(以下、河北新報社から転載)
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(22)外国人被災者に情報届ける/仙台国際交流協会職員・菊池哲佳さん
「日本語ができないことが、外国人被災者の不利益にならないように心掛けていました」という菊池さん。本年度は震災時の情報提供について検証するという
昨年の東日本大震災で、仙台市内で暮らしていた約1万人の外国人も被災した。言葉や文化の違う土地で求められたのは情報だった。仙台国際交流協会(SIRA、青葉区)は発生当日から、さまざまな支援を行った。ラジオを通じた多言語での情報提供、避難所巡回、生活相談…。あれから1年余、実務を担当したSIRA職員の菊池哲佳(あきよし)さん(38)は、日ごろから地域と外国人が「共生」することの大切さを訴える。
◎多文化共生、最大の備え
<多言語で放送>
昨年3月1日時点で、仙台市の外国人登録者数は1万271人。国別では中国と韓国で7割近くを占める。
SIRAは震災当日夕から動きだす。
菊池さんたちは、事務所のある仙台国際センターから、青葉区本町のエフエム仙台(Date fm)に向かった。午後5時、局のスタジオで生放送。地震の全体像は分からない。「余震に気を付けて」。英語、中国語、韓国語、さらにやさしい日本語で呼び掛けた。
午後9時、仙台市が外国人支援のための「市災害多言語支援センター」を国際センター内に設置。事前の取り決め通りSIRAが運営を受け持つ。1回線だけ生きていた電話が、12日朝方から鳴り出した。ほとんどが在仙外国人の安否を問う内容だった。
外国人が多く暮らす青葉区三条町や片平地区の指定避難所には、多数が身を寄せていた。12日から、SIRAの職員らが各施設を回り、情報提供や生活相談に乗り出した。
避難所巡回は3月29日、支援センターは4月30日まで稼働して役目を終えた。
<安否確認、課題>
「外国人の多くは地震を経験したことがありません。特に仙台では、宮城県沖地震の発生確率が高まっており、災害時の心構えや対応を知ってもらう必要がありました」
SIRAは2000年から具体的な防災事業に取り組んでいた。
その一つが、多言語による啓発活動。Date fmと協力し、防災啓発番組の中に外国人向けのコーナーを月1回設けた。さまざまな国の人が出演し、母国語で防災のアドバイスをしている。
生活情報などを通訳・翻訳する「災害時言語ボランティア」も整備した。市民約80人が登録。その半数は日本語が堪能な外国人だ。
町内会の防災訓練や市総合防災訓練に参加し、避難や消火活動などを体験する機会も設けた。
こうした活動は生かされもしたが、課題も残した。
発生直後のラジオ放送は、6年間の積み重ねが生きた。多くの言語ボランティアが支援センターに駆けつけ、電話対応や各避難所に張り出す生活情報の翻訳を担った。
一方、支援センターに「安否確認」の電話が来たのは想定外。集計してみると、この問い合わせが一番多かった。
<経験生かそう>
SIRAはことし2月、震災での活動全般を振り返るシンポジウムを行った。
資料をまとめた菊池さんは言う。「災害時に必要だったのは『備え』でした。防災意識を高めることが大事だったと、あらためて実感しました。その点では日本人も外国人も同じなのです」
心に残った言葉がある。「これからは、外国人も一緒に地域で防災訓練しよう」。ある町内会の男性が言ってくれた。
国籍や民族の異なる人々が、互いの文化を認め対等な関係で地域で生きることを『多文化共生』という。「今回の経験が、外国人を身近な住民として受け入れる地域づくりにつながればいい。それが最大の『備え』だと思います」
2012年06月30日土曜日
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(22)外国人被災者に情報届ける/仙台国際交流協会職員・菊池哲佳さん
「日本語ができないことが、外国人被災者の不利益にならないように心掛けていました」という菊池さん。本年度は震災時の情報提供について検証するという
昨年の東日本大震災で、仙台市内で暮らしていた約1万人の外国人も被災した。言葉や文化の違う土地で求められたのは情報だった。仙台国際交流協会(SIRA、青葉区)は発生当日から、さまざまな支援を行った。ラジオを通じた多言語での情報提供、避難所巡回、生活相談…。あれから1年余、実務を担当したSIRA職員の菊池哲佳(あきよし)さん(38)は、日ごろから地域と外国人が「共生」することの大切さを訴える。
◎多文化共生、最大の備え
<多言語で放送>
昨年3月1日時点で、仙台市の外国人登録者数は1万271人。国別では中国と韓国で7割近くを占める。
SIRAは震災当日夕から動きだす。
菊池さんたちは、事務所のある仙台国際センターから、青葉区本町のエフエム仙台(Date fm)に向かった。午後5時、局のスタジオで生放送。地震の全体像は分からない。「余震に気を付けて」。英語、中国語、韓国語、さらにやさしい日本語で呼び掛けた。
午後9時、仙台市が外国人支援のための「市災害多言語支援センター」を国際センター内に設置。事前の取り決め通りSIRAが運営を受け持つ。1回線だけ生きていた電話が、12日朝方から鳴り出した。ほとんどが在仙外国人の安否を問う内容だった。
外国人が多く暮らす青葉区三条町や片平地区の指定避難所には、多数が身を寄せていた。12日から、SIRAの職員らが各施設を回り、情報提供や生活相談に乗り出した。
避難所巡回は3月29日、支援センターは4月30日まで稼働して役目を終えた。
<安否確認、課題>
「外国人の多くは地震を経験したことがありません。特に仙台では、宮城県沖地震の発生確率が高まっており、災害時の心構えや対応を知ってもらう必要がありました」
SIRAは2000年から具体的な防災事業に取り組んでいた。
その一つが、多言語による啓発活動。Date fmと協力し、防災啓発番組の中に外国人向けのコーナーを月1回設けた。さまざまな国の人が出演し、母国語で防災のアドバイスをしている。
生活情報などを通訳・翻訳する「災害時言語ボランティア」も整備した。市民約80人が登録。その半数は日本語が堪能な外国人だ。
町内会の防災訓練や市総合防災訓練に参加し、避難や消火活動などを体験する機会も設けた。
こうした活動は生かされもしたが、課題も残した。
発生直後のラジオ放送は、6年間の積み重ねが生きた。多くの言語ボランティアが支援センターに駆けつけ、電話対応や各避難所に張り出す生活情報の翻訳を担った。
一方、支援センターに「安否確認」の電話が来たのは想定外。集計してみると、この問い合わせが一番多かった。
<経験生かそう>
SIRAはことし2月、震災での活動全般を振り返るシンポジウムを行った。
資料をまとめた菊池さんは言う。「災害時に必要だったのは『備え』でした。防災意識を高めることが大事だったと、あらためて実感しました。その点では日本人も外国人も同じなのです」
心に残った言葉がある。「これからは、外国人も一緒に地域で防災訓練しよう」。ある町内会の男性が言ってくれた。
国籍や民族の異なる人々が、互いの文化を認め対等な関係で地域で生きることを『多文化共生』という。「今回の経験が、外国人を身近な住民として受け入れる地域づくりにつながればいい。それが最大の『備え』だと思います」
2012年06月30日土曜日
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