多文化共生なTOYAMA

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現地でパン2万5千個焼く 鈴鹿のドミニクさん、4日出発

2011-04-04 09:10:45 | 多文化共生
(以下、中日新聞【三重】から転載)
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現地でパン2万5千個焼く 鈴鹿のドミニクさん、4日出発

2011年4月3日

材料などをトラックに詰め込むドミニクさん(右から2人目)ら=鈴鹿市で

 鈴鹿市でパン製造販売店を営むフランス人職人ドミニク・ドゥーセさん(49)=同市野町東=が友人らとともに東日本大震災で被害に遭った岩手県大船渡市で、2万5000個のパンを焼いて、被災者に無償で配る。4日未明に出発する。

 震災後、外国人が次々と日本を離れる現状に、ドミニクさんは心を痛めていた。24年前、鈴鹿で初めて自動車レースのF1が開かれた時に来日。世話になってきた日本の復興のために現地でパンを焼くことを提案し、岩手県が受け入れを承諾した。

 しかし、レンタカーの手配などに難航。話を聞いた鈴鹿市の住宅販売会社長の坂下正明さん(59)と運送会社長の寺田忍社長(43)が発電機やトラックの手配をし、名古屋カナダ領事館の協力も得て支援の輪ができた。

 材料の小麦粉はカナダ、具に入れる食材はフランスの業者から無償提供を受けた。現地で焼くのはフランスパンの生地にたいた米を混ぜ、フランスの野菜やベーコン、チーズを具にしたもので「希望のパン」と名付ける。

 ドミニクさんは「困っている日本の人のために、自分のできることをしたかった。仲間の協力がなかったら、実現しなかった」と話す。睡眠時間を削って用意した生地や水、3台のオーブンなどをトラックに積んで、坂下さんらと計6人で現地に行き、被災者たちにパンを届ける。

 (村瀬力)

被災地思い火おこし体験

2011-04-04 09:10:16 | 多文化共生
(以下、読売新聞【宮崎】から転載)
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被災地思い火おこし体験

宮崎で外国人らがバザー
多くの来場者が挑戦し苦戦した、火おこしの体験

 東日本大震災の被災地を支援しようと、外国人らが中心となった有志グループが2日、宮崎市加江田のレストラン「天空カフェジール」でチャリティーバザーを開いた。

 このバザーは「単にお金や物品を差し出すだけではなく、実際の行動を起こしてほしい」との主催者の願いから、支援物資をあえて直接持参してもらい、そのうえでバザーを楽しんでもらおうと企画。「Positive Actionに米(こめ)ON!」と題し、県内在住の外国人やNPO職員、その家族を中心とする有志が参加。

 会場では飲食物や衣料品などが廉価で販売されたほか、ライブも実施。さらにガスを自由に使えない現地の人々を思うために木から火をおこす体験会も行われ、なかなかつかない火に、多くの来場者が苦戦を強いられていた。

 主宰者の1人で、宮崎市内で開業しているオーストラリア出身のセラピスト、ジェフリー・ポールさんは「ただ悲しいと言っているだけでは本当に悲しい災害になってしまう。私たちが明るく支援することで、現地の人々の心が穏やかになってほしい」と話していた。

 バザーの結果、来場した約100人からはおむつや飲料水、加工食品などの寄付が集まり、宮崎市を通じて現地に届けるという。
(2011年4月3日 読売新聞)

東海の大学、留学延期申し出相次ぐ 「日本全体危ない」と誤解?

2011-04-04 09:09:37 | 多文化共生
(以下、中日新聞から転載)
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東海の大学、留学延期申し出相次ぐ 「日本全体危ない」と誤解?

2011年4月2日 16時40分

 東日本大震災の被害や福島第1原発の事故を受け、東海地方の大学に4月から留学する予定だった外国人学生が、留学を取りやめたり延期を申し出るケースが相次いでいる。派遣する大学や保護者が「日本全体が危ない」と誤解している影響が大きいという。原発事故が完全に収束するまで海外の不安は消えないようだ。

 三重大では、4月入学の交換留学生55人のうち韓国人4人が留学を辞退したほか、中国、スペイン、フランスなどの38人が「しばらく延期したい」と申し出てきた。理由は「自国の政府から渡航中止の指示が出ている」「親が津波や放射能を心配している」など、ほぼ同じだ。

 三重大の担当者は「東海地方は現時点で地震や津波、放射能の影響はないと説明しているが、世界地図で見れば日本は小さな島国。すべて危険に思えるようだ」と嘆く。

 名古屋工業大も韓国人とフランス人各2人が「留学を中止する」と連絡してきた。岐阜大は韓国人1人が留学中止、オーストラリア人1人が入学を10月に延期する。

 留学先を東北・関東の大学から東海地方に変える動きもある。名古屋外国語大には、英国の大学から「関東の大学に留学予定の学生を預かってほしい」と依頼が来た。三重大には、東日本の大学に留学する予定だったフランス人2人が入学を申し込んでいる。ほかに、東海地方の大学に既に留学していたが震災発生後に緊急帰国し、新学期になっても戻ってこない学生も多数いる。

 背景には、日本政府の海外への情報発信力が弱く、情報不足に陥っている面があるようだ。

 南山大はホームページで「名古屋は福島第1原発から400キロ離れており、現段階で被害の発生は予想されない」とアピール。名古屋大は3月に設けた「大震災情報集約拠点」で、来日した留学生向けに震災の正確な情報を提供している。ただ、ある大学の担当者は「日本政府の情報が本当に正しいのかという不安もあるようだ。私たちも『日本は絶対に安全』と言い切れない」と話す。

(中日新聞)

東日本大震災:被災地のカレー、日本人の優しさの味--タイのテレビ局記者

2011-04-04 09:08:31 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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東日本大震災:被災地のカレー、日本人の優しさの味--タイのテレビ局記者
 ◇宮城、福島を10日間取材

 【バンコク西尾英之】避難所の被災者たちからもらったカレーに日本人の温かさを知った--。東日本大震災後の3月15日から24日まで、取材のため福島、宮城両県の被災地を訪れたタイ人女性記者、タパニー・イアスリチャイさん(33)=写真・「チャンネル3」提供=は「厳しい状況にあるのに、誰もが外国人の私に優しかった。あの人たちの故郷が一日も早く元の姿を取り戻してほしい」と被災地の人々に思いを寄せている。

 タパニーさんはタイのテレビ局「チャンネル3」の記者としてバンコクから派遣され、主に被災地に取り残されたタイ人の状況を取材した。

 日本人男性と結婚して暮らすタイ人女性たちのほとんどが、帰国せず家族と一緒に日本にとどまる決意を固めていた。「夫の母が涙を流して『おまえはタイへ帰りなさい』と言ってくれた。放射能が不安だけれど家族を残して、私だけここを離れるなんてできない」。福島第1原発から50キロほどの福島県内の農村に住むタイ人女性は、取材にそう答えた。

 カメラマンや通訳とともに両県で取材し、いったん東京に戻った後に、今度は一人でバスで宮城県石巻市に戻った。たった一人で飛び込んできた異国の記者を、石巻の人々は温かく迎えた。タクシー運転手は事情を知ると運賃を大幅に値引きし、無給で「臨時助手」として助けてくれた。店を再開させたばかりのコンビニ店長に「困っているタイ人に配りたい」と訴えると、「1人2個まで」というルールを破って「何個でも買っていきなさい」と言ってくれた。

 21日、同市内の避難所で初めて調理が可能になり、カレーと揚げ物が料理された。被災者だけでなくタパニーさんも、それまで被災地では冷たいすしやパンばかり。湯気を上げるカレーを前に、最初は「みなさんで食べて」と遠慮したが、高齢の被災者たちは「あんたも食べなさい」と勧めてくれた。タイのカレーとは違う味だったが、日本人の優しさに触れ「こんなおいしい料理、生まれて初めて」と感激した。

 「タイ人にとって日本というと近代的な大都会のイメージばかりだけれど、人々の人情はタイと同じ。困難な立場の被災者が教えてくれた」。10日間の被災地取材を、タパニーさんはそう振り返った。