(以下、SankeiBizから転載)
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外国人にとってちっとも楽にならない国際化 成果上がらぬ日本の「国際値」
2014.7.27 06:00
企業であろうと教育機関であろうと、「我々は国際化をしないといけない」とどこでも口を揃えて語る。
この1か月間の日本滞在中、至るところでこのセリフを聞いた。それは国際化したほうが良いだろう。閉鎖的なより開放されていた方がいい。
ただ、ここでいう国際化には色々な思惑があるが、一つには、いわば「国際値」なるものの上昇を目指しているようだ。端的にいえば、外国の人と怖気づかずに仕事ができるようになりたい、というのが「国際値の上昇」だろう。
それでは何をするのか。教育機関なら海外の提携校と交換留学生を増やしたい。しかし、海外での学生受け入れ先に日本に留学したい学生が沢山いる、というわけでもない。しかも日本側に英語の授業がないことも多い。双方の数字のバランスがとれないとシステムが成立しない。だから片思いになる。
企業も自らの国際値をあげて何とか海外市場に商品を売りたい。
政府の外国人観光客の誘致政策をチャンスとみた会社で、日本に観光で滞在する外国人が使うスマホのアプリを開発している。これを世界標準にしたい、と説明に熱が入る。そのためにも日本の企業や自治体に営業をかけているようだ。
ぼくは、これは営業の方向が違うのではないか?と思った。日本に来る人たちが多い国でアプリを標準にすることが、最初の目標にならないとおかしい。短期滞在のために、初めてのアプリを使う人がそんなにいるはずがない。
如何にそれまでに地元で使い慣れてもらうかとのアプローチがなく、日本の空港に降り立った瞬間から、そのアプリを使ってもらおうというのは無理がある。ユーザーの立場になっていない。
外国人にとってちっとも楽にならない国際化だ。
地域活性化活動でも同じである。自分たちの土地の活性化のために、外国とさまざまな接点を探るのは頼もしいようでいて、実は心もとない。例えば外国人の知恵やノウハウを期待する。だが、そのために自分たちが外国人に知恵やノウハウを提供することには考えが及ばない。
他地域のアイデアや協力が欲しいなら、まず自らが他の地域に出向き、そこの土地が抱える問題の解決に協力してやろう、と思わないといけない。海外の地域に何か役立つことができないかとアプローチを試みることで、自分たちの解決策のヒントを得られるかもしれないし、相手方もお礼に協力したいという気持ちが芽生えてくる。
このように、「国際値があがる」とは相手をともなったプロセスのなかで実現されていくものだ。自分だけで鍛えてどうにかなるものではない。しかし、実際には自分の目標を達成することばかりが念頭にあるケースが目につく。
だから成果があがらないことおびただしい。
結局のところ、「我々は国際化しないといけない」動機の多くが、世の中に流布する掛け声や役所の方針に従うことにあるので、体裁が先にくるのだろう。「国際化した風」であることに気が急ぐのだ。
相手にされる海外の組織や人にとってはいい迷惑である。
日本では、「人の立場になって考えさない」ということを小さい頃から繰り返し教えられる。思いやりは得意なはずだ。しかし、殊、こういう異なる文化とのつきあいになると、丁寧過ぎるか、まったく気を配らないかの両極端になる傾向が強い。
もちろん海外の人にとっては、日本の組織や人がオープンで国際化されることは歓迎である。だが、その基本のところで手伝うことはないと考えている。ビジネスを有利に運ぶために圧力を加えることはあるが、マインドのあり方に直結するところまではつきあう気がない。
いや、正確に表現するならば、マインドや文化に関与するデリケートな話題に他者は入りにくい。さらに言うならば、入るべきではないと考えている。
「国際化したい」という前に一呼吸おいてみたいものだ。
◇
ローカリゼーションマップとは? 異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。
安西洋之(あんざい ひろゆき) 上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。
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外国人にとってちっとも楽にならない国際化 成果上がらぬ日本の「国際値」
2014.7.27 06:00
企業であろうと教育機関であろうと、「我々は国際化をしないといけない」とどこでも口を揃えて語る。
この1か月間の日本滞在中、至るところでこのセリフを聞いた。それは国際化したほうが良いだろう。閉鎖的なより開放されていた方がいい。
ただ、ここでいう国際化には色々な思惑があるが、一つには、いわば「国際値」なるものの上昇を目指しているようだ。端的にいえば、外国の人と怖気づかずに仕事ができるようになりたい、というのが「国際値の上昇」だろう。
それでは何をするのか。教育機関なら海外の提携校と交換留学生を増やしたい。しかし、海外での学生受け入れ先に日本に留学したい学生が沢山いる、というわけでもない。しかも日本側に英語の授業がないことも多い。双方の数字のバランスがとれないとシステムが成立しない。だから片思いになる。
企業も自らの国際値をあげて何とか海外市場に商品を売りたい。
政府の外国人観光客の誘致政策をチャンスとみた会社で、日本に観光で滞在する外国人が使うスマホのアプリを開発している。これを世界標準にしたい、と説明に熱が入る。そのためにも日本の企業や自治体に営業をかけているようだ。
ぼくは、これは営業の方向が違うのではないか?と思った。日本に来る人たちが多い国でアプリを標準にすることが、最初の目標にならないとおかしい。短期滞在のために、初めてのアプリを使う人がそんなにいるはずがない。
如何にそれまでに地元で使い慣れてもらうかとのアプローチがなく、日本の空港に降り立った瞬間から、そのアプリを使ってもらおうというのは無理がある。ユーザーの立場になっていない。
外国人にとってちっとも楽にならない国際化だ。
地域活性化活動でも同じである。自分たちの土地の活性化のために、外国とさまざまな接点を探るのは頼もしいようでいて、実は心もとない。例えば外国人の知恵やノウハウを期待する。だが、そのために自分たちが外国人に知恵やノウハウを提供することには考えが及ばない。
他地域のアイデアや協力が欲しいなら、まず自らが他の地域に出向き、そこの土地が抱える問題の解決に協力してやろう、と思わないといけない。海外の地域に何か役立つことができないかとアプローチを試みることで、自分たちの解決策のヒントを得られるかもしれないし、相手方もお礼に協力したいという気持ちが芽生えてくる。
このように、「国際値があがる」とは相手をともなったプロセスのなかで実現されていくものだ。自分だけで鍛えてどうにかなるものではない。しかし、実際には自分の目標を達成することばかりが念頭にあるケースが目につく。
だから成果があがらないことおびただしい。
結局のところ、「我々は国際化しないといけない」動機の多くが、世の中に流布する掛け声や役所の方針に従うことにあるので、体裁が先にくるのだろう。「国際化した風」であることに気が急ぐのだ。
相手にされる海外の組織や人にとってはいい迷惑である。
日本では、「人の立場になって考えさない」ということを小さい頃から繰り返し教えられる。思いやりは得意なはずだ。しかし、殊、こういう異なる文化とのつきあいになると、丁寧過ぎるか、まったく気を配らないかの両極端になる傾向が強い。
もちろん海外の人にとっては、日本の組織や人がオープンで国際化されることは歓迎である。だが、その基本のところで手伝うことはないと考えている。ビジネスを有利に運ぶために圧力を加えることはあるが、マインドのあり方に直結するところまではつきあう気がない。
いや、正確に表現するならば、マインドや文化に関与するデリケートな話題に他者は入りにくい。さらに言うならば、入るべきではないと考えている。
「国際化したい」という前に一呼吸おいてみたいものだ。
◇
ローカリゼーションマップとは? 異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。
安西洋之(あんざい ひろゆき) 上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。