多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

島根地理学会会長 大矢幸雄

2010-11-14 07:48:14 | 多文化共生
(以下、山陰中央新報新聞から転載)
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島根地理学会会長 大矢幸雄

 島根地理学会では、ここ数年、人口流出と高齢化の進む地域を「縁辺地域」ととらえて、過疎対策のモデルとなった匹見のほか、奥出雲、隠岐、邑南、鳥取県西伯などを訪問している。昨年は、海外にも目を向けて、中国の最貧困地域の一つであり、かつ島根県と友好交流を行っている寧夏(ねいか)回族自治区を訪れた。

 わが国の縁辺地域に共通しているのは、高度経済成長期以降、人口が急激に減少する中で、その多くは、住民の50%以上が65歳以上の高齢者であることと、いわゆる限界集落と呼ばれる集落維持が困難な地域である。私はこうした地域を訪れ、集落消滅の現実にしっかりと向き合い、地域に誇りを持ち続けている人々がいることに希望を抱いている。

 益田市匹見町では、町の中心部から車で約20分の距離にある旧七(なな)村を訪ねた。狭い谷あいの山すそには、立派な瓦屋根のある家々が見えるが、かつての農地と思われる場所は、雑草や雑木が伸び放題で、伝統ある村はすでに消滅していた。数百年来、沢山の村人によって大切に守られてきた伝統や文化は、書物や写真などの記録に残され、今も息づいている。

 高度経済成長期に、匹見町長として奮闘された大谷武嘉さんや、地元の方と交流する機会を持った。大谷さんは、一人暮らしの身ながら、近所のお年寄りに手作りの料理や「おけら通信」と称する便りを配るなどして、地域を支えておられた。この通信の名称は、現在でも匹見町支援のブログとして継承されている。その後、大谷さんは益田市内の息子さん宅に転居されたが、98歳で今なお、ご健在と聞いている。

 限界集落は、都市部の古いベッドタウンや大規模公共団地などにも存在しているといわれる。さらに都市内部でも、商業地の衰退とともに、人口の空洞化と高齢化が進んで、地域扶助の弱体化という過疎地などと類似した課題を抱えている。

 最近、空洞化、高齢化の進む地区にある松江市内の朝日公民館が発行した郷土資料を見て驚いた。それは、1938(昭和13)年に開校した小学校の当時の風景を、70歳を超えた卒業生たちが復元した地図である。

 そこには、通学の途中に見た小川や工場、石炭置き場、家に帰ってからの遊び場などが描かれており、いずれも記憶をたどりながら時間をかけて作成されたものである。私は、この地図を見るたびに、沢山の高齢者の方たちが公民館の一室で楽しく話し合っている様子を想像する。

 現在、松江市内の公民館では、城下町の成り立ち、地域再発見、安全安心な暮らし、在住外国人との共生など、さまざまなテーマで地域を元気にする取り組みが行われている。 

 さらに、近年始まった市民協働による「まちあるきマップづくり」は、幅広い世代の住民を巻き込みながら、地域の貴重な遺産を掘り起こすとともに、子どもたちや地元の住民、さらに観光客にも活用してもらう活動である。

 私自身もこの取り組みに参加してみて、公民館は住民交流の場であり、自らの意見反映の場、頭脳訓練の場でもあり、住民一人一人の主体性を発揮し、地域課題を解決する貴重な場所であると再認識した。

 地域のさまざまな活動は、山間地でも大都市であっても、住民一人一人が自己実現の場であるという強い実感を抱くとともに、その成果を次世代にきちんと伝承して行かなければならないと思う。

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