たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

自分で考えてね…と言うことは良くないことなのか?

2004-12-16 12:44:01 | 音響
霞が関官僚日記さんでカイワレの裁判の件で結構悩んでおられる件。
音響屋も中央官庁ではないにせよ,とある役所からいろいろ判定を依頼されることはあります(私自身はありませんが…,回りにそういう人を見たことがあるという意味で)。技術屋や研究者なんかやっていると100%断言できる結果なんってでないのが当たり前なので,正直にそう回答したくなるっていうのが人情じゃないでしょうか?。kanryoさんが長々と引用しているところを読むと,確かに「曖昧な表現で,聞く人に判断を託したのが良くない」という風に読めます。曖昧な分析結果しか出なくても,無理やりどちらかと判断して,その全リスクを追うのが行政…ってことなのでしょうか?。結構大変だなぁ…と思います。
確かに「どっちもあり得るよ。だから自分で判断してね」という風に答えるのは無責任なのかもしれません。でも研究者は自分の知見を元に事実に一番近い推論をするので,可能性がどっちにもある場合,そういうのが研究者の誠意だと思います。もちろん,行政がさらにリスクを背負って答えを無理やりだすのはありなのかもしれませんが。
まぁ損害賠償が金で済むなら,行政にリスクを背負ってもらうっていうのはまっとうなのかも知れませんが…。
しかしこの「何が正しいかわからない時代」に無理やり答えを出すのが必要なこととは知りませんでした。マスコミは「情報公開」と声高に叫ぶ割には,結局は「答え」を求めているって事なんですね。実際取材を受けてみるとわかりますが,マスコミは中途半端な回答は物凄く嫌がり,嘘でもいいから白黒つけろ…という態度で聞いてくることが多いです。そして結局大抵の人は自分で考えるのは無理って事なんでしょうか?。

注:カテゴリを「音響」にしたのは「研究者ネタ」だったためです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 犯罪者心理の分析に意味があ... | トップ | 愚か者の哲学 (竹田青嗣 著) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音響」カテゴリの最新記事