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「人手不足」と外国人(1) 「介護士・看護師受け入れ」はなぜ失敗したのか

2014-09-11 09:30:28 | 多文化共生
(以下、HUFFPOSTから転載)
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「人手不足」と外国人(1) 「介護士・看護師受け入れ」はなぜ失敗したのか
投稿日: 2014年09月10日 17時47分 JST 更新: 2014年09月10日 17時47分

 日本政府が外国から介護士・看護師の受け入れを始めたのは2008年のことだった。政府間で結ぶ経済連携協定(EPA)に基づき、同年にはインドネシア、翌年にはフィリピンからの受け入れが始まった。これまで来日して仕事に就いた人材は2000人近くに上る。

 筆者はフォーサイト誌で「2010年の開国 外国人労働者の現実と未来」(07年8月―10年4月)を連載していた頃、介護士らの受け入れの実情をリアルタイムでルポした。外国人介護士・看護師は国家試験に合格すると、日本で無期限に仕事ができる。ホワイトカラーの「高度人材」、南米諸国など出身の「日系人」らを除けば、日本が初めて外国人に永住の道を開くケースである。その意味で介護士らの受け入れの成否は、近い将来、日本が必ずや直面する「移民」受け入れの試金石になると私は考えた。

 彼らは人手不足解消の切り札とも期待された。介護・看護分野での人手不足は深刻化する一方だ。厚生労働省によれば、介護職だけで2025年には100万人が不足するという。

 EPAによる受け入れ開始から6年が経った今、介護士らはどうしているのか。かつて取材した外国人介護士たちの「その後」を追ってみた。

成功例はごく少数

 大阪の中心街・梅田から急行電車で約20分。阪急「池田駅」でバスに乗り換えさらに10分ほど行くと、新興住宅地の間に田畑が増えてくる。そんなのどかな風景の中に、フィリピン人介護士のマリシェル・オルカさん(34歳)が働く有料老人ホームがある。

 マリシェルさんは09年6月にフィリピンからのEPA第1陣の1人として来日し、このホームを運営する社会福祉法人の特別養護老人ホームで働き始めた。そして3年後の12年、介護福祉士の国家試験にフィリピン人として唯一合格した。

 EPAで来日する外国人介護士たちは、日本で仕事を始めて3年後に国家試験を受験し、一発で合格しなければ帰国が義務づけられた。現在はある程度の点数を取った受験生に限って翌年の再チャレンジも認められたが、日本語での試験は外国人にとって難関だ。今年の合格率を見ても外国人は36パーセントで、日本人の65パーセントを大きく下回った。看護師の国家試験に至っては、日本人の合格率90パーセントに対し、外国人はわずか10パーセントに過ぎない。

 マリシェルさんは国家試験合格後に正社員として採用され、職場は特養から有料老人ホームへと変わった。

「今の仕事では(特養よりも)さらに利用者の方、1人1人に合った対応が求められます。ほんまに大変ですが、やりがいはありますよ」

 彼女と前回会ったのは国家試験合格直後の2年前だが、今では関西弁もすっかり板についた。職場ではリーダーを任され、正社員4人を含めて計6人の日本人部下も束ねている。

 しかし、マリシェルさんのような成功例は少数だ。国家試験で不合格になった外国人は、日本人と結婚するなどして在留資格を得た人を除いて皆、母国へと帰国していった。さらには、合格しても日本に見切りをつけて去っていく者まで続出している。

 2008年から昨年までに来日した1869人のインドネシア人、フィリピン人介護士・看護師のうち、国家試験に合格したのは402人。「読売新聞」6月27日朝刊によれば、合格者の約2割の82人がすでに母国へと戻ってしまったという。日本での就労機会を蹴ってのことだ。

EPA帰国者たち

 国家試験合格者で帰国する割合がとりわけ高いのがインドネシア人だ。合格者の4人に1人以上が日本を去った。2012年にインドネシアに帰国したナニンさん(29歳)もそうした1人だ。

 ナニンさんはインドネシアで看護大学を卒業した後、08年にEPA第1陣で介護士として日本にやってきた。配属先となった三重県の介護施設で働きながら国家試験に向けた勉強を続け、介護福祉士の資格を取得した。しかし、せっかく難関を突破したというのに、彼女は日本で仕事を続ける道を選ばなかった。その理由を尋ねると、流暢な日本語でこんな答えが返ってきた。

「仕事に不満はありませんでした。でも、両親からインドネシアに戻ってくるように言われたのです」

 インドネシアに帰国すると、すぐに日系企業の通訳の仕事が見つかった。月収は6万円程度で日本にいた頃の半分にも満たないが、不満はなかった。ちなみにインドネシアの給与水準は、一般的な病院に勤める看護師で月4万円ほどである。

 ナニンさんは帰国後、公務員のインドネシア人男性と結婚して子供をもうけた。出産で中断している通訳の仕事も、子供が少し大きくなったら再開するつもりだ。

「日本でまた働いてみたい気持ちもありますが、家族がいるので......」

 首都ジャカルタ市内のクリニックで働くスリスさん(28歳)も、ナニンさんと同じく08年に介護士として来日した。国家試験には合格できなかったが、結果が出る前からインドネシアに戻ろうと決めていた。

「介護の仕事は大変でした。もともと私は、インドネシアで看護の勉強をしていましたから」

 スリスさんも看護大学の卒業生で、インドネシアでは看護師の有資格者だ。日本にも看護師として行こうとしたが、応募資格の「2年以上の実務経験」がなく叶わなかった。そのため仕方なく、看護師の資格さえあれば応募できる介護士として申し込んだ。

 彼女は今、看護師として働いている。勤務先のクリニックは日本語が通じることが売りで、患者の9割は現地在住の日本人だ。同僚の看護師にはEPA帰国組が16人もいて、そのうち2人は国家試験の合格者である。

「給料は月に8万円ほどです。(介護士として)日本にいたときの半分くらいだけど、仕事はとても楽しい」

 スリスさんは希望した看護師として日本に入国できず、国家試験に不合格になって介護士としても「失格」とみなされた。そんな彼女がインドネシアで立派に看護師として、日本人駐在員やその家族を相手に仕事をしている。

「日本には遊びに行きたい。でも、働きたいとは思いません」

 インドネシアでは日本企業の進出ラッシュが続いている。日本語が堪能で、しかも日本での生活で文化や慣習も覚えたEPA帰国者たちは、通訳や看護師として引っ張りだこだ。ただし、ひとつ忘れてはならないことがある。彼らは、私たちの税金を遣って育成された人材なのである。スリスさんらが日本での経験を生かして祖国で活躍するのは喜ばしいことだが、それはそもそもの政策目的に適ったことなのだろうか。

国の「支援」は有効か

 国家試験に合格しながら帰国者が相次いでいることを報じた読売の記事は、介護人材の不足を指摘したうえで、「合格者の就労継続の支援や、不合格者の再受験の支援の必要性」を訴えて終わっている。これは同紙に限らず大手紙に共通するスタンスだ。毎年、外国人介護士らの国家試験の結果が発表になるたび、新聞各紙は揃って外国人への「支援」を促し続けてきた。だが、単に「支援」すれば問題は解決するのだろうか。

「支援」ということでは、これまでゆうに80億円を超す税金が投じられてきた。その大きな部分は日本語習得のための「支援」である。外国人介護士を採用した施設には、1人につき年23万5000円も支払われる。国家試験に向けた「対策費」の名目だが、実際は外国人を採用する施設が急減したことに慌てた厚労省が、受け入れ数を確保しようと始めた補助金のバラマキである。だが、結果的には採用施設は増えなかった。本来は当初の2年間でインドネシア、フィリピンから2000人の介護士・看護師を受け入れるはずが、6年経っても枠は埋まっていない。しかも、国家試験の合格率も大して上がっていないのだ。

 ナニンさんやスリスさんを見てもわかるように、「支援」があれば日本で仕事を続けたり、国家試験に再挑戦したかといえば、そういうわけでもない。問題の本質は「支援」の有無ではなく、EPAの受け入れ「スキーム」自体にある(2012年4月4日「根本が間違っている『外国人介護士』問題」参照)。それは介護士たちの声に耳を傾ければ明らかだ。

 インドネシアで看護師の資格を持つナニンさんやスリスさんは、母国では"エリート"とみなされる存在だった。しかしEPAには看護師として応募できず、どんなに日本でがんばっても「介護福祉士」以上の夢は描けなかった。大阪の有料老人ホームで働くマリシェルさんには、フィリピンで1人暮らしをしている母を日本に呼び寄せたいという思いがある。だが、そのために必要な永住権を取得しようとすれば、少なくともあと5年は日本で働かなければならない。親思いの彼女が、それまで辛抱できるかどうか。

 こうした彼女たちの本音は新聞には載らず、厚労省も理解していない。そもそも厚労省はEPAが始まって以降、EPAによる介護士らの受け入れは「人手不足とは無関係」という態度を崩していない。目的すら明確にせず受け入れているのだから、いくら税金を遣おうと効果が出ないのも当然だ。

人材獲得競争

 EPAによる受け入れは、今年からベトナムとの間でも始まった。一方で政府は、「外国人技能実習制度」で介護士を受け入れる方針も打ち出している。実習制度は今から20年以上前、発展途上国の若者が日本で技術を学ぶためにつくられた。ただし、それは建前に過ぎず、現実には日本人の働き手不足に悩む中小企業の工場や建設現場に対し、入国が禁じられているはずの「単純労働者」を供給する"裏口"の手段となってきた。就労期間を最長3年から5年に延長することが検討されているが、短期労働者の受け入れ策であることに変わりない。

 介護現場に実習生を入れることは、ついに政府が介護の人手不足を認め、外国人に頼ることを意味している。しかし、それでは「人手不足とは無関係」としながら多額の税金を投じ、少なくとも形だけは国家試験合格を目標に受け入れてきたEPAとはいったい何だったのか。

 厚労省を始めとする政府には、実習制度で介護士を受け入れる前にやるべきことがある。EPAの何が良くて、何が間違っていたのかを詳細に分析し、総括することだ。EPAに対する介護現場の期待は、時が経つにつれ萎んでいった。多額の税金をつぎ込みながら「期待外れ」に終わった原因すら総括せず、新たに実習制度を採用したところで同じ轍を踏むだけだ。

 どういったやり方で外国人の人材を受け入れようとも、彼らの「質」を確保することは重要だ。とりわけ介護や看護は、私たちの暮らしや命に関わる仕事である。ただし、もはや日本は、アジアの若者にとって何が何でも働きたい「憧れの国」ではなくなった。とりわけ、ある程度のレベルに達した人材にとってはそうだ。その象徴が、国家試験合格者から相次ぐ帰国組の姿である。

 アジア諸国では軒並み経済成長が続き、国内にいてもそれなりの仕事に就けるチャンスも増えた。わざわざ日本に「出稼ぎ」に来る必要もなくなりつつある。そこにきて最近では、日本にとっては手ごわいライバルも増えている。アジアの若い人材を巡って、先進国間で獲得競争が起きようとしているのだ。(つづく)

ムスリム観光客に鯨料理を

2014-09-11 09:29:57 | 多文化共生
(以下、産経新聞から転載)
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ムスリム観光客に鯨料理を 大阪市中央区「徳家」がハラル認証取得
2014.9.11 07:01

 大阪市中央区千日前の鯨料理店「徳家」がイスラム教徒(ムスリム)の観光客に提供するため、戒律に沿った食べ物であることを意味する「ハラル」の認証を取得した鯨肉を使った料理の試食会を開いた。イスラム教徒が口にするのを禁じられている、アルコール分を含む調味料は使わないなど工夫をこらした。

                  ◇

 会場では、刺し身や空揚げのほか、珍しい鯨肉を焼き上げたステーキや、鯨の生肉をのせたすしなどが提供された。

 戒律を踏まえ、調理段階では動物由来の油を避けて、植物性の油を代用するなどした。

 試食会に参加した「国際イスラム交流支援協会(IICA)」理事長で、バングラデシュ出身のマズンデル茂田春(モタハル)さん(61)は「おいしかった」と笑顔をみせた。

 徳家の女将(おかみ)、大西睦子さん(71)は「材料だけでなく、調理方法や調味料にまで気を配ってメニューを考案しました。ムスリムの観光客に安心して食べていただきたい」と話している。

 IICAによると、イスラム教の預言者の言行録に、鯨を食べて飢えをしのいだ話や、天国で最初に食べるものは鯨の肝臓の切れ端とする話が記されている。

 しかし、その後はイスラム諸国でも鯨肉の入手が困難になり、現在ではムスリムの間でも鯨肉を食べる機会は少ないという。

 世界人口の約4分の1を占めるとされるムスリムは、約15年後には22億人に達する見込み。

 イスラム教を国教とするマレーシアや、人口の9割近くがムスリムとされるインドネシアなど東南アジアから日本を訪れる外国人観光客が増えており、外国人観光客増加の原動力となっている。

 今回の徳家のムスリム用料理は、予約が必要。問い合わせは徳家(電)06・6211・4448。

農家民泊に国内団体 来年度から本格開始 伊那市観光協会

2014-09-11 09:29:25 | 多文化共生
(以下、長野日報から転載)
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農家民泊に国内団体 来年度から本格開始 伊那市観光協会
更新:2014-9-11 6:00

 農家への宿泊(民泊)を取り入れた体験型学習旅行を誘致する伊那市の観光戦略に基づき、同市観光協会は10日から、初めての国内団体として、東京都新宿区の小学生の民泊を受け入れている。従来は海外から誘客に力を入れ、多くの外国人の民泊を実現してきたが、今回は2015年度からの国内小中高校の児童生徒の本格受け入れを前にした先行実施。関係者は、新たな観光誘客につながると期待を寄せる。

 農家民泊を利用したのは、伊那市の友好都市である新宿区の四谷第六小学校6年生29人。これまでも同区内小学校の移動教室を受け入れてきたが、宿泊施設を利用していたため、民泊は今回が初めてとなる。

 四谷第六小児童は2泊3日の移動教室のうち、初日に同市長谷の農家などに宿泊。各農家ごとに用意された稲刈りやみそ作り、五平餅作りなどの各種プログラム、全体での間伐作業などを体験する。

 兼業農家の中山幾雄さん(64)宅では女子児童5人を受け入れた。自家用に栽培している野菜の収穫、出荷用の稲の刈り取り、釣り堀での釣り体験などのプログラムを用意した。「都会と田舎の時間の流れの違いを感じ、ゆったりした時間を過ごすのが農家民泊のよさ」と話す中山さん。参加した児童は「自然がいっぱいですごい。どんな体験ができるか楽しみ」と話していた。

 都市部の学校を中心に、田舎暮らしをテーマにした体験型学習旅行の需要が高まる中、農家民泊は「伊那市の観光資源を生かす最適な方法」として計画した。現在、受け入れ農家は簡易宿所の許可を得た23軒。昨年度から受け入れが本格化し、昨年度は世界7カ国・地域から16団体568人、今年度は8月末までに中国、台湾からの16団体548人が利用している。

 市観光協会では「本物の体験や心のこもったおもてなしができるコンパクトでも充実した民泊を目指す」としている。将来的には、関西圏の中学校修学旅行、関東圏の移動教室・林間学校、海外からのインバウンド(訪日旅行)などをターゲットに推進する考えだ。

消費者庁/15年度予算概算要求を発表

2014-09-11 09:28:40 | 多文化共生
(以下、日流ウェブから転載)
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消費者庁/15年度予算概算要求を発表/消費者安心戦略強化に向け153億円計上

2014.09.11 日本流通産業新聞


 消費者庁は8月28日、15年度予算の概算要求を公表した。一般会計と東日本大震災復興特別会計の合計で、前年度比26%増の153億9000万円を、一般会計のみでは前年度比29%増の148億3000万円を要求した。消費者相談体制の全国的な整備や食品表示対策への予算を大きく増加させ、消費者安心戦略の推進を強化する。
 「地方消費者行政活性化交付金」を前年度から20億円増となる50億円計上した。14年1月に策定した「地方消費者行政強化作戦」に基づき、消費生活センターを新設するなど、消費者に身近な消費生活相談体制構築に充てる。放射性物質検査体制の整備など東日本大震災の被災地復興に向けた取り組みも引き続き進める。
 「地方消費者政策の推進」には、前年度から3億7400万円増の5億2800万円を要求した。14年6月に公布した「改正消費者安全法」に基づき、高齢者・障がい者などの消費者被害の未然防止を図るため、地域の見回りなどを行う「消費者生活協力員」の育成などに新たに1500万円を盛り込んだ。子供の不慮の事故防止には、前年度から2000万円増の2500万円を計上した。増えつつある定住外国人・訪日外国人旅行者に対して、消費者行政に関する効果的な情報発信も行う。
 「食品表示対策の推進」には、前年度から7800万円増となる2億5800万円を要求した。具体的には、「新たな食品表示制度の適正化・充実」に新たに4000万円を、「食品表示に関する違反事件調査等」には、前年度から1000万円増となる2000万円を計上した。食品表示法や、食品の新たな機能性表示制度を運用する中、市場調査や違反事件調査を適切に行いたい考えだ。
 加工食品の包装に製造者名を記号で略して表記する「製造所固有記号」のデータベースを構築するため、新たに9600万円を要求した。データベースはネット上でも公開し、消費者が記号から製造者名を把握できるようにする。
 「消費者表示対策の推進」には前年度から3100万円増の1億8500万円を要求した。「課徴金制度導入の普及啓発」には、新たに800万円を盛り込んだ。
 「国民生活センター運営交付金」は前年度から2億800万円増の29億2500万円を要求した。国民生活センターの教育研修事業を強化するため、新たに1億1500万円を計上した。
 概算要求と同時に、15年度の定員要求も発表した。現在、301人の定員に対し、新規増員25人を要望した。施策の推進力強化・実効性確保に向け、調査体制の充実や、監視体制の強化のために19認の増員を求めている。

なぜベネッセはダイバーシティ施策に成功したのか

2014-09-11 09:27:22 | ダイバーシティ
(以下、ソフトバンクビジネス+ITから転載)
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内閣府も推進する男女共同参画、なぜベネッセはダイバーシティ施策に成功したのか

厚生労働省は19日、2013年度雇用均等基本調査の結果を発表。これによると、管理職全体に占める女性の割合は6.6%で前年比-0.2%とごくわずかである。社会への男女共同参画を企業全体で推進するベネッセは、国内でも指折りの女性が長く活躍できる企業だ。では、どうすれば他の企業もそれを見習えるのか。7月30・31日に開催された「Atmosphere Tokyo 2014」では、「リーディング企業が示す、ダイバーシティ施策の成功例:男女差、個人差は当たり前。すべての人が成果にコミットする働き方」と題して、ベネッセホールディングス グループ新規事業開発室 鬼沢 裕子氏が登壇した。
執筆:吉田育代

内閣府の2020年目標をすでに達成しているベネッセ


ベネッセホールディングス
グループ新規事業開発室
鬼沢 裕子氏

 ベネッセホールディングスは、教育、介護の分野で幅広くビジネス展開していることで知られる。ラテン語を元にした造語「よく生きる」を企業理念とする企業だけあって、ダイバーシティ施策の進んだ企業だ。

 内閣府・男女共同参画推進連携会議は2020年までに、社会のあらゆる分野において指導的地位を占める女性の割合を「少なくとも30%程度」にすることを目標に定めているが、同グループはそれをすでに達成。また女性正社員の割合も高く、約2,800名のうち1,600名を占める。

 鬼沢氏は講演中、「当社でダイバーシティ施策が進んだのは、創業社長 福武 哲彦氏の経営方針によるところが大きい」と語った。

 1970年代後半から80年代にかけては、同グループは通信教育である進研ゼミ事業の立ち上げ時期にあたり、優秀な人材を必要とした。他の大企業が男性社員採用中心であった中、積極的に女性人材を多く採用した結果、通信教育事業が大きく伸びたのだ。


経営戦略の一環としてダイバーシティ施策を推進

 これらに対して福武氏は、社内向け書籍で、「ゼミが伸びたのは女子社員のおかげ」「女子社員採用に力を入れてきた当社の姿勢が認められてうれしい」と言及した。推進した経営方針に結果が出たことで同グループは、力があるなら男子と同じように登用すると、ますます女性社員採用に力を入れていったのである。

トライ&エラーで社員を応援する諸制度を整備


 女性には出産、育児がついてまわるため、同グループは女性社員が長く働けるよう、人事制度や会社のしくみの変革を積極的に進めてきた。しかし、それはトライ&エラーの連続であったという。

 たとえば長期休職制度を導入したのは、男女雇用機会均等法が施行された1986年のことである。しかし、当時これを利用する女性社員は数えるほどで、出産を機に退社するケースが多かった。スピーカーである鬼沢氏は、当時、優秀な先輩が子育てに専念するため会社を去っていくのを惜しいと思っていた。

 それは会社としても同じ思いで、1990年、長期休職制度を最長3年に延長した。しかし、その5年後、休職期間をまた1年程度に戻す。最長3年に伸びることで制度利用者は増えたが、逆に復帰率が下がってしまったからである。

 長く休みすぎると会社に戻りにくく、戻っても“浦島太郎状態”になり再定着が難しかった。現在は子どもが1歳になる4月14日、あるいは子どもが1歳になる9月14日まで、とされている。1年に設定したのは、年間100名程度がこの制度を利用するようになったが、戦力である社員の不在に耐えられるのは企業としてそれぐらいが限度、と判断したからだ。

 日にちが14日と半端な数字なのは、保育所に預けるなど新しい生活に慣れる期間を考慮しているからだという。

 また、同社の育児休職制度は男性も利用できる。妻が専業主婦であっても構わない。しかし、制度変革当初は利用が進まなかった。その理由が経済的に無給になるからと判明したため、経済的な支援も施策の一つとして加えるようになった。


長い人生の中で、働き方を自らマネジメントする重要さ

 同社では一般にワークライフバランスと呼ばれる取り組みを、ワークライフマネジメントと命名している。それは、これをダイバーシティ施策ではなく、経営戦略の一環としてとらえているため。社員が力を発揮できる環境を用意し、そこで十分に成長してもらうことで事業も発展すると考えるのだ。女性を優遇しようという考えは一切ない、と鬼沢氏は強調する。

 そのため社内でも、「ワークライフマネジメントは、仕事も私生活も5割5割、ほどほどでいいということではない」と繰り返し語っているという。これは“期待される活躍をするために、長い人生、自分で考えて働き方をうまくマネジメントしてほしい”というメッセージなのだ。諸制度はそのために会社が用意できる選択の一つ、という位置づけのようだ。

【次ページ】会社はしくみを変える、社員は行動することが大事

「ハート(心)レス」な出来事

2014-09-11 09:26:50 | ダイバーシティ
(以下、産経新聞から転載)
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「ハート(心)レス」な出来事 9月11日

2014.9.11 06:54 [産経抄]

 エッセイストの三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)さんは、小学2年のとき、先生から初めて白い杖(つえ)を渡された。幼い頃、病気で視覚を失った三宮さんにとって衝撃的な出来事だった。手を使わなくても前方が分かる。人に手を引いてもらわずに歩ける。「失った視力を取り戻したかのようにうれしかった」と振り返っている(『感じて歩く』岩波書店)。

 ▼以来、三宮さんは白杖(はくじょう)を使い続けている。もはや、単なる道具ではなく、体の一部といっていい。そんな大切な杖が、自転車や車と接触して折られることがある。相手が謝ってくれるのはまだいいほうで、「気をつけろ」と捨てぜりふを残して立ち去る輩(やから)もいるそうだ。

 ▼視覚障害者にとって、街中をスマートフォンに夢中になりながら歩く、歩きスマホもまた大きな脅威ではないか。彼らは当然、相手が道を開けるものと、心得違いをしている。埼玉県のJR川越駅構内で8日朝、何が起こったのか、詳しい状況は分からない。

 ▼県内の盲学校に通学していた全盲の女子生徒の白杖が、正面から歩いてきた人物にぶつかった。相手が転倒し、立ち上がる気配を感じた直後に、背後から右膝の裏を強く蹴られたという。女子生徒は、全治3週間のけがを負った。

 ▼7月には、さいたま市に住む全盲の男性が連れていた盲導犬が、何者かに刺される事件があったばかりだ。そのとき、「犯人は一体、どんな心のささくれの持ち主なのか」と書いた。もはや心そのものを失っている、人物の仕業としか思えない。

 ▼三宮さんは、全盲の自身の状態を、「シーン(風景)レス(無い)」という美しい造語で呼んできた。ちなみに「ハート(心)レス」という言葉は、辞書に載っている。「(人に)冷酷な」という意味である。