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ブラジル人一家、不況で職探し断念して帰国

2009-03-18 09:02:56 | 多文化共生
(以下、読売新聞【佐賀】から転載)
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ブラジル人一家、不況で職探し断念して帰国
帰国前に知人にあいさつに訪れた(右から)ホベルトさん、ニウセさん、フィリオさん(12日夜、佐賀市で)=本部洋介撮影

 佐賀市を中心に日本で18年間暮らしてきた福岡県粕屋町のブラジル人男性が職を見つけられず、17日、家族とともに関西空港から帰国の途についた。日本の知人が親身になって支えてくれたが、不況が深刻化する中、職探しを断念。「日本人に思いやりの心を教えてもらった」と、感謝の気持ちを胸に日本を離れた。(本部洋介)

 ジョーゼ・ホベルト・セガンチーニさん(41)と、妻ニウセさん(39)、長男フィリオさん(17)。

 ホベルトさんの親族に日本人がいることから日本の在留資格を取得でき、1991年に来日。親族の薦めもあって九州で仕事を探し、佐賀市のアパートを借りた。結婚したばかりで、1年半ほど働いてお金をため、帰国する考えだった。ホベルトさんはトラック運転手、ニウセさんは同じ会社の運搬係などとして働き、翌92年にフィリオさんが生まれた。

 フィリオさんは、市内の「ちえんかん保育園」に預けた。2人が仕事を終えて午後8時頃迎えに行くと、いつも内田広行園長(69)と妻、鈴代さん(70)がフィリオさんを風呂に入れ、ミルクや離乳食を与えて待っていた。「じいちゃん、ばあちゃん」と園長夫婦になつく息子を見て、2人は「もっと日本にいよう」と思うようになったという。

 ホベルトさんは在留期間の更新を重ね約10年後、「素行に問題ない」などとして日本の永住資格を認められた。身元保証人は園長夫婦が引き受けた。「素直で一生懸命働いている姿を見て、何かしてやろうという気になった」。内田園長はそう振り返る。

 その後、一家は職を求めて大阪府や静岡県などを転々とした。ホベルトさんは、最近は福岡県内の運送会社でトラック運転手として働いたが、漢字で書かれた伝票を読むのに手間取るため会社に迷惑をかけると思い、昨年12月に退職。ハローワークに約30回通い、大型自動車の運転免許を持つ強みを生かして運送会社を中心に10社以上の面接を受けた。しかし、いずれも履歴書が送り返されてきた。

 佐賀市の知人男性(60)はスーパーや運送会社に相談してくれたが、「日本人の解雇を考えないといけない時に、外国人を雇い入れるのはとても無理」と断られたという。

 内田園長は「日本にいたいという願いをかなえてやれず悔しいが、今の日本は外国人にとって過酷。帰国した方がいいのかもしれない」と複雑な胸中を明かす。

 ホベルトさんは「日本人は自分が苦しいときでも、私たちを助けてくれた。大好きなこの国にずっといたかったが仕方ない」と言う。帰国後は親族に仕事を紹介してもらう予定だ。

 日本語で育ち、母国語のポルトガル語の読み書きがあまりできないフィリオさんは「日本で勉強して働きたかった。また佐賀に戻ってきたい」と話した。
(2009年3月18日 読売新聞)

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