。大きな荷物を押しながら持ちながら(4つ)関西国際空港に向かう。間断なく痛む足腰‥。この日の午後6時頃に中国福州のアパートに到着した。足腰の疲れと痛みのためか、夜中には何度も目が覚めた。翌朝、アパートのベットより窓の外を見る。窓の正面に見える小山の木々の緑に心が癒される。再び、足腰の痛みにも耐える中国生活が始まった。

■私はこの8月に71歳となった。10月2日、大阪府枚方市の病院で診察を受けたあと、枚方市駅前のファミリーレストランで、大学時代の先輩たち2人(私より2〜3歳年上)と会い、私の足腰の病状などについても話をした。先輩たちもそれぞれ、70歳前後にちょっとした大病も患い手術なども経験している。70歳という年齢の前後に、かなりの割合の人がそれなりに深刻な病気を抱えることになることが多いようだ。

 この日本一時帰国中に、書店で買って読んだ本の一つに『老いる意味—うつ・勇気・夢』中公新書 森村誠一著がある。「元の私に戻れますか?  老人性うつ病を克服した著者の老いの生き方。」「病や悩みにも寄り添う。老いには勇気が必要。」「追悼—森村誠一さん」などの言葉が本の表・裏表紙に書かれている。

 森村誠一さん(推理作家)は、1933年に生まれ、今年2023年の7月24日に90歳で亡くなった。この本は88歳の時に書かれた本だ。第1章から第5章で構成されているが、特に第1章の「私の老人性うつ病との闘い」の章は、突然に訪れたうつ病との闘病記について書かれていて、それを克服するまでのことが書かれている。うつ病が始まったのが2015年だから、森村さんが82歳の頃となる。そして、3年間余りののち、うつ病を克服することができたとある。

 そして、森村さんはこの著で、「70歳をこえたら病気とその悩みに寄り添って生きること人々にとってが多いですが、やはり、病気を克服するという勇気、そして病気が克服できたら🔴🔴をしたいなどの希望(夢)を持つことも必要なことです」と語っていた。


1 コメント

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Unknown (大阪▪枚方市、小野賢一)
2023-10-13 19:24:15
今晩は。
何とか、大学に戻られましたね。次、帰国される時はゆっくり、話をしましょう。
2023年10月13日(金)
小野賢一 拝

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