多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

(とやまのラーメン紀行7)2013/06/26

2000-01-07 21:58:23 | とやまのラーメン紀行
(とやまのラーメン紀行7)2013/06/26
「変わりゆくもの、変わらないもの」

ときは西暦の節目を迎えようとします。
いつからか、休日のテレビ番組では、ラーメンをはじめとした外食を紹介するものが増えてくるようになりました。富山においても「街食本」をはじめ、ラーメン店や寿司などの個別専門的な情報誌も発刊され、インターネット上でも個人運営サイトからイエローページ的な飲食店を紹介するサイト、ランキング的に人気店を掲載するサイトなど、さまざまな媒体・形式でラーメンが紹介され、メニューや料金、営業時間、定休日などの店舗情報が事細かに掲載されるなど、その情報量も多くなってきました。

ラーメンへの人気が高まれば高まるほど、新規参入する意欲を持つ経営者も増え、県内のラーメン店の新陳代謝は否が応でも高まります。
「NOODLE BAR BUGSY」は、横浜家系の特徴を携え、古いアメリカンロックなテイストでの雰囲気で店内を装飾し、それまでの富山県民のラーメンの先入観を見事に打ち砕きました。「こられん華」は、身体への優しさをキャッチコピーに、女性客のハートを鷲掴みしました。そして佐野実氏直伝の「支那そばや」(当時は長江店)は、その洗練された進化形のラーメンを引っさげ、行列の好まない富山県民の常識を覆しました。「ひさちゃん」、「じゃん鬼」では、メニューに白、黒、青などの新しい概念のレパートリーを組み込み(「ラーメンA、B」というメニューを掲げる店もありました)、「ラーメン工房」では、「ちゃんぽん」をメインメニューとして掲げ、度肝を抜きました。富山のラーメン界にも多様性の芽が芽吹き始めるのでした。
こうした数々の新しい風が県内に持ち込まれ、その後も、確実に富山県民に浸透していったラーメン店がある一方で、新しく開店しては廃業していくお店も数多くありました。栄枯盛衰。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
こうして富山のラーメン界は21世紀を迎えるのでした。

一方で、富山で最も歴史のある店が何であるか、定かではありませんが、昭和6年創業の店舗があります。そう、「柳の下」の愛称で親しまれる「末弘軒」です。その営業年月はおよそ80年超。3代にわたり味を引き継いでいくことも至難の業ですが、新陳代謝が行われるこの業界で、常に受け入れられ続けるということは、さらに困難を極めます。まさに奇跡的なことでしょう。
変わらぬ味、また、味を変えながらも引き継がれる味。
「変わりゆくもの、変わらないもの」。
富山のラーメン界は21世紀以降、新たな局面へと移っていくのです。

(写真は文中にある「末弘軒」の「ワンタン麺」の味濃いめ、麺固め、ネギ増量。)