天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

白河の関・・・

2022年08月23日 19時19分29秒 | 日記
 昨日は、やはり大変でした。
 改修工事初日と言う事で、多くの業者が来て、
 様々な打合せや、建築士への質問などをしていました。
 僕は特に何をしたと言う訳ではないのですが疲れました。

 そのような訳で、高校野球の決勝、仙台育英対下関国際との試合は、
 余り見ていませんでした。
 途中で、工事の一環で家の中の電気を切る事もありました。
 結果は、ご承知の通り、仙台育英が7回の満塁ホームランで突き放した感じでした。

 これまたご承知の通り、仙台育英の優勝は
 春夏を通じて東北地方で初めての事です。
 1915年夏の第一回大会で、秋田中学が京都二中に敗れて以来、
 三沢高校が松山商業に敗れた試合など、
 歴史に残る名勝負が何試合もありました。
 東北出身の名選手も数多く出ていますいので、
 いずれは優勝校が出るだろうとは思っていましたが、
 ようやく優勝が出て良かったと思います。

 東北地方の優勝について、
 優勝旗が白河の関を越えるとの表現が使われていました。
 2004年(平成16年)駒大苫小牧が北海道の高校で初めて優勝して帰郷する際に、
 飛行機が津軽海峡を越えていると、
 機内で、
 「只今、優勝旗は津軽海峡を越えています。」とアナウンスされたとの事です。
 とても良い話だと思っています。

 白河の関は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、
 奥州三関の一つに数えられています。
 白河の関の設置の年代は不明ですが、
 646年(大化2年)「改新の詔」に、関設置の条項が設けられたことから、
 遅くともこの頃までには成立していたと 考えられています。
 白河の関の廃絶についてもいつごろか明確でありませんが、
 12、3世紀ごろに絶えたものと考えられます。
 関の廃止の後、その遺構は失われて、
 その具体的な位置も分からなくなっていましたが、
 1800年(寛政12年)、白河藩主松平定信が文献による考証を行い、
 その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じました。
 1960年代の発掘調査の結果、
 土塁や空堀を設け、それに柵木(さくぼく)をめぐらせた古代の防禦施設を確認、
 1966年(昭和41年)9月12日に「白河関跡」として国の史跡に指定されました。
 写真などがありますので、宜しければご覧下さい。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/article/a63391216.html

 白河の関と言えば、能因法師の
 都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関 が有名です。
 これも面白い話がありますが、長くなりますので、
 興味のある方はご覧下さい。
 https://blog.goo.ne.jp/tennnennkozi/s/%E8%83%BD%E5%9B%A0%E6%B3%95%E5%B8%AB
 
コメント
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