たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

医者の役割

2011-11-14 16:01:16 | 医療・福祉
医者を信じるしかないのだけど」なる文章を読みました。お母さんが悪性リンパ腫になったのだけど,お父さんが以前がんになって,医者に言われるまま治療を受けていたら,結局亡くなったという経験から,今回も医者の話を聞くのに戸惑いがあると。「医者に対する恨みみたいなことはないけれど,かといって全面的に信頼をすることもできない,という気持ちだけは残ってしまいました。」という言葉は,納得するとともに,筆者の人柄の良さをわたしは感じました。とにかく医者を恨む人もいるからね。

私自身は医者を全面的に信用しなくても別に医者に失礼じゃないと思うし,でも,治療方針については結果的に言いなりにならざるを得ないんだろうな…と思ってます。もし担当のお医者さんが信用できなかった医者(病院)を代えるしかない。医者全体が信用できないのではなく,その医者が自分の考えと合わなかっただけだろうな,と思います。

わたしは結構な大病院で手術を受けましたが,担当の先生は一日何本も手術をして,その後は回診したり,外来を受けたりと,とにかく忙しそうでした。手術前の説明は2時間くらいかけてじっくりと話しましたが,その後の回診とか外来は10分とかまぁそんな感じ。それでも朝早くから夜までいて大変だろうなぁと入院中思ってました。

だいたい,わたしからすると自分のがんは命に関わって大変なことですが,先生からみたら,毎日何本もやってくるお仕事の一つです。わたし一人に集中するのは無理なのは良くわかってました。それでもまぁそれで良いかなぁとわたしは思っていたし,忙しいからかもしれないけど,受け答えは簡潔で,頭の回転は速そうに感じたし,わたしの病気はたくさんある案件の一つにしか過ぎないのだろうけど,でもむしろその経験の多さの方がわたしには良いと思えたのもあります。

ですから,わたしの病気も,その先生からすると,多くの経験から,「普通こうだろう」という対処をやってきただけかもしれません。自分に例外的なことがあるとしたら,それは自分で他の病院をあたるとかやったほうがいいのでしょう。あと精神的な悩みをその先生にぶつけるつもりもありませんでした。退院後,再発におびえた時,わたしは手術をした大病院ではなく,近所の内科に行って,(当時便秘がひどかったので)お薬をもらったりしました。そっちの方が話術的には人当たりも良くて,まぁ少し落ち着いたとか。

高価な自然食品には手を出しませんでしたが,青汁を飲んだり,冷たい水を飲むのを止めたり,手洗いに気をつけたり,いろいろやりましたが,それも病気が治るというよりは,精神的に落ち着けるためにやってるという自覚が自分にはありました。

医者はわたしの体を切って病巣を取り出してくれるけど,心を落ち着ける手段は自分で見つけないといけないとずっと思っていたし,暴走的に変なことをする自分をその時は許してあげてました。

まぁ今でもそう思ってます。病気になった自分の医者はすべてを救ってくれるわけではなし,そもそもその「お医者さん」が常にいい人とも限らない。ミスをされたらたまらないけど,でも,不可抗力な事もあるだろうし,そもそもがんで死ぬのは日本人としてはそんなに珍しい話でもないのです。

安心と満足は結局自分で探さなければいけなくて,病気を治すのもその一部だと思うと,医者に頼るのも一部でしかないわけです。オカルト嫌いの人が呪いをやる人を馬鹿にするけど,わたしは病気を病院で治しつつ,呪いで気分を落ち着けるのは何も矛盾したことと思いません。単なる分担でしょう。まぁだから医者を全面的には信頼できないというのはそんなに変な話ではないんじゃないかなぁ,そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする